ユダヤ教とふるさと

良い宇宙人と悪い宇宙人



NO 4877   

ユダヤ教とふるさと 


千成記

ソラ情報です。

ユダヤ人も支配星にうまく操られて、争いの歴史となったことが述べられています。

http://sora.ishikami.jp/diary/index.php?id=20030205143924


2003年2月5日(水)

ユダヤ教とふるさと。

奇蹟↓はアメリカ在住の方からの メール です。


『 旧約聖書を元にするとユダヤ人の歴史は、アブラハムに始まりその息子のイシュマエル、

イサクそしてエサウ、

イスラエルと呼ばれる様になったヤコブ、

エジプトの奴隷になりその後宰相になったヨセフ、

奇蹟を起こしたモーセ、

モーセの後の盲目の指揮者で失ったカナンの地を奪回したヨシュア (ヨシュア公園の名前の由来)、

その後時代を経て王制となり、ダビデ王やソロモン王などが出てきました。

質素な生活を美とし食べ物の恵みにとりわけ感謝するユダヤ教の教えも、全て醜い戦争の歴史と共に在ることを忘れてはなりませんね。

神を恐れさせ生け贄を捧げる事を基本としたのも、ユダヤ人を上手く操った支配星の仕業なのでしょうね。

迫害されてエジプトに追いやられ元の土地を取り戻す為にモーセが指導して脱出したことは、種 (民族) の団結という意味では自然の成り行きの様ではあります。

しかし極度な苦しみを民衆に与えモーセの威信を傷つけたり、時にはモーセを通して奇蹟を起こして恐れさせ民衆の団結力を呼び起こしたり、 アークを作って十戒を入れ恐れさせ ユダヤ人のシンボルにしたりして、多民族と戦わせたのも、支配星の考えそうな巧みな洗脳で彼らが見て楽しむ為にしたことでしょうね。

キリストが降りてきて説明した様に、モーセや他のユダヤで影響を与えた人のイシキ (霊) が降りてきて少しでも説明してもらえると、支配星の説明に深みが増すと思います。

例えばモーセが降りてきて 「私は神と呼ばれる者の啓示を受け、それを信じ命じられるままに民衆をエジプトよりカナンの地に導きました。

指導力を持たせる為に私に奇蹟を起こす力を与え、神の存在を民衆に知らしめました。

紅海の水を真二つに分けて民衆を渡らせたのも事実です。

自分でも信じられませんでしたが出来ました。

シナイ山で恐ろしく燃え滾る炎とともに神が降りてきて、法律となる十戒をもらいました。

旧約聖書に書かれている私のことは大体正しいです。

歴史的には私のことを神の使者として又ユダヤの勇者として称えられていますが、元々は凡人でした。

良いものと、悪いもの (支配星) の区別もつかず、 支配星の声が強く入ってきた為に、それを信じて操られただけです。

私はその時は良いことをしたと思っていました。

民衆の心の糧となっていましたから悪いとも言い切れないですが、結果的にイスラエルの国の再建につながり、それがアラブ人と歴史的対立を引き起こしているのです。

キリストもモハメドも、ダビデもソロモンも、私と一緒に皆仲良くしています。

支配星に操られてこんな地球になってしまったことを、人間が気づかずにいるくやしさを話しています。

そして最初の声である射手座の王様のイシキ (霊) は、もうエルサレムにはいないのです。

聖地の取り合いなどという発想は後から支配星の考えたことで意味がないのです。

私はそれを伝える為に降りてきました」

書いていて、モーセの霊に成り代わってしまった様でびっくりしてしまいます。 』


このメールを読んだ後、うたた寝をしてみた 【夢】

《片側は山?の崖のようで、反対は海?のようでやはり崖になっているが、割と広い道を歩いている。

崖の下に人間がいるようで、大きな籠か竹のざるのような物に、小麦粉? のような白い粉が入っているのが見えるが、人間は見えない。

歩きながら “ウサギ追いし かの山〜” と歌っていて目が覚める》

小麦の粉が入った籠を持っていたのはノアの息子でした。


「ユダヤのことを、思い出していました。

私もふるさとのことを、思い出していました。

私のふるさとは、今はなくなりました。

なぜ亡くなったかと言うと、生贄ばかり差し出させていた神を崇めていたからです。

(ふるさとは) 今のイスラエルの海側にありました。

それはひどい宗教で、壊れ物 (恨みや恐怖の思い) ばかりが渦巻いていました。

それでふるさとは無くなったのです。

けれどもいつまでもその (宗教を) 信じることはありませんでした。

私達は違う神を信じていました。

イシカミの声が聞こえたからです。

それは僅か、12人が聞こえていただけでした。

その家族は、いつか異常な大雨が降ることを知らされていました。

それで船を作るように言われ、こつこつと船を作っていました。

私達はいつも、そのイシカミの声と話をしていました。

生贄を強いる宗教を元にした教えを信じる人には、何も言いたくなかったのです。

人間として当たり前のことをして暮らしていけば、何も宗教に縛られなくていいということが良くわかっていました。

イシカミが苦労した事を知り、山がイシカミだったことを知れば、おのずと感謝の気持ちは出てきます。

人間は肉体だけでなく見えないイシキ (霊) がいると言うことを知っていると、 悪いことはしないで暮らしていけます」




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