仁徳天皇稜と履仲天皇稜

良い宇宙人と悪い宇宙人



NO3091 

《追記》仁徳天皇稜と履仲天皇稜  


タカシ記

「ソラ情報」です。

ここに紹介されている天皇陵のくびれた部分の左側に 小さい、小さいでっぱりが見えます。

ここでは、そのでっぱりを「手」と表現しています。

この古墳はオオサンショウウオみたいな形になって粘菌のように すこしづつ移動してきたとのこと。

イシカミの元いた場所は大山なので、仁コ天皇陵は大仙陵古墳とも 呼ばれているとか。

仁コ天皇陵は大仙町にあるので、大仙陵古墳と呼ばれているので しょうが、大仙町は大山と関係ありそうな名前になっています。

三田のオオサンショウウオを保護 50キロ離れた大阪でのニュースは、イシカミの原子がオオサンショウウオのような形になって粘菌のように そろり、そろりと移動してきたことを表しているのかも。


http://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20120725224825

2012年7月17日(火)

《追記》仁徳天皇稜と履仲天皇稜

手前の古墳は仁徳天皇稜に比べて大分小さいです。(写真 では手前の古墳の方が大きく見えますが、手前の小さい古墳の 上空から撮影したために、手前の方が大きく見えています。上の 方に小さく見えるのが仁コ天皇陵です【by Takashi】)

これらはイシカミの原子たちが、粘菌のようになって山から移動してきたと知らせてきていましたが、雲で再び同じことを知らせてきました。

http://sora.ishikami.jp/image_earth/index.php?id=20120717204355

すなわちかっては日本海と瀬戸内海はなかったので、太平洋の海水を飲みにイシカミのミナノコの原子たちが連なって大山からやってきて、この形で固まったと。

頭部の半円はいて座、身体のやや裾広がりの長方形はシリウスをあらわし、それが合体したのが、前方後円墳です。

(円墳だけとか四角の塚もあります)

《2012年7月18日追記》

この形は子供のミナノコをあらわし、 小さな手は“手をつないでやってきた”ことをあらわしています。

『前方後円墳は【千成記】)以前はイシカミが固まった最後の形のΩをあらわしたとも言っていたが、 どちらも正しいと』

明治政府が出来るまでこれらには自由に出入りが出来ていたが、明治政府が天皇家を巨大な勢力を示すために、勝手にこれらの塚を天皇家のお墓にしてしまったのです。

そして未だに田舎であろうが、立派な塚は全て天皇家と関係があると、立ち入り禁止とし、学者さんさえ入らせないようで、ソラは一貫して厳しく天皇家、宮内庁を弾劾しています。

大昔、食料を得ることだけで一日が終わったでしょうに、この塚と人間の大きさを比べて、果たしてたった一人の権力者のためにこのような巨大なお墓を造れるでしょうか?人は点にも見えません。

7月20日寝る前


「カカトのサインは地下のイシカミからのサインです。

スイッチを入れるためです?

カカトから脳につながっています?」

と言葉になっていたのも関係あるようです。




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