一連の天啓のはじまり・黒住教
正神復権の宣言は、幕末から明治、大正にかけての時期、次々に日本列島に
降ろされた。
なぜ日本でなくてはならないか、その理由を述べる前に、
日本国でいわゆる
“天啓”の形で発生した黒住教・天理教・金光教・
大本教の各宗教を順にみてみよう。
黒住教は、文化11年(1814)、岡本郊外の今村宮の
祠官(しかん)であった黒住(くろずみ)宗忠(むねただ)(1780〜1850)
が、35歳の時自ら体験した神人合一(しんじんごういつ)の
天啓によって開いた神道系の教団である。
宗忠は、「天命直受(じきじゅ)」と呼ばれるこの時の
啓示から、息を吹きかけたり、手をかざすことによって
病気治しが出来るようになり、さらに祈祷(きとう)、まじないなどを通じて
天照大神(あまてらすおおみかみ)の信仰を説いた。
宗忠は大病を患っていた。
両親の突然の死により「陰気」になったためだと考えた宗忠は、自ら「陽気」
になることで病を回復に向かわせ、その直後に「天命直受」
という神からの直接の啓示をさずかる。
こうして完全に自分の病を治してしまったという経緯から、
陽気すなわち太陽(天照大神)の気の重要性を説くようになる。
このあたりには
「陽気ぐらし」
を説く天理教への布石的な要素がうかがわれる。
黒住教は、天照大神を最高神として祀(まつ)り、信仰する
団体であったわけだが、この天照大神とは、単に日本の
天皇家のルーツとしての祖神(そしん)という理解のしかたで
はなく、万物創造の神としての性格を持っていた。
そして、すべての人間は、天照大神の「分霊」をいただいて
いると説いた。
ここが、従来の国家神道とは決定的に違う点である。
そして黒住以降、天理、金光(こんこう)、大本と進むに
つれ、次第に、
「宇宙万物の神」
「世界万民を救済する神」
「三千世界の立替え、立直しを断行する神」
としての性格が
強く出されてくるのである。
またこれらの教団は、教祖が自らの意志でおこしたものでは
なく、ほとんど不可抗力的、強制的に発生させられている
点が共通している。
(つづく)
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