聖書の「毒麦」のたとえNO1
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なにやらキリスト教徒の方の頓珍漢な書き込みがあります。 どうやら真理を愛する者さんは、現在の世界情勢を、この内容で嘆いているのに対しての明らかにキリスト教徒と思われる方の書き込みがありました。 現実にキリスト教徒が屁理屈をつけて他の宗教の民を大量虐殺しています。 ところが、関係のない毒麦の解説から・・・なにやかやと、訳の分からないことを書いて、聖書の意味の解読の問題と話をすり替えています。 要は キリスト教徒の隣人さんのような人間が勝手に、自分たちを良い麦と思いこ んでいます。 そして、イスラム教徒や他の宗教の庶民を毒麦と言って現実に虐殺していると嘆いています。 その嘆きを聖書の解釈論争にして、咎めているというあほらしい内容です。 キリスト教徒に限らず、宗教の麻薬にやられている人の言を聞くと、このようになってしまうのですが・・・・
問題は このキリスト教徒の方が、総本山のバチカンを偽キリスト教徒のユダヤ人に乗っ取られ、ユダヤ教の教理を知らない内に流し込まれていることに気が付かないことでしょうか・・・
どうしましょう。 キリスト教徒が成長するとき、自ずから毒キリスト教徒は 分かりますので、「毒キリスト教徒は 倉庫に入れて焼き払いなさい」 てなことを言っているのです。 それに対して、隣人さんが、 「俺は真のキリスト教徒である」 とツパッテいるのですが、この方がキリスト教に入信した頃は、 「キリスト教は、既に偽ユダヤ教徒に乗っ取られ、ユダヤ教の教理の一部をそそぎ込まれて、偽キリスト教に成り果てている」 ことを知らないで、 「俺は、真のキリスト教徒だ」 と騒いでいるという、お粗末な一節です。 既存の宗教を捨てて、離れて見ていれば簡単に分かることなのですが・・・・哀れ!
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http://www.asyura2.com/0601/idletalk19/msg/652.html 投稿者 真理を愛する者 日時 2006 年 8 月 22 日 15:23:51: NygxPubK8Q35E
「毒麦」のたとえ
「天の国は次のようにたとえられる。 ある人が良い種を畑に蒔いた。 人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。 芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。 僕(しもべ)たちが主人のところに来て言った。 『だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったのではありませんか。 どこから毒麦が入ったのでしょう。 』 主人は、『敵の仕業だ』と言った。 そこで、僕たちが、『では、行って抜き集めておきましょうか』と言うと、主人は言った。 『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。 刈り入れまで、 両方とも育つままにしておきなさい。 刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に言いつけよう。 』」 (マタイによる福音書13 24−30) (つづく)
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