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NO 8007   

◇本当にあったすごい話  


タカシ記

本山よろず屋本舗情報です。

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◇本当にあったすごい話

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  今アメリカで一番名の知られた日本人は誰かと聞かれたら、あなたは誰と答えるだろうか。森首相か、ノーベル賞受賞の白川博士か、オリンピックで優勝した高橋尚子選手か、あるいはマリナーズで新人賞をとった”大魔人”こと佐々木投手か。
 実はその人物の名は久司道夫という人らしい。おそらくこの名を知っている人はいないに違いない。日本では全くの無名だからだ。だがアメリカでの久司道夫氏に対する評価はすざまじい。少し紹介してみよう。

・1985年、ボストン大学医学部との共同研究により、エイズ患者の免疫力がマクロビオティックで改善することを確認し、医学界の注目を集めた。

・1994年、「世界の平和と人類の健康に非常な貢献をした」として、国連(国連著述家協会)より優秀賞を授与される。

・1995年、「米国の食生活の改善に多大な功績があった」として、ロードアイランド州上院より表彰状を授与される。

・1995年、世界30ヶ所以上にチェーンを持つ高級ホテル「リッツカールトン」がクシヘルスメニューを導入した。

・1995年12月、米国弁護士協会有志より、ノーベル財団に対してノーベル平和賞の候補として正式に推薦状が提出された。

・1996年、米国国立歴史博物館より久司道夫の活動を著す文献や記録物が、国家資料として収納するかどうかの検討を行うため、蒐集の要請を受ける。

・1997年、ベルギーアントワープ市より「エコロジーと自然の理にかなった生活様式の向上に大いなる貢献をした」として、ルドルフ・シュタイナー、英国チャールズ皇太子、久司道夫の三候補の中から久司道夫がゴールデンストロー賞を授与される。

・1997年5月、米国国立歴史博物館、スミソニアン・インスティティーションのキャサリン・オット博士より、正式に同博物館への資料の収納が決定した旨の通知を受理。米国副大統領を委員長とした十人の委員が満場一致で賛成し決定。

 特に最後のスミソニアン博物館は日本人にはなじみがあろうと思われる。広島に原爆を投下した飛行機エノラ・ゲイが陳列してあるからである。もちろん同博物館に資料が収納される名誉に浴した日本人は久司道夫氏ただ一人である。アメリカにおいては、ぶっちぎりの超有名日本人である。久司道夫氏の提唱するマクロビオティックを実践している有名人として、歌手のマドンナやマイケル・ジャクソン、ハリウッドスターのトム・クルーズ、クリントン大統領やカーター元大統領らがいる。全米では200万人の実践者がいるという。
 ではそのマクロビオティックとはなんたるものか。それは後章にゆずるとして、マクロビオティックで実際に起こった驚くべき話がある。それを『地球と人類を救うマクロビオティック』文芸社、久司道夫著から抜粋してみよう。

 ・・・略・・・
 いまから20年も前のことですが、当時、ポルトガルからボストンにやってきて久司インスティテュートで1年間勉強した青年チーコが、リスボンに帰って、友人と一緒にマクロビオティックを精力的に広めていました。マクロビオティックに関する講演をしたり、料理講習をしたり、指圧を教えたり、いろんな活動を展開していたわけです。
 あるとき、そんな彼らの活動が現地の新聞に載ったのです。そして、その記事を目に止めて興味を示したのが、何と刑務所に入れられていた凶悪犯だったのです。
 ポルトガルのリスボンの北には、観光客によく知られた素晴らしいお城があります。その前に大きな刑務所があって、全国の刑務所から凶悪な連中が集められてきます。そのもっとも凶悪な連中が28人でグループを組んでいて、ボスのあだ名が、”アル・カポネ”。殺人こそ犯さなかったものの、彼は年に400回という記録を持つ「ホールドアップ」専門の強盗。それからナンバー2の男は銀行泥棒。それも機関銃で脅して金を奪っていくのですが、彼らは総勢28名もいて警官の手に負えないため、最後は軍隊を動員して捕まえたということでした。
 最初のうちは、他の刑務所に入れられていたのですが、しょっちゅう暴れるので、リスボンに移されます。そのときにたまたま、その新聞をアル・カポネたちが読んだわけです。それで「面白そうじゃないか。これやってみよう」ということになったのです。
 刑務所のほうで調べてみると、どうも危険はなさそうだということで、チーコに連絡がいって勉強会が始まり、やがて料理講習が開かれました。ナイフは持って入れないので、手で野菜類をちぎりながら、アル・カポネたちも勉強。刑務所の中で、彼らは自炊を始めたのです。
 刑務所では毎朝、看守が起床時間になると、ドアを叩いて歩くわけですが、その度に彼らは「うるさい」とか「あっち行け!」と叫んでいたのです。ところが、玄米や野菜を食べ、自炊を続けていたある朝、彼らから「おはよう」という言葉が返ってきたのです。
 それ以後、そういうあいさつの言葉が自然に出てくるようになりました。それまでは廊下で看守とすれちがっても、そっぽを向いたり、舌を出したり、反抗的な態度をとっていた彼らが、看守とすれちがうとうと「ヨオッ」とか、声をかけられると「ハイ」というようになってきたのです。
 彼ら自身、自分たちの変化に気がつくと同時に、看守たちも「何だろう。気味が悪いな」と思っていたということです。そのうち彼らは看守たちを掴まえては「お前の鼻、張れているじゃないか。心臓が悪い証拠だぞ」「お前は下唇が垂れているけど、胃腸が悪いだろう。オレたちと一緒に食わないか」と、そんな話をし始めるにつれて、看守たちもだんだん影響されていったのです。
 そんな状態が何ヶ月か続いて、刑務所側でも彼らの変化が本物かどうかテストをしてみようと、ある土曜日、アル・カポネ以下28人に「翌日の日曜日の夕方までに帰ってくるように」との条件をつけて、外出許可を与えたのです。
 凶悪犯のアル・カポネらには尾行をつけて外に出したのですが、それまで脱獄ばかり考えていた連中が、全員帰ってきたわけです。何週間かおいて、今度は尾行をつけずに、外出許可を与えたのですが、やはりまた全員が帰ってきました。
 そこで、彼らを呼んで「お前たちはいままで、人殺しをしてでも外に出たいと思っていたはずなのに、なぜ帰ってきたのか」とたずねたところ「町に出ても、うまいものがないんだ。ここで食べるものが一番うまいし、しかもタダだ。だからここに帰ってきた」という返事でした。
 その後、何週間かして、リスボンで私のセミナーがあったときに、彼らも聞きにきたので、私がみんなを壇上に上げまして「どんなことをやったのか。何がどう変わったか。そして、どんな人生観になったか」を、話してもらいました。
 セミナーが終わると、彼らは私を掴まえて「刑務所を出たら、どういう仕事をしたらいいか」「なぜ、世の中に戦争が起こるのか」「オレたちは死んだら、どうなるのか」といった人生問題や社会に関する質問を次々としてきました。
 そんな彼らの変貌に、刑務所のほうでも感心して、10年の刑期、15年の刑期、中には25年の刑期の者さえいたのですが、その全員が2年間で社会復帰してしまいました。しかも、その後、誰一人として再び、犯罪を起こして戻ってこなかったのです。
 ある者は畑を耕して野菜づくりを始め、ある者は豆腐づくりを始めました。また、ある者はマクロビオティックのレストランの皿洗い。ナンバー2の男は多少、英語が話せたので、ボストンに来て、マクロビオティックの勉強を1年間やりました。彼は、実にいい人間なのです。
 ある日、私と散歩していると「ミチオ、金に困るか?」というので「教育者というのは、いつも貧乏なものなんだ」。「そうか、金に困ったらいつでも言ってくれ」「どうするつもりだ」というと「ちょっと見てくる」といって一回りしてくると「あの銀行、屋根から入れるんだ。オレが見たところ、いま350万ドルぐらい現金がある。金がなくなったら、いつでも言ってくれ」と。
 あわてて断りましたが、彼はヨーロッパに帰ってから、マドリッドで病人を治療したり、各地で教えたりして、いまは非常に尊敬されています。
 そういうふうに、食事によって生活がすっかり変わってしまうのです。彼らの例からもわかるように、犯罪というものは、ちょっとしたきっかけでカーッとなった状態で起こすものなのです。あるいは、ある状態で、ある者はカーッとこないかもしれないけど、ある者はカーッとくる。その原因は何かというと、前の日に食べた塩鮭かもしれない。あるいは、前々日に食べた卵かもしれない。あるいは、長い間に蓄積されてきたところの、いろんな脂っぽいものや香辛料などが何かのきっかけで、突然出てきたのかもしれないのです。

・・・後略・・・



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