ブラリ-フォルティ・カントル・ラッセル・リシャールのパラドックスの克服を目標とされた時代があった。この状況の中で、数学の基礎づける考えとしていくつかの流れが出てきた。以下が、それである。
以下で、これらの主義についてみていくことにしよう。
■論理主義
1906年にH.ポアンカレは、前述のパラドックスを分析して、それらは全て非述語的(impredicative)な定義から生じていると主張した。
ここで、非述語的な定義を説明しておかなければならないだろう。非述語的な定義とは、集合Mの元mの定義がM自身に依存しているようなものをいう。例えば、ラッセルのパラドックスの場合、それはまず集合全体を、自分を元にもつ集合とそうでない集合に分け、そうして出来あがった集合をそのどちらの元にするか、と問うことから生じているというのである。
同じ年に、ラッセルも「どんな全体も、それ自身でのみ定義しうる元を含んではならない」と主張し、ポアンカレもそれに同調したのだ。ラッセルは、さらに1908年「型の理論に基づいた数理論理学」を発表し、型の理論(Theory of Types)を打ち出した(型の理論についての詳細は、基礎論理学講座を参照)。
ラッセルとホワイトヘッドは、これらを『プリンキピア・マテマチカ』全3巻にまとめあげた。2000ページ近い大著の中で、倫理学から出発して、自然数論、実数論、解析幾何学などを構築した。
しかし、型の理論で還元公理というものを導入したため(しかし、還元公理を導入しないと自然数の議論を展開できない)、一貫性がなく、批判も多かった。だが、ここで展開された議論は決して無視できないものであり、今日に至るまで多大なる影響を与えている。例えば、ゲーデルが、1935年におこなった公理的集合論における選択公理の無矛盾性の証明、1935年の一般連続体貸せるの無矛盾性の証明、1935年の型の理論の枠内での選択公理の独立性の証明には、この型の理論の考えが利用されている。
■直観主義←日常で使う直感とは違う。これを勘違いしないように。詭弁家は、(直観主義の堅固さ)+(日常の直感)をごちゃまぜにして、あなたを騙すかもしれない。
カントルの集合論をもっとも厳しく批判したクロネッカーの反対の根拠は、集合論で使う定義は言葉だけであって、数学で扱う対象を満足するのかどうかを必ずしも決定できない、というものであった。
また、ブラウアーもこの流れにいて、1908年に『倫理学の原理への不信』と題する論文で、単に集合論にとどまらず、その基礎で使用されている、アリストテレス以来絶対的真実として考えられていた古典論理学に挑戦した。その見直しの結果として、ブラウラーが攻撃したのは排中律であった。任意の命題Pがあった時、PまたはPでない、というのは有限の集合で成り立つのであって、無限の集合に対して無条件には成立しない。というのは、有限の集合の場合には、それがいかに大きい集合であっても原則的にその元を全て調べることが可能だが、無限の集合の場合にはそうはいかない。Pを満たす元があるというためには、その存在を実際に示すかそのための方法を明示しなければならない。全ての元でPが成り立つためには、任意の元が与えられた時、それがPを満たすことを示し為に方法を提示しなければならない。例えば、よく使われる数学的帰納法はそのような方法の一例である。しかし、背理法の場合、全ての元がPを満足しないということを家庭して矛盾したからといって、Pを満足する元があるという証明にはならない。なぜならば、その存在またはそれを求めるための方法をまだ示していないからである。これは排中律の無節操な使用である、と彼(ブラウアー)は説明した。
この直観主義の立場にもとづいた数学が、これまでのパラドックスを生み出さないのみならず、以前の数学に比べ非常に堅固であるのは、誰しもが認めたことだった。しかしその原則を全て受け入れるとなると、それまでに築いてきた数学のかなりの部分がそこなわれるのは明らかだったし、それまでの単純な定理さえもが、かなり煩わしいものとなるのも目に見えていた。直感主義の世界は、それまでの数学をあまりに狭いところに閉じ込めるものであったおんで、主流になりえなかった。しかし、彼らの主張した原則はいずれも重要なもので、形式主義の方法の中にも取りこまれていて、たびたび反省材料として議論もされ、今日でも重要な研究対象となっています。
■形式主義
ヒルベルトは集合論や自然数論をも形式化し、その無矛盾性を証明すべきだと考えた。形式化された公理系(形式的体系)は一切意味をなさない記号からなっている。従って、形式的体系の無矛盾性を証明することは、その記号を対象にした新しい数学の分野である。彼(ヒルベルト)は、これを超数学(metamathematics)または証明論(proof theory)と呼んだ。
それでは、何をもとにして推論を行うべきなのか、という声が聞こえてくるが、ヒルベルトは有限の立場を主張した。即ち、この立場は、直観的に確かめられうる対象とそれらに対する有限の操作の過程というものに方法を限定したのである。これは直観主義の主張を、形式主義における超数学の方法に限定的に、しかしより厳密に採用したものである。
これにより、数学は3つに分類された。非形式的数学(通常の意味での数学)と形式的数学(公理的に形式化された数学)と超数学の3つである。以下に、説明します。
以上の考えで、全数学を形式化した壮大な体系には、従来の数学の成果を損なうことなくパラドックスを避けることができすので、多くの支持を得た。これが、有名なヒルベルト計画である。
■その後
ゲーデルは、これらの議論を注意深く見守り、研究した。それが、不完全性原理へとなっていきました(詳しくは、基礎完全性定理講座や基礎不完全性定理講座を参照してください)。
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