平平点描

(百人一首随筆集)


「連 載」 第 94 歌   衣打つ (参議雅経)
み吉野の山の秋風さ夜更けて古里と寒く衣打つなり

◆ 和歌の吉野 ◆  この歌の場所「吉野」は、万葉集以来、和歌とは切っても切れない関係 にある歌枕です。万葉集時代の吉野は巻一より巻十八まで「吉野川」、「吉野山」、「吉野の 滝」あるいは「吉野の宮」として読まれた歴史の古い地域で、天武天皇の歌に代表されるよ うに、人々に愛された土地です。

 「よき人のよしとよく見てよしといひし吉野よく見よよき人よく見」(万葉集・巻一・二七)

 古今集になりますと「吉野」は雪や花と共に、和歌に詠まれるようになりました。例えば、三一 番歌「朝ぼらけ」(坂上是則)の「・・・吉野の里に降れる白雪」のように、冬の歌として吉野の 雪を詠んでいます。雅経の歌の本歌と言われている坂上是則の歌には、次のような雪の吉野山を 詠んでいる歌があります。

 「美吉野の山の白雪積もるらし故郷寒くなりまさるなり」(古今集・巻第六・冬・三二五)

 

 あるいは、二番後に続く壬生忠峯の歌、

 「美吉野の山の白雪踏み分けて入りにし人の訪れもせぬ」(古今集・巻第六・冬・三二七)

 また、五番前に読人不知の歌として入っているものは、つぎのようになっています。

 「夕されば衣手寒し美吉野の吉野の山に深雪降るらし」(古今集・巻第六・冬・三一七)

 以上の雪の歌に加えて,紀友則が詠うように、春の桜の歌が出はじめています。

 「美吉野の山辺に咲ける桜花雪かとのみぞあやまたれける」(古今集・巻第一・春上・六0)

 更に、春の吉野に雪が組み合わされた読み人知らずの次のような歌もあります。

 「春霞立てるやいずこ美吉野の吉野の山に雪は降りつつ」(古今集・巻第一・春上・三)

 坂上是則の詠んだ十世紀初頭の吉野から三百年経った十三世紀初頭の雅経の時代の吉野はどう 詠まれたのでしょうか。平成現代では吉野と言えば桜であり、西行法師であるわけですが、その 西行は雅経に先立つこと約五十年前に既に吉野を愛し、桜を愛でた歌人です。新古今集に於ける 吉野はまさに西行に代表され、桜に代表されることになります。

 「吉野山桜が枝に雪降りて花おそげなる年にもあるかな」(巻一・春上・七九)
 「吉野山去年のしをりの道かへて未だ見ぬ方の花をたづねむ」(巻一・春上・八六)
 「吉野山やがていでじとおもふ身を花散りなばと人や待つらむ」(巻十七・雑・一六一七)

 以上の西行の歌のほかに大伴家持、俊成、家隆、良経、さらには後鳥羽院など名のある歌人全て が吉野山と桜、美吉野の花を詠い、あるいは俊恵法師のように雪の吉野山を詠んでいます。

 「美吉野の山かき曇り雪降れば麓の里はうちしぐれつつ」(巻六・冬・五八八)

 西行法師の愛した十二世紀の吉野山から、約百五十年後の吉野の地は、歴史の上に後醍醐天皇の 南朝の地として登場し、もはや花や雪の風情の世界とは正反対の戦さの世界の中心になり変わっ てしまいました。正しく歴史の真っ直中の吉野です。

 「帰らじとかねておもへば梓弓なきかずにいる名をぞとどむる」(楠木正行)
 「ここにても雲居の桜咲きにけりただかりそめの宿と思ふに」(後醍醐天皇)

◆ 音の世界 ◆  雅経の歌の世界は別の言葉で表現しますと、じっと耳を澄ませた聴覚 の世界です。耳には秋風と砧の音がかすかに聞こえてくる秋の小夜更けゆく頃、頭には戸外の 秋の寂しい情景を思い浮かべながら詠んでいるわけです。百人一首の世界とは、視覚、聴覚、 嗅覚、触覚の世界が全てあり、ただ一つ無いのは味覚の歌です。桃が美味しい、栗が食べたい では、美学の世界に不適なのでしょう。
 もっとも万葉集の世界では、山上憶良等は堂々と食べ物の歌を詠んでいますのに。

 「瓜食めば子等思ほゆ栗食めばまして偲ばゆいづくより来たりしものぞ
          まなかひにもとなかかりて安眠し寝さぬ」 (万葉集・巻第五・八0二)

 このように更けゆく秋の夜に聴ける音は、現代ではだんだん無くなりました。逆に聞きたく ないのに耳に入ってくる雑音の多い事が現代の世の中の聴覚の世界です。これらの雑音は残念 ながら、全て人間が造りだした物ばかりです。人の雑踏の音、電車の金属音、自動車のエンジ ンの音、更に耳障りなのは、それらの警笛です。真夜中まで聞えてくるのは、ラジオやテレビ ジョンの空騒ぎ番組、さらには、カラオケという名の繁華街の徒な歌声です。これらに比べ、 屋敷塀越しに聞こえてくる琴の音、学校の教室から聞こえてくる合唱の歌、教会の奥から聞こ えるオルガンの響き、万雷の拍手、もはや聞くことが出来ない物売りの声、万歳三唱、など は時と場合によりますが、まずは好意の持てる音ではないでしょうか。

  ◆ 騒音と創音 ◆  平成現代では、百人一首に挙げられた鹿、千鳥、時鳥、きりぎりすな どの動物の声に聞き入ることはなくなり、鳥のさえずり、風の音や季節毎のいろいろな音を聞 き分けるだけのこころの余裕が無くなってきていることも確かで、人によっては無理矢理に耳 にイヤホーンを差し込み、自分の好きな音(ラジオ番組や音楽など)だけを聞く自分だけの世 界を作るようになったため、誰でも共通の音の世界というのがだんだん無くなりつつあります。
 雅経の時代人の聴覚より、平成現代人の聴力の方が低下し、自然の良い音を聞けなくなって きました。これから千年後の人はどのような音の世界に住んでいるのでしょうか。生まれたとき からイヤホーンを付けて、終生それぞれ個人的に特殊な世界のなかに生きることになるので しょうか。平成現代に比較して、微細な音も拡大して聞くことが出来、過去も未来の音も聞け るようになり、更に雷などの要らぬ雑音は、抑えることもできているかも知れません。音楽は 人間にとって必須の物ですから、無くなることはないにしても、千年後の音楽は平成現代音楽 とは更に変った物になっているでしょう。

***  百人一首の忘備録  ***
 さて、百人一首の中で、雅経と同じく聴覚の世界を詠んだ歌は十首ほどあり、その対象物は、 次のようになっていて、はっきりと音と言っているのは二首のみです。
 鹿:五、八三番
    風:二二、三七、五八、六九、七一、七四、九八番
   滝の音:五五番
 高師浜のあだ波:七二番
   千鳥の声:七八番
    鳥の空音:六二番
   ほととぎす:八一番
 きりぎりす:九一番
これらは全て自然の作り出す音であるわけですが、清少納言の鳥の空音と雅経の砧の音だけ、 人の作り出している音になっています。新古今集では、雅経の歌のあとに式子内親王の砧の音の 歌二首があります。

 「千度打つ砧の音に夢覚めて物おもふ袖の露ぞ砕くる」(巻五・秋下・四八四)
 「更けにけり山の端近く月冴えて遠ちの里に衣打つ声」(巻五・秋下・四八五)

***  百人一首の百人家族 ***
◆ 三経さん ◆   百人一首の作者をその生年から見ますと、七六番の藤原忠通あたりから 百番の順徳院までが、「十二世紀人」と言うことになります。さらには、九一番の藤原良経以降 が十二世紀後半に生まれ、そして没した「同時代人グループ」ということになっています。更に その中でも、次の三名の「三経さん」の生年を見ますと、ほとんど一一七0年の一両年の間に入 る「同年代」の人という事が出来ます。

歌番号歌人名官職生年没年寿命
九一藤原良経太政大臣一一六九一二0六三十八歳
九四藤原雅経参議一一七0一二二一五十二歳
九六藤原公経太政大臣一一七一一二四四七十四歳
九七藤原定家権中納言一一六二一二四一八十歳

 しかもこの三人に共通な事項は、藤原定家の「御子左家」に属していたということになり、定家 は三人の寿命をほぼカバーする年月を生き抜いています。
 まず良経は御子左家の俊成・定家父子の歌道を保護する立場をとった人物であり、雅経はその歌 道を定家の父俊成に師事したもので、後鳥羽院に仕え和歌所の寄人として「新古今集」撰者の 一人となった人物です。又、公経は、西園寺実宗の子で、定家とは義兄弟になります。建永元 年(一二0六年)まで良経に助けられて、承久の変(一二二一年)後は、親幕派の公経に救い 挙げられたために、定家にとっては生涯忘れられない恩人達です。従って彼等の歌の順番は、 自分より前に挿入して敬意を払っているのではないでしょうか。

◆ 雅経の得手 ◆  雅経は音の世界の感覚も優れていたのですが、運動神経の方も優れていた と見えて、蹴鞠の名手で飛鳥井家の始祖になっています。さしずめ平成現代であればフットボール (蹴球)のチームリーダーか監督をしていたかも知れませんね。
 京の都大路堀河通と今出川通の交差点の東側に百人一首七十七番歌歌人崇徳院をお祀りした白 峰神社があります。この一帯が飛鳥井町と呼ばれるのは雅経の飛鳥井家の別邸があったところだ からです。従って白峰神社には崇徳院だけでなく、蹴鞠の名手雅経にあやかって蹴鞠関係の球技の 神様(鞠精大明神)も崇拝され、毎年四月十四日に春季例大祭が催されます。
 平成の時代になって日本では俄然蹴鞠の近代球技蹴球(サッカー)が職業集団化され、国民的 人気スポーツに成りつつあります。雅経没後、七百七十年後の日本の一断面です。

***  百人一首の道草 *** 「美吉野の」「故郷」
 藤原雅経の歌を次の四句に分解し、本歌の坂上是則の歌と対比してみます。
 「美吉野の山の」「秋風小夜更けて」「故郷寒く」「衣打つなり」
「美吉野の山の」「白雪積もるらし」「故郷寒く」「なりまさるなり」

 すなわち、一句と四句を固定して、二句・三句と五句に他の百人一首の歌の詞を入れてみます。


  五番 猿丸大夫  美吉野の山の 「紅葉を踏み分けて」  故郷寒く 「聞く鹿の声」
  六番 大伴家持  深吉野の山の 「きざはし霜白し」  故郷寒く 「夜ぞ更けにける」
   七番 阿倍仲麻呂  深吉野の山の 「嶺ふりさけ見れば」 故郷寒く 「いでし月かも」
 十五番  光孝天皇  美吉野の山の 「辺に出で若菜摘む」 故郷寒く 「雪は降りつつ」
二十二番  文屋康秀  美吉野の山の 「草木のしおるれば」 故郷寒く 「嵐吹くなり」
二十六番 貞信公   美吉野の山の 「もみぢば心あらば」 故郷寒くも「御幸またなむ」
二十八番 源宗于      深吉野の山ぞ 「寂しさまさりける」 故郷寒く 「物の枯れれば」
三十一番 坂上是則    美吉野の山は 「有明と見るまでに」 故郷寒く 「降れる白雪」
三十三番 紀友則   美吉野の山は 「のどけき春なるに」 故郷寒く  「雪の降るらむ」
三十七番 文屋朝康  美吉野の山に 「吹きしく秋風に」  故郷寒く 「露ぞ散りける」
三十九番 源等    美吉野の山の 「篠原しのぶれば」  故郷寒く  「人ぞ恋しき」
四十七番 恵慶法師  美吉野の山の  「我が庵いや寂し」  故郷寒く 「秋は来にけり」
六十四番 藤原定頼  深吉野の山の 「嶺霧絶えだえに」  故郷寒く 「現れわたる」
六十六番 行尊    美吉野の山の 「桜もあはれなり」  故郷寒く 「見る人もなし」
六十九番 能因法師  美吉野の山の 「紅葉に嵐吹き」   故郷寒し 「川は錦に」
七十 番  良暹法師  美吉野の山の 「宿よりながむれば」 故郷寒し 「秋の夕暮れ」
七十一番 源経信   美吉野の山の 「門田を訪れて」   故郷寒く 「秋風ぞ吹く」
七十三番 藤原基俊  美吉野の山に 「白露玉と散り」   故郷寒く 「秋もいぬめり」
七十七番 崇徳院   美吉野の山の 「滝川ながるごと」  故郷寒く 「今年も暮れむ」
七十九番 藤原顕輔   深吉野の山に 「棚引く雲間より」  故郷寒く 「月影もれて」
九十一番 藤原良経  深吉野の山の 「霜夜の白々と」      故郷寒く 「鳴くきりぎりす」
九十六番 藤原公経  深吉野の山に 「降り積む雪ならで」 故郷寒く 「我が身ふりゆく」

平成六年九月二十六日

                             

掲載 平成16年5月7日・磯城島綜芸堂・主筆 謹言
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