◆ 常なれ ◆ 「常にもがもな」は、文法的に分解すると「常」+「に」+「もがも」+
「な」で、「もがも」はさらに、「もが」+「も」と細分され、名詞、形動詞と終助詞の合成さ
れたものになって、「不変であってほしい」と言う願望を表しています。人が「世の中を常なれ」
と思うときは無常な出来事を常々感じている時あるいは遭遇した時です。
実朝の歌では、上句で頭の中に浮かんでいるこの思いをまず捉え、同時に下句で目に映じて
いる情景を詠んでいるのです。上句と下句は一見バラバラな叙事句になっているように思われ
ますが、実朝という人間の一固体の中に生じている感覚の多面性を捉えているわけです。
人は古今東西を問わず無常なる人生を嘆き、抗い、怒り、挙げ句には、恨めしく批判し、最後
に諦めざるを得ないと悟る事になるわけですが、「常なれ」と思う気持ちは、物心がついてから
死ぬ直前まで抱き続ける万人共通の感情であるわけです。
人によってはほとんど無常を感じないままに、一生を終える人もおれば、無常を感じるために
この世に送り込まれたと思う人もいるわけです。実朝の人生はまさしく後者の代表者のような
ものであったわけです。
建久三年(一一九二年)に生まれ、承久元年(一二一九年)甥の公暁に鎌倉・鶴ヶ岡八幡宮で
暗殺されるまでの、わずか二十七年の生涯に終わっています。十四才で歌を詠み始め、わずか
十三年間の和歌人生の中で無常の気持ちを和歌にした実朝は、「自分は詠むためにこの世に生
まれてきた」と思っていたのではないでしょうか。この歌は辞世の歌とも思えるように、冷静
な目が和歌の背景に感じられ、世の中の出来事や目に映る情景をじっと見つめていたように感
じます。
何故「渚漕ぐ海士の小舟の綱手」が「愛し」いのか。それは、常々世の中を「常にもがもな」
と思い続けている実朝のような心境にある人でないと理解できない心像なのでしょう。大伴旅人
もこの点では同感なのです。
「世の中は空しきものと知るときしいよよますます愛しかりけり」
(万葉集・巻五・雑歌・七九三)
実朝は見る物全て、人の作った物としての「海士の小舟」以外に動物や植物にも、あはれの心
を示しています。金槐集七0七番から七一0番のうち、七0七番歌の第一句や第二句では、沙彌
満誓の歌を前提にしています。
「朝ぼらけ跡無き波に鳴く千鳥あなことごとにあはれいつまで」(巻之下・雑部・七0七)
「うつ蝉の世は夢なれや桜花咲きては散りぬあはれいつまで」(巻之下・雑部・七0八)
「難波潟憂き節しげき蘆の葉に置きたる露のあはれ世の中」(巻之下・雑部・七一0)
◆ 水・河・海 ◆ 一体に人が無常を感じる時、よく引き合いに出される地上に存在する物 質として、「水」、「河」、「海」などの水に関する物が多いのは何故でしょうか。沙彌満誓の次 の歌のように。
「世の中をなににたとへむ朝開き漕ぎ去りにし舟の跡無き如し」(万葉集・巻第三・雑歌・三五一)
「世の中をなににたとへむ朝ぼらけ漕ぎ行く舟の跡の白波」(拾遺集・巻第二0・哀傷・一三二七)
水に対して人は感情的にある種の安堵感が得られるのでしょうか。人類は海から誕生し、
胎児は水に浮いているという生物学的な郷愁から来るのでしょうか。決して、火、石、あるいは、
風などでは無常の感情が引き起こされず、人は安心できないのでしょう。
時代は遡って古今集では、巻十八・雑歌下・九三三番歌で
「世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる」(読人不知)
更に二百年後の十三世紀始め、鴨長明は、その「方丈記」に於いて、人の世の無常であるこ
とが川の流れに喩えて、
「行く河の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず、淀みに浮かぶ泡沫は、且つ消え且つ結
びて久しく止まりたるためし無し。世の中にある人と住みかと又かくの如し」と。
現代においても日本人はやはり、水の流れに詠嘆を忘れません。昭和期後半の人気歌謡歌手
「美空ひばり」の辞世の曲に「河の流れのように」があり、多くの人々の愛唱歌となり、もては
やされました。
◆ 金槐集 ◆ 金槐集・巻之下・雑部で、実朝の世の中に対する考え方を辿ってみましょう。
(七一五)世間常ならずといふことを人の許に読みてつかはし侍りし
「世の中にかしこきこともわりなきもおもひしとけば夢にぞありける」
(六五三)「世の中は鏡に映る影にあれや在るにもあらず無きにもあらず」
(七一四)人心不定といふ事を
「とにかくにあな定め無き世の中よ喜ぶ者在ればわぶる者在り」
(七一一)無常を
「かくてのみ在りて儚き世の中をうしとやいはむあはれとやいはむ」
(七一二)「現とも夢とも知らぬ世にしあればありとてありと頼むべき身か」
(七一三)詫び人の世にたち巡るを見て
「とにかくにあればありける世にしあればなしとても無き世をもふるかな」
(七一六)日比、病すともきかざりし人、あかつき儚くなりにけるを聞きて詠める
「聞きてしも驚くべきにあらめども儚き夢の世にこそありけれ」
これらの実朝の歌には、そのまま平成の世でも日常生活中誰でも経験していることで、まさし く日常茶飯事のことを淡々と、しかもしみじみと感じ入るように詠んでいます。源実朝が不慮の 死(いや彼は予期していたかも知れない死)を遂げてから約八百年弱経った平成現代でも「世 の中」に対する平成の人々の考えは、鎌倉武士とすこしも変わっていないのです。これが真 実というのであれば今から八百年後の世紀でも平成現代と全く変わることなく、どのような職 業の人々でも世の中を「常にもがもな」と言っていることでしょう。
*** 百人一首の忘備録 ***
◆ 舟 ◆ 実朝の歌は新勅撰集から採られたものですが、当然彼の私家集「金槐集」でも
五七二番歌に入っており、そこでは舟という題が付いています。百人一首では「あまの小舟」を
詠み込んだ歌は、他に第十一番歌「わたのはら」(小野篁)の「海士の釣り舟」があります。
実朝の船は渚を綱手で引かれていますが、篁の舟は釣りに向かうのではなく既に釣りの作業
をしている違いがあります。
他の百人一首との対語句を探してみます。
第一句の「世の中(は)」をみますと、八三番歌「世の中(よ)」(藤原俊成)の歌と一対に
なっています。二首の共通している概念は、いわゆる世の中に対するやるせない気持ち、或いは
侘びしい氣持ちです。
◆ な音 ◆ この歌の韻律面の特徴は第二句の「常にもがも〔な〕」の感嘆の終助詞「な」 の語でしょう。この「な」の音に注意しますと、歌中「な」行音は何と十文字(三十一文字の三 分の一)もあり、その中で更に「な」は、その半分の五文字も使用されているのです。実朝は 「な」行音が好みだったのでしょうか。そういえば彼の有名な次の歌でも「な」行音が多用さ れています。
「もののふの矢並つくろふこての上に霰たばしる那須の篠原」(金槐集・巻之上・冬部・三四八)
もう一つ彼の有名な歌の共通点は、この「世の中は」の歌と同様に、波や海を詠んでいる点です。
「箱根路を我が越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ」(金槐集・巻之下・雑部・五九三)
「大海の磯もとどろによする波割れて砕けて裂けて散るかも」(金槐集・巻之下・雑部・六九六)◆ 実朝と定家 ◆ 実朝は、十四才の時から和歌に親しみ始め、藤原定家を師として、詠歌 に精励し、定家から「新古今和歌集」や「万葉集」を送られています。実朝の詠い方は先人の 道を辿るという方法を採っており、平明簡潔を旨として、どちらかというと古今調より万葉調だ とされています。心が屈折していない非常に素直な敷島の道に対する姿勢に、定家も心から指 導することを惜しまなかったようです。
「浅緑染めてかけたる青柳の絲に玉ぬく春雨ぞ降る」(巻之上・春部・四三)
「浅緑絲撚りかけて白露を玉にも抜ける春の柳か」(古今集・巻一・春・二七・僧正遍昭)
「名にし負はばいざ尋ねみむあふ坂の関路ににおふ花はありやと」(巻之上・春部・六六)
「名にし負はばいざ言とはむ都鳥我がおもふ人ありやなしやと」
(古今集・巻九・覊旅・四一一・在原業平)
「五月雨の露も未だひぬ奥山の真木の葉隠れ鳴く時鳥」(巻之上・夏部・一五三)
「村雨の露も未だひぬ真木の葉に霧たち上る秋の夕暮れ」
(新古今集・巻五・秋下・四九一・寂蓮法師)
「天の原ふりさけ見れば増鏡清き月夜に雁鳴き渡る」(巻之上・秋部・二二九)
「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも」
(古今集・巻九・覊旅・四0六・阿倍仲麻呂)
「秋田もる庵に片敷く我が袖に消えあへぬ露の幾夜おきけむ」(巻之上・秋部・二六一)
「秋の田の刈穂の庵の苫をあらみ我が衣手は露に濡れつつ」
(後撰集・秋中・巻六・三0二・天智天皇)
【百人一首の談話室】 「人の世」(人生の哀愁を語る)
「世」や「世の中」を詠んだ百人一首は九首(八、十九、五十六、六十八、八十三、八十四、
九十三、九十五、九十九)有り、特に五十番以降百番までの間に七首集まっています。内訳は
「世」(二首)、「この世」(二首)、「うき世」(三首)、「世の中」(二首)となっています。
いずれの歌も共通してこの世の中が思い通りにならない憂き世であるという思いに色付けされて
います。
歌集からすれば後拾遺集以降千載集、新古今集などから特に八十三番俊成の歌以降から五首採
られていることになりますから、源平合戦から武士社会への動きの世を反映した憂き世の世相が
歌に強く出ているのかも知れません。
「拾遺集」に採られている沙彌満誓の次の歌は、万葉集の歌を本歌としている事は前述の
通りです。
人の一生を端的によく表わしている歌なので、敢えてもう一度引き出しましょう。
「世の中を何に喩えむ朝ぼらけ漕ぎ行く舟の跡の白波」(拾遺集・巻第二十・哀傷・一三二七)
「世の中を何に喩えむ朝開き漕ぎ去にし舟の跡無き如し」(万葉集・巻第三・三五一)
万葉集には第一句に「世の中」を詠んだ歌は二十二首もあります。それだけ万葉集の時代も古 今集の作者達も「人の世」に思い悩んできたわけです。大伴家持の「世の中」三首を見ましょう。
「世間は空しきものとあらむとぞこの照る月は満ち欠けしける」(巻第三・四四二)
「世間は数なきものか春花の散りのまがひに死ぬべきおもへば」(巻第十七・三九六三)
「世の中の常無きことは知るらむをこころ尽すなますらおにして」(巻第十九・四二一六)
しかし何と言っても万葉集での「世の中」歌で忘れられないのは、次の大歌人の歌です。
「世間を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば」(山上憶良・巻第六・八九三)
少し時代が下って古今集・巻十六・雑下の中の「世の中」三連歌には、次のような歌があります。
「世の中の憂きも辛きも告げなくにまず知るものは涙なりけり」(九四一)
「世の中は夢か現か現とも夢とも知らず有りて無ければ」(九四二)
「世の中にいずら我が身の有りて無しあはれとや言はんあなうとや言はむ」(九四三)
平成六年八月二十二日
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