◆ 霜 夜 ◆ この歌から想定される情景と時間としては、甚だ寂しく寒い一人住まいの宵時と
なりましょうか。きりぎりす(コオロギ)が鳴くのは、秋深まりゆき、凌ぎやすい涼しさから寒さ
が感じられる頃で、しきりに、あばら屋の住人に「寂しいなあ、寂しいなあ」と呼びかけるように、
家の廻りで徘徊するのがこおろぎです。
「霜夜」に「小筵」の上で「独り寝」る侘びしさが、こおろぎの声と共に秋の夜の闇にしみ込ん
でいくような気持ちにさせられます。
この歌の本歌は、良経の教養の深さが示すように、古今集と拾遺集からの二首の合成とされて
います。
(古今集より)「さむしろに衣片敷き今宵もや我を待つらん宇治の橋姫」
(巻十四・恋四・六八九・読人不知))
(拾遺集より)「足引きの山鳥の尾のしだり尾のながながしき夜を一人かもねむ」
(巻十三・恋三・七七八・柿本人麻呂))
ちなみに、万葉集より
「我が恋ふる妹は会はさず玉の浦に衣片敷き一人かもねむ」
(巻九・雑歌・一六九二・読人不知))
これらの和歌の要語に「霜夜」に「鳴く」「きりぎりす」を加えたのです。
ちなみに、この歌の出典である新古今集において、良経の四十五番前の歌は西行法師の次のよ
うな歌です。
「きりぎりす夜寒に秋のなるままに弱るか声の遠ざかりゆく」(巻五・秋下・四七二)
◆ 倉橋豊蔭 ◆ 藤原良経は摂政太政大臣まで栄達したにかかわらず、詠んだ歌が独り寝の 詫びしい内容ものになっています。良経と同じように官職からは不相応な歌を詠んでいる百人一 首の中の人物としては、天皇皇族以外のは高い位に就いた次の四人の歌があります。
一四番 源 融 左大臣「みちのくの」(恋に乱れる心)
二五番 藤原定方 右大臣「名にし負はば」(逢ふ恋)
四五番 藤原伊尹 太政大臣「あはれとも」(身のいたずらに)
九六番 藤原公経 太政大臣「花さそふ」(ふりゆく身)
それに、九一番藤原良経の歌を入れますと合計五名の五首になります。
これら五首の歌に引き替え、官職に相応しい歌を残しているのは、次の四首です。
二四番 菅原道真 右大臣「このたびは」(紅葉詠)
二六番 藤原忠平 関白太政大臣「小倉山」(紅葉鑑賞の忠臣)
七六番 藤原忠通 関白太政大臣「わたのはら」(沖つ白波)
八一番 藤原実定 左大臣「ほととぎす」(有明の月)
前者の五名と後者の四名とは何が違うのかと言いますと、前者は理想を求める空想家又は博学
者的性格を持った人々であるように思います。当然後世には後者の人物群の方がよく知られ、且つ、
歴史的に多くの事柄に関係した人々であるようです。一例を付け足しますと、道真(天神さん)、
忠平(延喜式)、忠通(保元の乱)、実定(逸話の多い人で、博学多才な風流人)などと言うこと
になります。
前者の人々の場合、官職からは想像もできない恋歌や憂き身を詠んだ歌が百人一首の中に入った
のでしょうか。一言で言えば、後者の人物群より、より純文学的な才能が秀でていたためという事
になるのでしょう。
源融は六条京極に大邸宅河原院を造営し、財力に任せて風流な人生を送りましたし、定方も従弟
藤原兼輔を風雅の友として和歌その他に粋な生涯を送り、伊尹は歌集「一条摂政集」を歌物語風に
なして、「大蔵史生倉橋豊蔭」なる人物を仮想し、卑官の色好みの物語をなしています。現代で言
うところの小説のはしりのような事を歌集を土台にして実行しているわけです。
公経は文学的才能は不明確ですが、九一番歌人者良経は、当初、漢詩文の素養を発揮し、後半生
では和歌の道に才能を発揮した人物で、後鳥羽天皇の信頼も厚かったため、新古今集では仮名序を
執筆し、その巻頭の歌人となり七十九首も入集し、俊成や定家の御子左家歌道を庇護しつつ、和歌
に新しい風を吹き込もうとしたことで知られ、文学的素質が政務担当能力以上に秀でていたよう
です。
多くの人々に好かれる人物ほど早逝する例え通り、わずか三十八才でこの世を去り、御子左家を
残念がらせたわけです。
◆ こおろぎ ◆ 「きりぎりす」とは、平成現代でいうところのこおろぎの古い名前で、
「蟋蟀」という漢字であるため、書くのも読むのも難しい手のかかる動物です。では、平成現代の
「きりぎりす」は昔どのように呼ばれていたのでしょうか。その鳴き声が機織りの声に似ている
ことから「はたおり」あるいは俗称として「ぎす」や「ぎっちょ」等と言ったようです。(三省堂
「例解古語辞典」及び岩波書店「広辞苑」による)
「こおろぎ」は、漢字で「蟋蟀」あるいは「蛬」等と書かれるのですが、一方きりぎりすは、
「螽斯(しゅうし)」と書くようです。「虫」扁の漢字には、いろいろの「蟲」がでてきます。
「こおろぎ」に属する昆虫の類を挙げてみますと、蛍・螢(ほたる)、蝉・蜩(せみ)、
蝶(ちょう)、 蜂(はち)、蝗・蛩(いなご)、螳(かまきり)、蜻蛉(とんぼ)等があり
ますが、もっとも実態をよく表している趣きのある字は「螢」でしょう。「清水ながるる柳蔭」
の夏の宵に光を点滅させながら飛び交っている「螢」は、火と火とが舞っているようです。
「きりぎりす」を詠った歌は、はやくも万葉集(いづれも読人不知の歌)に出ており、浅茅、
影草、あるいは庭草のもとに鳴く「こほろぎ」を詠んでいます。
「秋風の寒く吹くなへ我が宿の浅茅がもとにこほろぎ鳴くも」(巻第十・秋雑歌・二一五八)
「影草の生ひたる宿の夕陰に鳴くこほろぎは聞けど飽かぬかも」(巻第十・秋雑歌・二一五九)
「庭草に村雨降りてこほろぎの鳴く声聞けば秋づきにけり」(巻第十・秋雑歌・二一六0)
また古今集以降新古今集までの歌集で「きりぎりす」を見ますと、いづれも何故か第三句に詠み 込まれた歌が多く出ています。
「秋萩も色づきぬれば きりぎりす 我が寝ぬごとや夜は悲しき」
(古今集・巻四・一九八・読人不知)
さらに、前述の後鳥羽天皇の歌です。
「秋更けぬ鳴けや霜夜の きりぎりす やや影寒し蓬生の月」
(新古今集・巻五・五一七・後鳥羽天皇)
◆ 秋の虫 ◆ 百人一首の中で詠まれている生物は、鹿や鳥など以外に虫類では「きりぎ りす」だけのようです。古今集や藤原良経と関係の深い新古今集では、「きりぎりす」以外の秋 の虫としては、松虫が詠まれています。明治四十三年に出来た文部省唱歌「虫の声」では、 松虫、鈴虫、きりぎりす、クツワムシ、馬追いなどが出ています。
(一番) あれ松虫が鳴いている チンチロチンチロチンチロリン
あれ鈴虫も鳴き出した リンリンリンリンリンリンリン
秋の夜長を鳴き通す ああ面白い虫の声
(二番) キリキリキリキリ きりぎりす
ガチャガチャガチャガチャ くつわ虫
あとから馬追い追いついて チョンチョンチョンチョンスイッチョン
秋の夜長を鳴き通す ああ面白い虫の声
一方、それから遡ること約九百年前の平安朝の人々は、秋の虫をどう見ていたのでしょうか。
「枕草子」の清少納言は、四十一段に列挙している虫としては、鈴虫、松虫、機織り(現在の
きりぎりす)、きりぎりす(現在の蟋蟀)、その他の虫としては、蝶、ひをむし(かげろふ)、螢、
蓑虫、ヒグラシ、糠づき虫(米搗き虫)などに興味を持っていたようで、この小学唱歌での松虫、
鈴虫、きりぎりすは、全て入っています。
千年前の日本人の心を捉えた秋の虫は、千年後も変わることなく日本人に秋を与え続けている
であろう事を願うところですが、だんだん秋の虫の居所も田舎へ田舎へと追い込まれていく環境
の変化する中で、どれだけ居着くことが出来るかが問題です。
*** 百人一首の忘備録 ***
◆ 良経歌集 ◆ 藤原良経は和歌所寄人筆頭として、新古今集の仮名序にその和歌に対す
る考え方を述べたように、文芸分野でも太政大臣的な立場に立った逸才です。その文学的才能を
彼の新古今集に撰ばれた和歌に見ましょう。
春歌には、筆頭歌以外に、春の夜の月を詠んでいる良経以下三名のそうそうたる面々が並んで
います。題して、新古今集・巻一の『四春月の歌』として、
「空はなほ霞もやらず風冴えて雪げに曇る 春の夜の月」(二三・藤原良経)
「大空は梅のにほひに霞みつつ曇りも果てぬ 春の夜の月」(四0・藤原定家)
「梅の花飽かぬ色香も昔にておなじ形見の 春の夜の月」(四七・藤原俊成女)
「浅緑花もひとつに霞みつつおぼろにみゆる 春の夜の月」(五六・菅原孝標女)
又、百人一首の歌を本歌取りしているらしき良経の歌として、例えば次の歌があります。
「有明のつれなくみえし月は出でぬ山時鳥待つ夜ながらに」
(巻三・夏・二0九)(三0番「有明の」(壬生忠岑))
「舵緒絶え由良の港による舟の便りも知らぬ沖つ潮風」
(巻十一・恋一・一0七三)(四六番「由良の門を」(曽禰好忠))
「衣片敷き」的文学作品集としては
「重ねてもすずしかりけり夏衣薄き袂に宿る月影」(巻三・夏・二六0・摂政太政大臣)
「片敷きの袖の氷もむすぼれ解けて寝ぬ夜の夢ぞ短き」(巻六・冬・六三五・摂政太政大臣)
「枕にも袖にも涙つららゐて結ばぬ夢をとふ嵐かな」(巻六・冬・六三三・摂政太政大臣)
百人一首での動物としては、「きりぎりす」が詠まれましたが、新古今集では鹿の歌が多く 見られます。
「荻の葉に吹けば嵐の秋なるを待ちける夜半のさを鹿の声」(巻四・秋・三五六・摂政太政大臣)
「たぐへくる松の嵐やたゆむらむ尾上にかへるさを鹿の声」(巻五・秋・四四四・摂政太政大臣)
「草深き夏野分け行くさを鹿の音をこそ立てね露ぞこぼるる」
(巻十二・恋二・一一0一・摂政太政大臣)
◆ 新古今集の連歌 ◆ 藤原良経が撰者であり、監修的立場にあって仮名序を書いた勅撰 和歌集「新古今和歌集」の中には、同じ句を同じように使っている和歌、いわば類語連歌とでも 言うべき共通語歌が各季節毎に見いだすことが出来ます。典型的な例題が巻四・秋上の「三夕 の歌」と言われる次の三首です。
「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の 秋の夕暮れ」(三六三番・定家)
「寂しさはその色としもなかりけり真木たつ山の 秋の夕暮れ」(三六一番・寂蓮)
「心なき身にもあはれは知られけり鴫たつ沢の 秋の夕暮れ」(三六二番・西行)
まず、春題から「曙の空」(巻一・春上)、「春の曙」(巻一・春上及び巻二・春下)、 「梅の花」(巻一・春上)を採り上げてみます。
「天の原富士の煙の春の色の霞になびく 曙の空」(三三番・慈円)
「今はとて頼みの雁もうちわびぬおぼろ月夜の 曙の空」(五八番・寂蓮)
「聞く人ぞ涙はおつるかへる雁鳴きて行くなる 曙の空」(五九番・俊成)
「花ぞみる道の芝草踏み分けて吉野の宮の 春の曙」(九七番・季能)
「またやみむ交野の美野の桜狩り花の雪散る 春の曙」(一一四番・俊成)
「美吉野の高嶺の桜散りにけり嵐も白き 春の曙」(一三三番・後鳥羽上皇)
「梅の花 にほひを移す袖の上に軒漏る月の影ぞあらそふ」(四四番・定家)
「梅の花 誰が袖ふれしにほひぞと春や昔の月にとはばや」(四六番・通具)
「梅の花 飽かぬ色香も昔にて同じ形見の春の夜の月」(四七番・俊成女)
夏の題(巻三)では「ほととぎす」の「一声」を詠み込んだ次の四首があります。
「ほととぎす 一声 鳴きていぬる夜はいかでか人のいをやすくぬる」(一九五番・家持)
「夜を重ね待ちかね山の時鳥雲居のよそに 一声 ぞきく」(二0五番・周防内侍)
「ほととぎすなほ 一声 は思ひいでよ老曽の森の夜半の昔を」(二0七番・範光)
「一声 はおもひぞあへぬ時鳥黄昏時の雲のまよひに」(二0八番・八条院)
冬の題(巻六)には「雪の夕暮れ」があります。
「駒止めて袖うちはらふ影もなし佐野の渡りの 雪の夕暮れ」(六七一番・定家)
「降りそむる今朝だに人のまたれつる深山の里の 雪の夕暮れ」(六六三番・寂蓮)
秋の「三夕の歌」の仲間から言いますと、西行の歌が欲しいところです。ところが西行の歌には
「寂しさに耐へたる人のまたとあれな庵並べむ冬の山里」(六二七番・西行)
そこで「山家集」の中に「夕暮れ」の歌を探してみますと次のような歌があります。
「訪ふ人も初雪をこそ分け越しか道閉じてけり美山辺の里」(山家集・冬)
「あはれしりて誰が分け来む山里の雪降りうずむ庭の夕暮れ」(山家集・冬)
この三首から「訪ふ人」・「美山辺」・「冬の里」の用語を借用して、「三雪夕の歌」とします。
「訪ふ人も なき深山辺の 冬の里 庵寂しき 雪の夕暮れ」(中行・補欠番歌)
平成六年九月二十四日
|
|||
|
|