◆ 掛詞の連鎖 ◆ この歌には輻輳した言葉の技巧が施されていることにより、「難波江の葦」
の下に二種類の根が付いている二本の葦のような歌であり、また二種類の糸を撚って一首の歌と
したとも言えます。すなわち、次のように各句の語は二つの意味があることは、昔から各種の百
人一首解説書に書かれているところです。
かりね:(葦の)刈根と(夜の)仮寝
ひとよ:(葦の)一節と(夜の)一夜
みをつくし:(標識の)みをつくしと(恋の)身を尽くし
恋ひ:恋ひと乞ひ
わたる:(難波江を)渡ると(恋を)続ける
更に、第一句にも敢えて、二意義を持たせると次のようになります。
なには:(地名の)難波と(他のことは何も)何は、又は名には、汝庭辺
え、へ:(入り江や湾の)江と(ほとりや岸近くの)辺
あし:(植物の)葦と(仮寝の)悪し
それぞれの意味を適当に選り出すと二首以上のいろいろな和歌が出てきそうです。
(抽出例その一) 名に端辺の悪しの仮寝の一夜なれどみをつくしてや乞ひわたるべき
名には辺の、又は 汝庭辺の
(試みの歌意)名前では片隅の場所での仮寝とはいえ、一夜だけだから何とか宿を頼み続ける
しか無いなあ
(抽出例その二) 難波江は葦の刈根の一節ゆゑみをつくしにて漕ぎ渡るべき
(試みの歌意)難波の入り江の茂った葦は刈り取れられて短くなっているから、みをつくしに
沿って漕いでいこう。
「難波」と「葦」の語を使っている歌は、十九番歌「難波潟」がありますが、「難波」・「葦」・
「みをつくし」と三語も「なには」を詠い込んでいるのは、この歌のみです。
◆ 難 波 ◆ なには(おおさか)に関係する地名を詠い込んでいる百人一首は、十八番歌
「住之江の」(藤原敏行)、十九番歌「難波潟」(伊勢)、二十番歌「詫びぬれば」(元良親王)、
七二番歌「音に聞く」(祐子内親王家紀伊)と本歌の五首ですが、特に相隣る三首、十八ー十九ー
二十番歌は、「難波の三連唱」とでも言うべき類歌です。
さて「難波」は江や潟として引用されていますが、「難波」「江」と「難波」「潟」とはどう違う
のでしょうか。漢和辞典に因りますと、「江」とは河川の汎称、あるいは川、海、湖水などの陸地に
入り込んでいるところであり、「潟」とは遠浅の海岸で潮の満ち引きに因って隠れたり現れたりす
るところ、あるいは浦、湾、浜、灘などを意味するようですが、岸辺には葦が生えていて荒涼たる
海岸風景に似合うのは「難波潟」の方ではないでしょうか。
皇嘉門院別当は現場の難波江に立って作歌したのではなく、芦辺を単なる歌枕として詠ったと思
います。当時でも既に仁徳天皇朝より数百年経っており、相当寂れていたことは想像できます。
それから更に数百年、難波の地は商いの都となって天下の台所となり、さらにはそれから約四百年
後の平成六年からは、四六時中の日本の空の玄関口に変貌を遂げることになったわけです。
「難波江の 葦の間に見る 沖つ島 異国の地への みをつくしなり」
◆ みをつくし ◆ 「葦」以外に、もう一つの難波の代名詞とも言うべき言葉は、「みをつ
くし」(澪標)あるいは「水脈の串」(「広辞苑」による)で、舟が通行し易い深い水脈を知らせ
るための立ち杭のことです。
明治二十二年から大阪市の市章になっており、大阪市内を歩くと市バス、地下鉄、公園などの
市的公共物には全て使用されており、どこでもすぐ目に付きます。さらには、私鉄のマークにも取
り入れられており、簡単ながらも目立ちやすい標識(シンボル)のため、使われやすいのでしょ
うか。みをつくしの形は、ちょっと見ますと、その昔交差点に立って交通整理をしていたお巡り
さんのように見えます。
日本全国で市の数は六百以上あるわけですが、これほど古くて由緒のある市章は他にないのでは
と思います。日本国旗でさえ、制定されて百年少ししか経っていないわけですから、「みをつくし」
の標識が千二百年以上の寿命を保っていることは、驚嘆に値するわけです。
「みをつくし」の用語は次のように各歌集に入っております。
「身をつくし心尽くしておもへかもここにももとな夢にしみゆる」
(万葉集・巻第十二・相聞・三一六二・読人不知)
「君こふる涙の床にみちぬればみをつくしとぞ我はなりける」
(古今集・巻第十二・恋歌二・五六七・藤原興風)
「難波なるみをつくしてのかひもなし短き葦の一夜ばかりは」
(拾遺愚草・下・二五七0・藤原定家)
◆ 難波の三連唱 ◆ 八八番歌と「難波の三連唱」との相関性を当たってみましょう。
<一> まず、二0番歌ー八八番歌での共通用語はいずれも第四句で「身を尽くし」を導入している
ことです。この種の札はなはだ紛らわしい取り札のため、「カルタ」ではお手札になりやすいとの
ことです。違え取り歌を試みてみましょう。
「詫びぬれば 葦の仮寝の 一夜故 身を尽くしても 逢ひ渡るべし」
「難波江に 今はた同じ 一夜故 身を尽くしても 恋はむとぞ思ふ」
「詫びぬれば 今はた同じ 難波江の 身を尽くしてや 恋ひ渡るべき」
「難波江の 葦の仮寝を わびぬれば 身を尽くしても 逢はぬとぞ思ふ」
<二> 二番目の対は、十九番歌ー八八番歌で、共通用語は「難波」、「蘆」で、同じく違え取
り歌としては次のようになります。
「難波潟 葦の仮寝の 節の間も 身を尽くしてぞ 過ぐしてよとや」
「難波江の 短き葦の 一夜故 逢はでこのよを すぐしわたるや」
<三> 最後は、十八番歌ー八八番歌での共通用語は第一句の「江」と「世」・「夜」(夜)と なります。同じく違え取り歌を試してみます。
「住之江の 葦の仮寝の 夜ゆえに 身を尽くせども 人目よくらむ」
「難波江の 岸による波 夜故に 夢の通ひ路 恋ひ渡るべき」
*** 百人一首の忘備録 ***「勅撰集に見るなにはの世界」
百人一首の中で「なには」の世界を詠っているのは、元良親王の「なにはなるみをつくしても」、
伊勢の「なにはがた・・・葦の節の間も」及び皇嘉門院別当の「なにはへの葦の仮寝の・・・身を
尽くしても」などです。勅撰八代集で詠われているなにはの世界を拾ってみましょう。
(その一)古今集のまず最初(仮名序)の歌は、「難波」の「咲くや此花」です。
「難波津に咲くや此花冬ごもり今は春辺と咲くや此花」
(その二)「難波江」を詠い込んだ歌は八首有ります。
(一)「難波江の葦のはなげの混じれるは津の国かひの駒にやあるらむ」
(拾遺集・巻九・雑下・五三七・恵慶法師)
(二)「花ならでをらまほしきは難波江の葦の若葉に降れる白雪」
(後拾遺集・巻一・春・四十九・藤原範永)
(三)「難波江の葦の若根のしげければ心も行かぬ船出をぞする」
(金葉集・巻十・雑下・五九六・六条右大臣)
(四)「難波江のしげき葦間を漕ぐ舟は棹の音にぞ行く方を知る」
(詞華集・巻九・雑上・二八四・大蔵卿行宗)
(五)「難波江の葦間に宿る月見れば我が身一つもしずまざりけり」
(詞華集・巻九・雑上・三四五・左京大夫顕輔)
(六)「夕月夜潮満ち来らし難波江の葦の若葉を越ゆる白波」
(新古今集・巻一・春上・二十六・藤原秀能)
(七)「冬深くなりにけらしな難波江の青葉まじらぬ葦の群だち」
(新古今集・巻六・冬・六二六・大納言成通)
(八)「難波江の藻にうづもるる玉かしはあらわれてだに人を恋ひばや」
(千載集・巻十一・恋一・六四一・源俊頼朝臣)
(九)「難波江の葦の仮寝の一夜ゆえ身を尽くしてや恋ひわたるべき」
(千載集・巻十三・恋三・八0七・皇嘉門院別当)
(その三)「みをつくし」を詠んでいる歌は八十八番歌以外に七首あります。
(一)「君こふる涙の床に満ちぬればみをつくしとぞ我はなりける」(前出)
(古今集・巻十二・恋二・五六七・藤原興風)
(二)「詫びぬれば今はた同じ難波なるみをつくしてもあはんとぞおもふ」
(後撰集・巻十三・恋五・九六一・元良親王)
(拾遺集・巻十二・恋二・七六六・元良親王)
(三)「難波潟なににもあらずみをつくし深き心のしるしばかりぞ」
(後撰集・巻十五・雑一・一一0四・大江玉淵朝臣女)
(四)「五月雨に難波入り江のみをつくし見えぬや水のまさるなるらん」
(詞華集・巻二・夏・六五・源忠季)
(五)「住吉の細江にさせるみをつくし深きに負けぬ人はあらじな」
(詞華集・巻九・雑上・三二0・相模)
(六)「難波人如何なる江にか朽ち果てむ逢ふことなみに身を尽くしつつ」
(新古今集・巻十一・一0七七・摂政太政大臣)
(七)「数ならで世にすみのえの身を尽くし何時を待つとも無き身なりけり」
(新古今集・巻十八・雑下・一七九一・源俊頼朝臣)
(その四)「難波潟」について
百人一首に於いて、「難波三首」と言われいている中の一首である
伊勢の歌には、皇嘉門院別当の「難波江」に対して、「難波潟」の
語句が用いられています。「難波潟」の用語を勅撰八代集に見ますと、
次の十五首も見ることが出来ます。
(一)古今集 三首(巻十七・雑上・九一三・読み人知らず、九一六・つらゆき、
巻十八・雑下・九七四・読み人知らず)
(二)後撰集 三首(巻十・恋二・六二六・兼輔朝臣、巻十五・雑一・一一0四・
大江玉淵朝臣女、巻十六・雑二・一一七一・読み人知らず)
(三)拾遺集 一首(巻九・雑下・五三八・忠見)
(四)後拾遺集 三首(巻一・春・四四・読み人知らず、巻六・冬・三八九・相模、
巻十四・恋四・八二七・平兼盛)
(五)千載集 二首(巻六・冬・四三三・左京大夫顕輔、
巻十六・雑上・一0四九・円玄法師)
(六)新古今集 三首(巻十一・恋一・一0四九・伊勢、巻十六・雑上・一五五三・俊慶法師、
巻十七・雑中・一五九五・権中納言定頼)
(その五)「長柄橋」について
古今集では、最初の歌で仮名序の中に「難波津」とうたわれているのを
初め、難波に関する語句としては、「みをつくし」、「津の国」、「御津」
等と共に「長柄橋」も四首に詠み込まれています。「長柄の橋」の歌を
勅撰八代集に見ますと、十六首も見つけることが出来るのです。
(一)古今集 四首(巻十五・恋五・八二六・坂上是則、巻十七・雑上・八九0・
読人不知、巻十九・雑躰・一00三・壬生忠岑、一0五一・伊勢)
(二)拾遺集 一首(巻八・雑上・四六八・藤原清正)
(三)後拾遺集 三首(巻七・賀・四二六・平兼盛、巻十八・雑四・一0七三・前大納言公任、 巻十八・雑四・一0七四・赤染衛門)
(四)詞華集 一首(巻七・恋上・二00・平兼盛)
(五)千載集 四首(巻十四・恋四・八七四・藤原為真、巻十六・雑上・一0三0・
源俊頼朝臣、一0三一・道命法師、一0三二・道因法師)
(六)新古今集 三首(巻十七・雑中・一五九二・忠岑、一五九三・恵慶法師、
一五九四・後徳大寺左大臣)
*** 百人一首の忘備録 ***
◆ 皇嘉門院 ◆ 八十番歌人待賢門院堀河も、九十番歌人殷富門院大輔も共に当代一流の
代表的女流歌人と言われているのに、皇嘉門院別当は勅撰集に九首しか採られておらず、どの百人
一首の解説書を見ても、「百人一首に選ばれてしかるべき歌人ではない」と紹介されているのです。
もっとも九首以下の勅撰集入集の人でも百人一首に入っている歌人はいるようですが。
では何故定家は彼女を、且つ九首中のこの歌を選んだのでしょうか。いろいろの本に、いろいろの
推論が出されていますが、どれが本当かは神のみぞ知る、いや定家のみぞ知るところです。「難波
」に関連した用語からは、十八ー十九ー二十番歌からの用語が八八番歌に焦点を合わせている、
というのは前述の通りですが、名前の点から何か特徴はないのでしょうか。
平安京の門にはいろいろの名前が付いています。左京・右京を分ける朱雀大路の南端にまず羅
城門があり、大内裏十四門の中、南面中央に朱雀門が、左右に美福門・皇嘉門があり、八十番歌に
関係のある待賢門が東側に、九十番歌に関係ある殷富門は西に、内裏十七門の中南面中央は建礼
門となっています。門の位置の関係よりちょうど南面、東面、西面の門名が出ていますから、北面
の達知門あたりがあっても良いと思います。
*** 百人一首の道草 ***
◆ 別 当 ◆ 別当とはどう言う意味でしょうか。歴史用語辞典に依りますと、別の職を
担当するから別当ということで、具体的には令外官の長官や摂関家政所の長官、あるいは大寺の事
務の僧官などの官職を意味するようです。本職は皇嘉門院聖子の女官ながら臨時に百人一首を担当
させた歌人なのでしょうか。結論的には歌人の名前に、特に百人一首入集の絶対的理由はなく、ど
うも「難波江の」歌そのものの用語の複雑な撚り歌ならぬ捻れ歌に撰歌の意味するところがあるよ
うです。
「なには」さておき、この歌ほど使っている語句に、いろいろの技巧を凝らし、い「みを尽く
し」た歌はなく、語句を絡みに絡ませ、撚りに撚って、一首に編み上げたという「べき」特殊な百
人一首と言えるでしょう。・・・・ 以上が、「こうか」ああかと「もん」「もん」と迷っている
「平平点描」「べっとう」の言葉です。
平成六年六月六日
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