◆ 人間の本質 ◆ 日本人として日本語を「古文」という名称の学問として学ぶとき、
一度は必ずこの人物「西行」の前を通過しなければなりません。万葉集の柿本人麻呂や大伴家持
以降、多くの過去の著名な歌人の中にあって、西行の前を通過した多くの人々が、西行に引かれ
西行の歌を愛唱してきました。
何故このように人は西行に引きつけられるのか?
何故西行は人の心を掴んで放さないのか?
何故十二世紀の一人の日本人が八百年後も、多くの同じ日本人に影響を及ぼしているのか?
いづれの時代においても社会体制、年齢、職業あるいは物の考え方や信条とも言うべきものが
変っても、人間そのものの本質は変らないからではないでしょうか。西行が人間として感じた喜
怒哀楽が、すなわち平成現代の人々でも共感できるものであるために、八百年前の人物も現代人
の如く、生き生きと息づいているからでしょう。
今から八百年後の日本人も、どのような社会体制で、どのような生活形態になっているか知れ
ませんが、まず間違いなく西行の心を心として、西行の生き様に共感を抱く多くの日本人が必ずや
存在していることでしょう。ひょっとしますと、西行に嘆きとかこち顔と涙を与えた八百年前の
月も、千六百年経てば、人類の居住できる星になり、月に日本人が住んで青い地球を逆に見上げ
ていて、「今を去る千六百年前、人類の古巣である地球上に、西行法師なる人物が居て、月を見
上げて歌を詠んでいたとのこと、現在では、
「懐かしき 地球は歌を 思わする いにしへ人の かこち顔かな」
ですね。!」などと言っているかもしれません。
◆ 月と花 ◆ 月は西行の歌には欠かせないように思います。有名な次の辞世の歌とも言 うべき新古今集の和歌でも、月を二回用いています。
「願はくは花のもとにて春死なむその如月の望月の頃」(新古今集・巻十八・雑下・一八四五)
百人一首でも「有明の月」、「夜半の月」など十一首に月が出ていますが、「西行の月」に
近いものは、二三番歌「月見れば」(大江千里)の歌でしょう。
西行と月が如何に関連深いものであるかは、私家集「山家集」の秋歌と恋歌に「月」の歌が無数
にと言っていいぐらい多く詠まれていることからも解ります。「西行物語」に引用されている歌の
中に見ますと、採られている歌約百十首中二十三首(五首に一首)が月を詠んだ歌になっています。
「月の西行」に加えて、「花の西行」、すなわち吉野山と西行も切っても切れない組合わせです。
「山家集」には吉野山の花の歌が数十首あります。その春歌では、「花の歌あまた詠みけるに」と
して、例えば次のような歌が挙げられます。
「吉野山梢の花を見し日より心は身にも添はずなりにき」(山家集・上・春歌・六六)
「吉野山去年のしをりの道かへて未だ見ぬ方の花を尋ねむ」(新古今集・巻一・春上・八六)
「吉野山やがて出でじとおもふ身を花散りなばと人や待つらむ」(新古今集・巻十七・一六一七)
八百年前、桜を愛した西行を八百年後も桜花を愛する日本人は相変わらず彼の歌草を愛唱し続け ているでしょう。
◆ 月と旅 ◆ 「西行物語」に書かれている西行の旅先は、伊勢、東、陸奥、さらには四国と 都を出て、東に西に行く先々で月の歌を詠んでいます。
(伊勢)「神路山月さやかなる誓ひにて天の下をば照らすなりけり」(西行物語・十六)
(東路)「清見潟沖の岩越す白波に光をかはす秋の夜の月」(西行物語・二三)
(陸奥)「白河の関屋を月の漏るからに人の心をとむるなりけり」(西行物語・二七)
月を詠ませれば歴代の歌人の中で、内容と技巧ともに第一位を占めるであろう西行の月への思い 入れは、ただならぬものがあります。それこそ月を旅路の友として生涯を送った歌人と言えるで しょう。
「詠むるに慰むことは無けれども月を友にて明かす頃かな」(山家集・中・恋歌・六四八)
もしこの世に月がなかったら、西行という歌人は生まれていなかったのではないでしょうか。 「月に引かれて敷島の道に」とでも言える「月と共に」の生涯に終始したわけです。
「憂き身こそいとひながらもあはれなれ月を眺めて年をへぬれば」(西行法師家集・秋歌・一九一)
「面影の忘らるまじき別れかな名残を人の月に留めて」(山家集・中・恋歌・六二一)
◆ 月と心 ◆ 西行は月を心そのものと見ていたと思われる歌が多々あります。
「世の憂さにひとかたならず浮かれ行く心とどめよ秋の夜の月」(山家集・秋歌・一二三五)
「いかで我清く曇らぬ身となりて心の月の影をみがかむ」(山家集・中・雑歌・九〇四)
「月の色に心を清く染めましや都を出でぬ我が身なりせば」(山家集・秋歌・六四九)
「月を見て心浮かれしいにしへの秋にも更に巡りあひぬる」(山家集・秋歌・三四九)
その西行への藤原定家の追善歌は次のようになっています。
「望月の頃はたがはぬ空なれど消えけむ雲の行方かなしな」(拾遺愚草・建久元年二月十六日)
「山家集」恋歌の「月」三十七首から、月、物思ひ、涙を詠んだ歌を拾ってみましょう。言わば、 月詠歌人ー佐藤義清の歌草として、
「秋の夜の月や涙をかこつらむ雲なき影をもてやつすとて」(山家集・中・恋歌・六二二)
「恋しさを催す月の影なればこぼれかかりてかこつ涙か」(山家集・恋歌・六三三)
「うちたえて嘆く涙に我が袖の朽ちなば何に月を宿さむ」(山家集・中・恋歌・六三五)
*** 言葉の世界への散歩 ***
◆ 命令形・嘆け ◆ 第一句から命令形の「なげけ」と言う歌いかけは、非常に印象的です。
百人一首の中で命令形の含んだ歌は、十一番歌「わたの原・・・・告げよ・・・」(参議篁)と
十二番歌「天つ風・・・吹き閉じよ・・・」(僧正遍昭)が対になっており、他に七四番歌「う
かりける・・・はげしかれ・・・」(源俊頼)、八九番歌「玉の緒よ・・・絶えね・・・」(式子
内親王)、六六番歌「もろともに・・・おもへ・・・」(行尊)、十九番歌「難波潟・・・すぐし
てよ・・」(伊勢)等が挙げられます。
興味ある点は命令形が第一句(西行歌)から第五句(伊勢)まで、いろいろの所に配置されてい
る点でしょう。
◆ 格助詞・とて ◆ 第一句の格助詞「とて」に類する二字の助詞群や助動詞群が、各句に
挿入されていることに気が付きます。
第二句「やは」、第三句「する」、第四句「なる」及び第五句「かな」などです。これらの二字
からなる助詞群を助ける詞群をうまく繋いでいるのが、西行のこの歌の特徴になっているのではな
いでしょうか。
これらを抜いてみますと、「嘆き」、「月」、「物思う」、「かこち顔」及び「我が涙」となり、
当時の作歌の常套語が揃っていることになります。
◆ 嘆 き ◆ 「嘆」を第一句に入れている古今集や新古今集の歌の中にも、「なげき」の用語 の歌がありますが、例えば新古今集では、次のような二首が撰歌されています。
「嘆きつつ今年も暮れぬ露の命いけるばかりを思い出にして」(巻六・冬・六九五・俊恵法師)
「嘆かじな思へば人につらかりしこの世ながらの報いなりけり」
(巻十五・恋五・一四00・皇嘉門院尾張)
人の嘆きは多々あると見えて、漢字の「なげく」には、「歎」、「咨」、「嘆」、「嗚」、
「嗟」、「慨」、「慟」、「吁」、「哭」などなど、多くの字があります。
「歎」と「嘆」の違いは、前者が「長太息をする」のに対して、後者は「太息をする」とのこと
ですから、「歎」の方が「なげき」の度合いが大きいことになります。
西行の歌は、千載集で「嘆」、新古今集では「歎」ですから、時代が下がるほど「なげき」が
大きくなるのでしょうか。
*** 百人一首の忘備録 ***
◆ 擬人法 ◆ さて、この歌の特徴は、月があたかも意図的に自分に働きかけて
くる感情ある有機物体のように扱って詠っている点でしょう。このような物から人への
働きかけのような詠いぶりの百人一首は他にはなく、逆に人から物へ働きかけている
ものは、十二番歌(天つ風ー吹き閉じよ)、二六番歌(紅葉葉ー待たなむ)、三四番歌
(松ー昔の友)、六六番歌(山桜ー知る人)、七四番歌(山颪ーはげしかれ)、八二番歌
(涙ーたへぬ)、八五番歌(ひまーつれなし)、八九番歌(玉の緒ー絶えね)などです。
又、西行とは逆に、月を素直に感じたまま詠んでいる歌は、二三番歌「月見れば」
(大江千里)で、両首の共通語としては、「月」、「物」、「わが」(涙)と「わが」
(身)です。違え取りの歌としては、次のようになりましょうか。
「月見れば 千々に君への おもひまし 我が身一人は いよよわびしき」
◆ 吉野の花と秋の月 ◆ 西行の山家集には、吉野、花、秋、月などがふんだんに
詠み込まれています。
一。吉野の花
「吉野」を織り込んだ歌は、一句目に二十二首、二句から四句目に十首、五句目に
七首、吉野と桜を同時に詠んだ歌は十首ほど有ります。第五句目の「美吉野の山」
歌を見ましょう。
「何となく春になりぬと聞く日より心に掛かる 美吉野の山」(下・春歌・一0六二)
「霞まずはなにをか春とおもはまし未だ雪消えぬ 美吉野の山」(上・春歌・十一)
「おもひやる心や花にゆかざらむ霞込めたる 美吉野の山」(上・春歌・六三)
「散らぬ間は盛りに人もかよひつつ花に春ある 美吉野の山」
(西行法師家集・春歌・五五)
「深くいるは月故としもなきものをうき世しのばむ 美吉野の山」
(西行法師家集・雑歌・一四二二)
「雲にまがふ花の盛りをおもはせてかつかつ霞む 美吉野の山」
(西行法師家集・聞書・九0)
「花散りぬやがて訪ねむほととぎす春をかぎらじ 美吉野の山」
(西行法師家集・聞書・二四三)
二。秋の夜の月
旅先の歌枕三首
「清見がた沖の岩越す白波に光をかはす 秋の夜の月」(上・秋歌・三二四)(前出)
「水無くて氷りぞしたるかつ又の池新たむる 秋の夜の月」(上・秋歌・三二三)
「松島や雄島の磯も何ならずただ象がたの 秋の夜の月」(上・秋歌・六五八)
山の端三歌
「山の端をいづる宵よりしるきかなこよひ知らする 秋の夜の月」(上・秋歌・三二九)
「うれしとや待つ人ごとにおもふらむ山の端いづる 秋の夜の月」(上・秋歌・三0八)
「したはるる心や行くと山の端にしばしな入りそ 秋の夜の月」(上・秋歌・三一四)
露の月三首
「わづかなる庭の小草の白露を求めて宿る 秋の夜の月」(上・秋歌・三〇四)
「浅茅原葉末の露の玉毎に光つらぬる 秋の夜の月」(上・秋歌・三一六)
「葎敷く庵の庭の夕露を玉にもてなす 秋の夜の月」(聞書・九0)
西行の秋の夜の月
「世の憂さにひとかたならず浮かれ行く心定めよ 秋の夜の月」(秋歌・一二三五)
「捨つとならば憂き世をいとふしるしあらむ我には曇れ 秋の夜の月」(秋歌・一九六)
「しのびねの涙たたふる袖のうらになづまず宿る 秋の夜の月」(恋歌・六三一)
三。秋の夕暮れ
三田の秋の夕暮れ
「何となく物悲しくぞ見え渡る鳥羽田の面の 秋の夕暮れ」(上・秋歌・二九二)
「ながむれば袖にぞ露ぞこぼれける外面の小田の 秋の夕暮れ」(上・秋歌・四六四)
「吹きすぐる風さへことに身にぞしむ山田の庵の 秋の夕暮れ」(上・秋歌・九二一)
平成六年八月二十六日
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