平平点描

(百人一首随筆集)


「連 載」 第 85 歌   閨の隙間 (俊恵法師)
夜もすがら物おもふ頃は明けやらぬ閨のひまさへつれなかりけり

◆ 物おもふ ◆  この歌の出典である千載集の詞書には「恋の歌とて詠める」とあるため、この 歌は女性の立場で、通ってこない冷淡な男を詰っている内容になるわけですが、詞書きとは切り離し ても、「ものおもふ」対象や内容によっては、いろいろの気持ちを詠んだ歌として解釈し直す事が できます。例えば、九百年前の俊恵さんの時代に「物おもふ」とは、「恋事」が主たる内容であ ったでしょうが、平成現代の世の中では、甚だ複雑な社会構造の中で生活を送らねばならないこ とが、いずれの世代にも求められる事情になっているため、物心ついた少年も、もともと悩みの 多い青年も、不惑のはずの中年も、さらには老人層まで、なにかと「ものおもふ」事が多いのです。
少年の「物おもふ」事、それは自由に遊べないこと、学校教育外の強制的な私塾的勉強の生活など、 本来の少年の人間性を無視した現代少年世界では、少年なりに「物おもふ」事が多いわけです。その ために千年前には考えられない少年の自殺行為も珍しくなくなっているわけです。
青年層の悩みは、複雑な社会事情をそのまま反映して、上述の少年の世代の問題の延長と、大人の 世界の多くの矛盾の先取りをした形で、多くの課題をかかえています。殊に深刻なのは、教育、道 徳、性、犯罪、暴力、職業などでありますが、特に千年前の世界と比較して平成現代に特徴的な問 題としては、いろいろな形で新聞ニュースとなる性、犯罪、暴力でしょう。このような問題は、も はや「物おもふ」と言うような生やさしい問題とは言えなくて、「物おもふ」閑もないほど、時々 刻々と厳しい現実の結果だけが、どんどん先行しているような感じがします。
悩める中年層は、今も昔も余り変ることがないにしても、平成の高齢層の「物おもひ」は、千年前 の老年層のそれとはかなり違うのではないかと思います。人間の生活は基本的には、家族が社会の 中心にあって、何世代も可能な限り一緒に暮らすのが自然ですが、平成現代では、社会構造の変化 に伴って大家族体制が保てなくなり、核家族化が進んでいるわけです。

 ◆ 家族の絆 ◆  一つの屋根の下に暮らすのはせいぜい夫婦と子供だけで、祖父母や孫はも はや家族構成に成しえなくなっています。理由は生計の源としての職業の持ち方や、家そのもの の大きさなどのためです。更にその家族をも分裂させようとする社会動向があります。いわゆる 一家の長たる亭主の職業上の理由から「単身赴任」と称する一人離れの生活です。もはや夫婦の 別居生活と変りありません。加えて、子供の学校や就職先が親元から通えないとなると、子供も 結婚して一家を構える前から親元を離れ、一人暮らしの生活を強いられることになるわけです。 こうなりますと家族と言っても、父、母、子がそれぞれ別の場所で生活する名前だけの家族にな ります。
 子供夫婦と暮らせない老年層は、夫婦二人で暮らすときはそう長くなく、しばらくすれば、いず れ一人暮らしになり、ついには一人寂しく子供に知られることなく、この世を去らねばならない事 態になります。もともと人間は一人で生まれてきて、一人で死んで行かねばならないものなのです が、それが辛いために、人は昔からなるべく人が人に寄り添って、親子の関係を軸にして親族が集 まり、村落や一つの生活圏の人々が団結し、民族を同じくする人々が国を作り、生きて来たわけ です。
 それらの絆は時として、もともとの発想の原点である「人は一人では生きて行けないから、人が 人を頼って、人が人を助けて、生きて行くため」の家族であり、親族であり、民族であることが忘 れられて、お互いを傷つけあい、挙げ句に殺し合う行為に出てしまうこともあります。これらの 諍いは、それこそ「夜もすがら」考えても解決できない事です。場合によっては何年にも渡って 戦うことになってしまうという愚かなことを、人々は繰り返していることが多いのです。あれや これや考えますと、正しく平成現代の各年齢層の人々は、

 「夜もすがら 物おもふこと あまたありて 明けぬ闇夜の 夢やうらめし」

と言う心境でしょう。

***   百人一首の忘備録   ***
 俊恵法師独特の歌詠みの用語として「夜もすがら」及び「閨のひま」を少々考えてみます。
 まず、「夜もすがら」又は「よすがら」は、一晩中ということですが、昼の方は「ひもすがら」、 「ひすがら」、「ひねもす」、「ひぐらし」など用語は多いにかかわらず、「物おもひ」や「悩み」 が深刻になるのは、視界が閉ざされ、心の世界が見えてくる夜と言うことになります。目に入る物 も、閨の廻りの物ばかり、「閨」やふすまや雨戸ならまだしも、天井の板の節目まで、何か魔物に 想像してしまうものです。「ひま」(隙間)とは「物と物との空いたところ」と言うことですか ら、俊恵さん同様、誰しもその「ひま」には何かを期待するものです。しかし、「つれなし」(反 応なし)と言うのが常です。

***   百人一首の百人家族   ***
◆ 法 師 ◆  百人一首には法師と名の付く作者は九名いますが、いずれも秋の歌に関係が深い ようです。この俊恵法師の歌に詠まれているなかなか明けぬ夜長の頃と言えば「物おもふ頃」の秋に なります。
 八番歌(喜撰法師)と八二番歌(道因法師)は季節語を詠み込んでいませんが、五名の法師は秋の 用語を用いていることになります。

◆ 東大寺の僧 ◆  俊恵法師の親族関係についてみますと、かの敷島の道の大先達「源俊頼」 の子です。俊頼は一0五五年生まれ、俊恵は一一一三年生まれですから、俊頼五十八歳の時の子供と いうことになります。ちなみに、俊頼の父経信は一0一六年生まれですから、三十九歳の時の子が 俊頼になります。若いときの子より、年が長けてからの子の方が後世に名を残す「力」があるよう です。百人一首では、経信ー俊頼ー俊恵が唯一三代の重代歌人の名誉を担っていることになります。
 俊恵法師は和歌を父俊頼に学びましたが、十七才の時に死別し、奈良東大寺の僧になったと されています。都を遠く離れた南都東大寺で出家したことには、何か訳がありそうです。俊恵が 入山した当時(一一三0年頃)でも東大寺は既に創建(七五一年、天平勝宝三年)から三百八十 年近く経った古寺になっています。
 俊恵の入山後、五十年を経て大仏殿と大仏は平重衡の南都攻めによる源平合戦の戦火によって 消失してしまい、その再建には百人一首の隣人(八六番歌人)西行法師が尽力することになるの です。しかし、両法師とも大仏の再興を見ることなく世を去ったと思われます。

◆ 歌林苑 ◆   俊恵法師は一一五六年(保元元年)(四十三才頃)から亡くなる一二0一年 (建仁元年)(八十八才頃)まで、京都白川の僧坊に「歌林苑」と称する歌壇のサロンを主催し たことで知られています。「歌林苑」の応援団は、道因、清輔、殷富門院大輔、讃岐など、華や かです。

    平成六年七月三十一日

                             

掲載 平成16年5月7日・磯城島綜芸堂・主筆 謹言
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