◆ 時の流れ ◆ この歌は現在を真ん中に挟んで過去、現在、未来を三層に積み上げているよ
うなものです。
第一句の「ながらへば」と言う用語によって過去から未来への人の生涯の流れを述べており、こ
の一本柱に、「この頃」という現在を、「偲ばれむ」という未来での動作で繋ぎ、「憂しとみし世」
の過去を「今」という現在において、「恋し」と言う思いで繋いでいるということです。
すなわち、現在の{このごろ}と{いま}に過去と未来がそれぞれ繋がり、通して見れば、過去
・現在・未来の三段重ねになっているという構成なのです。
(過 去) ( 現 在) (未 来)
このごろ ← (しのばれむ)
ーーーーーーーーーーー→ ながらふ ーーーーーーーーーー→
憂 き 世 ←(恋し) い ま
これまでの過去を振り返り、振り返り、その度毎に「憂き」事を「恋しき」事に切り替え、切り
替えして、この人生を「ながらへ」てゆこうではないかと言う清輔の人生哲学を述べていると思い
ます。
「憂しと見し世」も「今は恋し」いと言えるまでには、かなりの時間の流れ、あるいは時の隔た
りが必要で、「憂きこと」を「恋し」とまではいかなくとも、「懐かしきこと」になかなか変えら
れるものではないのです。
自分なりの憂きことに対する考え方や受け止め方などに成長が見られないと、憂きことはますま
す憂きことに増大されて行き、もはや早く忘れてしまいたいと思うようになるものです。清輔の言
う「憂しと見し世」も、清輔自身その世では自分なりに何らかの努力を払い、自分なりに納得した
過ごし方をした上での憂き世であったからこそ、今は恋しいと言える事を心の内に醸成させてきた
のではないかと思います。
◆ 気力の老化現象 ◆ 平成の時代でも清輔のように生きてきた人は、自分の人生の過去を振り
返るとき、よく言う話しぶりです。「あの当時は、本当に辛く苦しい時代であった。貧しい上に
時間もなかったため、本当にわき目もふらず必死に働いたものだ。だから苦しかったけれども、働
きがいがあった。」等と。
過去の人生を懐かしく、又は恋しく振り返るようになれたら、ある種のいわゆる「悟りの境地」に
到達し得たと言えるのではないでしょうか。
清輔の場合、この歌を詠んだ年齢と時代では、どのような憂き事に耐えていたのか、又過去に
どのような憂きことに遭遇したのか明確ではありませんが、過去の憂きことも、今は恋しいと見れ
られるようになったことは、精神面の成熟と言うべき変化があったことになり、今後も更に「なが
らへ」ることによって、その精神に磨きがかかっていくと見て「しのばれむ」と言ったのでしょう。
これは、言葉を換えますと、その人の精神力や思考力あるいは判断力に老化現象が起こっている
証拠で、物事に対する反応の鈍化、感受性の低下と言い換えることもできるのではないでしょうか。
「憂き事」は「憂き事」として物事に毅然と対処していけるだけの精神面での強靱さがあると
きは、憂き事を恋しいことに考え直す必要は無いわけで、強靱さが無くなれば、柔軟な包容力が求め
られてくるわけです。憂き事を恋しい事に考えを転換させる方がエネルギーが少なくて済むような
気がしますし、全てがよい方向に転換していくように思えます。年の功と言われる人の老成のなせ
る技でしょうか。清輔も百人一首のこの歌を通して、昔の歌人として「偲ばれ」る人に成ったわけ
で、満足の気持ちでしょう。
◆ 尚歯会 ◆ 清輔が「ながらへば」といった年齢はどの程度の寿命を意味し、生命を長ら
えたいと思ったのでしょうか。この時代の人々には「人生五十年」以下であったことを考えますと、
せいぜい還暦までを一区切りとしたのではないかと想像します。ちなみに百人一首の中でも、約六十
名の平均年齢は五十八歳強でしたし、当該清輔自身は七十四歳で治承元年(一一七七年)六月二十
日に亡くなっております。
清輔も六十歳を越え、更に「ながらへ」て、当時の老人としては、なお元気で和歌の道に励んでい
たようで、「百人一首一夕話」によりますと、清輔は自分の年齢六十九歳より年を取っている仲間
数名(六九歳、七一歳、七四歳、七八歳、八四歳)を集め、「尚歯会」なる歌会を催し、
「散る花は後の春とも待たれけるまたも来まじきわが盛りかも」(暮春白河尚歯会和歌・一)
と詠じております。花は次の春に咲き又散るであろうに、我が身はもはや再び咲くことなく散るで あろうと。清輔の詠みは諦観の歌ですが、傑作なのは最長老の道因法師こと藤原敦頼の歌で、清輔 の歌より元気があります。
「待てしばし老木の花に言とはん経にける年は誰か勝ると」(暮春白河尚歯会和歌・二)
木に対して年齢の点で挑戦しています。敢えて木を「老」と決めつけ、なお自分の方が年を取っ ていても元気であると言いたいのです。
◆ ながらへば ◆ 平成時代は高齢化社会時代と言われ、平均寿命は男女とも八十歳に
近づいて、高齢化の一途を辿っております。高齢者になるほど、高年齢者層の生活は自分の家族と
の同居生活ではなく、高齢者だけの社会を構成しています。それは老人ホームであったり、養護施
設であったり、あるいは全くの一人暮らしの社会となっているのです。このような社会体制下で高
齢者が「ながらへば」「このごろ」も辛いもので、「憂しとみし世」が「恋し」いと思う心のゆと
りもなくなって、「またこのごろや偲ばれむ」であろう未来も不確かになってきますから、「なが
らへ」るのも憂き世を長く見ることになり、多くの憂き事に逢うこと以外の何ものでもないことに
なります。
望むらくは「憂しと見し世」を「恋し」いと思うことが出来、且つ「この頃」を懐かしく「偲ば
れむ」であろうと思える「今に生きる」事が唯一の確実な生き方でしょう。「ながらへば」次の世
が確かに「この頃」を「偲ばれむ」世かどうか、保証の限りではありませんから、もはや「憂しと
みし」過去を今「恋し」いと思えるように「ながらへ」ることなく、「この頃」を「恋し」く、と
言うより、楽しむようにしなければ、「今に生きる」又は「今に生きている」と言えないでしょう。
誰しも「ながらへば」といわれる年代にさしかかりますと、老いたる親も藤原清輔と同じ様な年
齢に達し、典型的な高齢化社会の構成員となって行きます。その親が子供時代の頃を恋しいと見て
いるか憂しと見ているかはおおよそ見当がつきます。誰しも自分も親のようであろうと思いますし、
人生の変り目は、自分の親を見て知ると言われるように、「ながらへ」ずとも、このような高齢化
社会では、「憂しとみし世」も「この頃」も、既に「恋し」と見なしている人もあれば、やはり
「憂き」ままと評価し終わっている人もあるように思います。甚だ味気のない人生かも知れません
ね。いやいや清輔さんのように常に「今は恋しき」という心の持ち方がよいのでしょうが。
*** 百人一首の道草 ***
◆ 「し」音 ◆ この歌で第三句から、第五句まで、「し」の音が四ヶ所も出てきますが、
「死」の暗示であってはいけないのですがね。
「ながらへば またこの頃も 憂き世かな 憂しと暮らしし 昔のままに」
清輔の歌の語句に少々いたずらをしてみましょう。
「ながらへて また憂き事を 偲ぶかな 憂しと見し世や 何時の日たのし」
「ながらへば 憂き世の中も 懐かしく 憂しと見し世も 今は恋しき」
【百人一首の談話室】「しのぶ」
百人一首の中で「しのぶ」の用語を含む歌は六首ほど有り、「忍草」(十四番、一00番)や
「忍ぶ」(三十九番、四十番、八十九番)の部類と「偲ぶ」(八十四番)の部類に分かれます。
又古語辞典による「しのぶ」の語義でも次のように分類されます。
(一)偲ぶ(思い慕う、懐かしむ、賞美する)
(二)忍ぶ(人目を避ける、堪える、我慢する)
八十四番藤原清輔の歌にのみ「偲ぶ」の語義が用いられていますが、この歌の中での「しのぶ」
は「偲ぶ」も「忍ぶ」も含められたものではないでしょうか。すなわち歌の意味としては、『この
頃は忍ぶ日々であるが、昔堪え忍んだ日々が今は懐かしく思い出されるように、今から何年後には
堪え忍ぶ現在を懐かしいと思うことでしょう』ということです。
言い換えますと、『今は辛い毎日も、近い将来は懐かしく、思い出されるように堪え忍ぼうでは
ないか』と言うような思いも込めながら詠んだものではないでしょうか。
従って、清輔からすれば「忍ぶ」ことが「偲ぶ」事になるのであるという人生哲学に到達して
いることになります。なるほど言われて見れば、誰しもそれに類する人生経験を持っているので
はないでしょうか。
過去を懐かしむようになれば、もはやその人は人生の黄昏時で、余命も永くないと言われてい
ます。人々の口にする言い草に「あのころは良かった」とか「あのころは楽しかった」などという
ことをよく聞きますが、「あのころ」や「あのとき」は、話のほどには、良かったり楽しかったわ
けではないのです。現在の愚痴の比較のために「あの頃」や「あの時」を持ち出してきているだけ
で、少しも良いことや楽しいことを思い出しているわけではないように思います。
現在にも現在なりに良いことや楽しいことがあるはずであり、また有ればこそ、もう数年経った
り、十数年あるいは一昔も経てば現在も楽しい良き日々の一つになっていくはずです。
「忍ぶ」事が「偲ぶ」心持ちになるためには、或程度の時間面の消化が必要であることは確か
です。人の一生に於いても昔の堪え忍んだ思い出が楽しくではなくとも懐かしく偲ばれることが
あるように、一民族の歴史に於いても同じ様なことが言えるのではないでしょうか。
例えば昭和二十年代の日本がその好例と言えます。物質的にも精神面でも完全に打ちのめされ
てしまった日本民族も、敗戦の焼け土の上に少しずつ自らを取り戻し、国を再建していった辛い
堪え忍ぶ年月が十数年続いたわけですが、平成時代の反映する時代になって見れば、敗戦から数
年の間はまさしく懐かしく偲ぶ一時期になってしまいました。
人々はいったん安楽の道を覚えてしまいますと、なかなか堪え忍んだ当時のことは思い出せな
いし、思い出したくなくなってしまうものです。その意味でも時々堪え忍んだ時代をしのぶ事は大
変重要なことなのかもしれません。これからの日本人も又何年後かは、原子爆弾の洗礼という痛恨
の堪え忍んだ歴史のことも忘れ、また自滅の悪い方向に民族が走ってしまうともかぎりません。
人類の歴史は繰り返しの歴史とも言われていますから。
平成六年五月十五日
|
|||
|
|