平平点描

(百人一首随筆集)


「連 載」 第 83 歌   道  理 (皇太后宮大夫俊成)
世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる

◆ 人生哲学 ◆  「平明な言葉にこそ真理在り」と言われることがあります。物の道理を述べ る場合、むづかしくて理解しがたい概念的な言語ばかりを並べて説明しようとしがちですが、かえ って概念の山の奥に深く入り込むことになり、明快な出口の結論に到達できなくなります。ふとし た出来事や自然現象の中に物の道理の比喩を垣間見ることが出来ることもあると思います。一つの ことを考えれば考えるほど、結論から離れていくようですが、思考の深さは深ければ深いほど解決 への手探りによる取っかかりも掴みやすいとされています。
この俊成の歌は人生に対する哲学的な問いかけのようにも聞こえますし、隅々まで知ってしまった 後の諦めでもあり、悟りでもあるようにも聞こえます。歌の中に用いられている言葉は、平成現代 の小学生でも理解できる平明な単語ばかりですから、表面的な解釈はいとも簡単に出来ます。 しかし、「世の中」と「道」と、さらに「山の奥」の「鹿」とにどのような関係があるのでしょ うか、表面的に内容を理解しようとしても理屈の立つ説明が出来ません。教科書に載っている一 般的な歌の解釈としては、次のように意味付けされています。
 「世の中」ー無常の世の中、逃れたい世の中、捨てたい世の中
 「道」  ー世を捨てる道、逃れる道、遁世の手だて
 「鹿」  ー妻恋鹿(鹿が鳴くのは女鹿を呼ぶとき)
 第一句から第三句までの上句では、世の中の煩わしさを一切捨てて逃れたいと思いこむ状態を、 第四句と第五句の下句では、鹿の声を聞いて逃れたい世の中に後髪を引かれて、現実の世界に呼び 戻される状態を対比して詠っているとみられているのです。

◆ 道 ◆   さて、この「道こそなけれ」の「道」は、単に「世を逃れたい方法」と言う ことではなく、いわゆるもともとの「道」の意味にも取れると思います。
 「道」と言う言葉の意味は漢和辞典に依りますと、通行するところや経路(例。生野の道(六十 番歌))、やり方・方法(例。恋の道(四六番歌))、学問・技芸、人の守り行うべき条理・仁義 ・忠孝等の徳義、 人が考えたり、行う事柄の道理・条理、 道理をわきまえること・分別などと 挙げられています。
 「道」を「道理」と言うように取りますと、「この世の中には道理があると思っていたものの、 人の世に住まいすればするはど、又人を知れば知るほど、道理はないと思え、あれこれ思い悩み、 考え込んでしまう」と言うのが上句の意味になり、世間を離れて道無き山道に分け入り、山の奥に 隠れ込めば、道理に思い悩むことも無いと思ったが、「その山の中でも人は居らずとも動物の牡鹿 が雌鹿を求めて鳴く声に世の中の道理を改めて思い知らされることだ」と言う内容に解釈されま しょう。
 俊成の歌をやや曲げて詠んでみます。

 「世の中に 道こそ無しと 思ひしも 山の奥には 鹿ぞ鳴くなり」
 「世の中に 道無きものと 思ひしに 奥山道に聞く 鹿の声」
 「世の中は 道無き故に おもひ入れば 奥山に聞く 鳴く鹿の声」

◆ 俊成の道 ◆   「世の中よ」と絶えず人生に深い洞察を加えながら生を噛みしめていたた め、俊成は九十一歳の天寿を全うすることが出来たのでしょう。十二世紀始めより十三世紀に懸か るまでの約百年は、まさしく白河上皇の院政による平安王朝の華やかな時期に始まり、衰退の一途 を辿る時代を過ごしたことになるわけです。この間には、保元・平治の乱、源平の合戦から鎌倉武 家政治の誕生まで、まさしく「世の中よ」と世の流れに驚き・不安・嘆き・諦めといういろいろな 感情を投げかけずにはいられない激動の百年を一身に体験したことになります。
 しかしながら、無為に世紀を見ていたのではなく、敷島の道を藤原基俊、源俊頼から受け継ぎ、 いわゆる「幽玄の家風」を確立し、「千載集」勅撰に力を注いだ点は、次代の息子藤原定家に模範 を示したことになります。晩年になればなるほど、活発な作歌活動や後進(定家・家隆・良経・慈 円・寂蓮等)を指導し、これ生涯を敷島の道に捧げたと言える人物です。考えて見れば彼の生きた 時代では、彼の生き方のように、ただただ歌の道しかなかったと言い換えることが出来ましょう。 生涯を賭けるだけの仕事があるだけでも幸せとしなければならないでしょう。

◆ 世の中 ◆   この世の中の不条理さをどのような表現で、すなわちどのような物や現象を 取り入れて言いかえようとするか、哲学的な内容だけに非常にむづかしい文学的技巧を凝らす必要 があります。
 百人一首の中では、同じ「世の中」を用いて、源実朝のように海岸の風景に無常且つ不条理な 世界を垣間見た詠みもあります。

  「世の中は常にもがもな渚漕ぐあまの小舟の綱手かなしも」(金槐集・巻之下・雑部・舟・五七二)

 古今集では川の流れに「世の中」を無常な物に見立てております。

 「世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬となる」(巻十八・雑下・九三三・読人不知)

 一方、俊成の歌の本歌とされている五番歌猿丸大夫の歌も内容の見方を変えれば、単に秋の風景 を詠んでいるのではなく、行き過ぎて行く「秋」という自然の道理に「愛しさ」を感じている歌と いうことが言えます。
 「世の中」と詠み込まれた歌はいずれも「憂き世」を嘆く詠みになっています。
 古今集の巻十八・雑下の九四一から九四三番歌の『世の中三歌』を見ましょう。

 「世の中の浮きも辛きも告げなくにまづ知るものは涙なりけり」(九四一・読人不知)
 「世の中は夢か現か現とも夢とも知らずありて無ければ」(九四二・読人不知)
 「世の中にいづら我が身の在りて無しあはれとやいはんあなうとやいはむ」(読人不知)

 いづれの歌も千百年前の歌とは思えないほど、平成現代にも合致する内容の歌になっています。
 ちなみに「世の中」と「奥山」を詠い込んだ歌もあります。人目に立たぬ奥山で、木の葉の上の 淡雪のように誰にも知られず、ひっそりとこの世から消え去りたいとの気持ちを詠んだわけです。

 「世の中のうけくに飽きぬ奥山の木の葉に触れる雪やけなまし」(古今集・巻十八・雑下・九五四)

   万葉集にあっては、太宰府での三人の歌人の世間に対する考え方を見ましょう。三人三様に諦めと 苦慮と悟りとを感じています。千二百年前の人生も平成現代の世間も変るところはありません。

 「世間は空しき物と知るときしいよよますますかなしかりけり」(巻五・七九三・大伴旅人)
 「世間を憂しとやさしとおもへども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば」(巻五・八九三・山上憶良)
 「世間を何にたとへむ朝開き漕ぎ去にし舟の跡無き如し」(巻三・三五一・沙彌満誓)

 新古今集においては、次のように詠われています。

 「世の中は見しも聞きしも儚くて空しき空の煙なりけり」(巻八・哀傷・八三0・藤原清輔)
 「世の中を思ひ連ねてながむれば空しき空に消ゆる白雲」(巻十八・雑下・一八四六・藤原俊成)

 清輔が「空しき空の煙」と見立てた如く、慈円も「富士の煙」に事付けて詠んだ歌は次のように なっています。

 「世の中を心高くもいとふかな富士の煙を身の思ひにて」
                        (巻十七・雑中・一六一二・前大僧正慈円)

俊成は常に世の中を哲学的に深く考えていたようで「思い入る」奥山に鹿の鳴く声を耳にしては 世の中を思い「思ひつらね」て、空に白雲の消えるのを眺めては、世の中を思い、身の回りに見聞 きする物にこと付けては、世の中への思考を続けていたのではないでしょうか。俊成が「世の中を 思ひ」続けているのと同じく、西行法師も次のように詠んでいます。

 「世の中を思へばなべて散る花の我が身をさてもいづちかもせむ」

                      (新古今集・巻十六・雑上・一四七0・西行法師)

***  百人一首の忘備録  ***
さて、俊成の歌は第一句が「世の中よ」と「よ」(詠嘆の間投助詞)を用いて呼びかける如く、 一人天に向かって叫ぶ如く詠んでいる点が特徴です。このような読み方をしている百人一首の歌に は、他に八九番歌「玉の緒よ」(式子内親王)と七四番歌「・・・山颪よ・・・」(源俊頼)が あるだけです。興味あることは、俊頼が俊成の師であり、かつ俊成が式子内親王の歌の師であっ た点です。先生の詠みぶりに習って、俊成は「世の中よ」と、式子内親王も「玉の緒よ」と偲ぶ る相手の男性に呼びかける如く、あるいは一人運命に向かって叫ぶ如く「よ」と詠い込んだので しょうか。

           平成六年九月十日

                             

掲載 平成16年5月6日・磯城島綜芸堂・主筆 謹言
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