平平点描

(百人一首随筆集)


「連 載」 第 82 歌   口説きの涙 (道因法師)
思ひわびさても命はあるものを憂きにたへぬは涙なりけり

◆ 憂きことと涙 ◆   道因法師はこの歌にあるように、よろず世の中の憂き事に思い悩み、 詫びながらでも命は何とか持ちこたえ、九二歳まで生き伸びることができました。それは何故か。 長生きの秘訣を教えましょう。涙なのですよ。命を何とか耐え抜かせるためには、憂きに耐えぬ涙 を命の代わりに流すだけ流せばよいのですよと。
 言われて見れば平成現代の我々も、この世の中に生きて行くには憂きに「耐へ」ぬ事が多々 あって、「思い詫び」てくると、「これでは命はいくつあっても足りない」と感じることがあり ます。その時こそ涙です。涙が全てを洗い流してくれるのです。
 今も昔も憂き世の憂き事を乗り切るには、これが唯一の且つ最善の方法なのでしょうね。平成の この頃は、特に男性は涙を流すことと流せる機会が少なくなりました。逆に言うと涙を催すだけの 感動的な出来事は、憂き世には少ないのです。
 例えば、本当なれば親が亡くなれば大の大人が人前で涙しても皆が許してくれる一つの習わしの はずですが、親の死自身涙できない憂き事なのです。すなわち、遺産相続とその分け前に係わる 肉親間の醜い争いを思うと涙する前に困惑の気持ちが先に立つわけです。純粋な人の感情を表に 出せないこの憂き世。挙げ句の果てに一人涙するところは暗い映画館の中。映画を代償として心 の汚れを一人涙で洗っているというあわれな環境なのです。

◆ 道因法師の生き甲斐 ◆  道因法師は憂き世の中を涙と共に生きながらえて九十才でも現 役歌人を意識していたとされています。もっとも彼が歌道に生き甲斐を見つけたのは七十才台か らで、歌人としての生涯に記念すべき出来事となったのは社頭歌合わせとしての住吉社歌合わせ (一一七0年・嘉応二年)と広田社歌合わせ(一一七二年・承安二年)とされています。広田社 歌合わせ後、出家して道因と号したとされています。
その後ますます両社の和歌神を信仰すると共に歌道への執着心をふくらませ、歌仲間も清輔、 俊恵、俊成と関係を持ち、時にはしつこくからみついた事もあったようです。和歌神にすがりつ くことによって歌道を己の生き甲斐として、九十才を越える長寿を得たわけですから、涙でかこち つつも憂きに耐えぬこの世の中で、或意味では幸せな一生を送ったお坊さんであったのです。

◆ 涙 歌 ◆  道因法師の歌は千載集・巻第十三・恋歌三・八一八番歌から採歌されている わけですが、この巻は涙の巻とも言うべく、全巻六十首中十首に一首が涙また涙の歌々が採られて います。
例えば彼の歌仲間の一人、藤原清輔の歌(八一六番歌)は次の通りです。

「しばしこそ濡るる袂もしぼりしか涙に今は任せてぞみる」

 ちなみに、この巻からは百人一首へ道因法師の歌以外に二首(「ながからむ」(八十番)(待賢 門院堀河)と「難波江の」(八十八番)(皇嘉門院別当))が採用されていますから、定家歌学の 面からは非常に内容の煮詰まった巻と言えるのかも知れません。
 涙の歌は古今集以来頻繁に歌集に詠出されるようになったのではいないでしょうか。古今集では 涙の用語が用いられている歌は約八首ほどあるようで、例えば巻第十一・恋歌一の『涙の四川』 (いずれも、読人不知)とも言うべき次の歌です。

(五一一)「涙川 なに水上をたずねけん物思ふときの我が身なりけり」
(五二七)「涙川 枕ながるるうきねには夢も定かに見えずぞありける」
 (五二九)「篝火にあらぬ我が身のなぞもかく 涙の川に うきてもゆらん」
(五三一)「早き瀬にみるめおひせば我が袖の 涙の川に うえましものを」

***  百人一首の忘備録  ***
 「涙」を詠んだ百人一首の歌人としてはこの歌以外には、同じ法師として詠んだ八六番歌「嘆け とて」の西行さんです。本来「涙」と法師とは甚だ無縁のような組み合わせですが、何故か、 「涙」を詠んだ作者は二人とも法師なのです。
 また、第一句の「思ひ詫び」と、第三句の「あるものを」と同じ様な詠み方の歌は、六五番歌 「恨み詫び」(相模)の歌です。いずれも「詫び」た状態に対する代償は涙になっています。

 「恨み詫び さても命は あるものを 恋に朽ちむ名 たへず惜しけれ」
 「思ひ詫び 干さぬ袖だに あるものを 憂きにたへぬは 朽ちむ名なりき」

 ここでも六五番歌と八二番歌は対の歌と言わざるを得ません。恋に命を懸け、名を懸けた平安朝 の人々には、憂きに耐えねばならぬ事は多いものです。

***  百人一首の百人家族  ***
◆ 坊主連の頭の体操 ◆  百人一首における「坊主めくり」の「坊主」に当たる人は、法師 九名僧正三名になりますが、喜撰法師を除き他の八名の法師の歌は、いずれも読みの深い歌が百 人一首に撰歌されています。九名の中六名の歌は、季節では秋に関係した歌が詠まれているわけ ですが、それぞれに人生の「綾」を巧みに捉えた、すなわち平成現代の人々の心情にも一脈通じる ところを詠っている歌のように思います。
 秋を詠み込まなかった三名の法師とは、八番歌「我が庵は」(喜撰法師)と、この八二番歌の道 因法師、および八五番歌「夜もすがら」(俊恵法師)の三名です。喜撰法師は世間の人が「憂し」と するところが、我が住まいする宇治であるという自己主張の歌になっているわけです。道因法師も 喜撰法師と同じく「憂き」をテーマ(主題)にしているわけですが、「憂き」に耐えている対象が 違うのです。一方は世間の噂、他方は命であるわけです。

 「思ひ詫び この世は憂しと 人は言ふ さてこそ命 涙するなり」
 「耐へがたき 人の憂き世に しかぞ住み 憂きにたへたる わが命かな」
 「思ひ詫び 憂きにたへぬは 涙なり さても宇治山 しかと住みけり」

 もともとこの道因の歌は、八五番歌「夜もすがら」の歌と同じように、女性の側に立って、つれ ない男性に恨み言を言う歌になっています。道因法師にしろ、俊恵法師にしろ、はたまた二一番歌 「今来むと」の素性法師にしろ、百人一首九名の法師中三名までが女性に代わって、つれない男性 を詰る歌を代作したのでしょうか。多分、歌の出来る教養高い法師の頭の体操と言うべき知的遊戯 の一種と見なさざるを得ません。
 この三人の法師が俗世にあったときのちょっとした経験を大げさに歌にしたか、あるいは女性から 恨み言を言われたことで出家を志し、挙げ句に僧侶になっても、その恨み言が頭から消えないために、 ついつい口を突いて出るのは相手の女性への恨み言になったのでしょうか。
 これだけ世の中の「憂き事」に冷静に、かつ第三者的立場で対処することが出来たからこそ、道因 法師は長生きでき、九二歳の長寿を全うしたわけです。俊恵法師とて、七八歳の生涯で、当時とし ては長生きできた部類に入ると思います。素性法師の生涯は不明ですが、多分九世紀の平安朝初期 に、七十から八十年は生き抜いたのではないかと想像します。

◆ 涙の口説き ◆  「百人一首一夕話」(尾崎雅嘉)によりますと、どうも道因法師の逸話に は涙を流すものが多いようです。
(その一)「道因歌のことに志深かりし事は七八十になるまで秀歌詠ませたまへと祈らん為に、徒ち
      にて住吉へ月詣でせられたり。或歌合わせに清輔朝臣判者にて道因の歌を負かせたりけ
      れば、わざわざ判者の許に参りじつじつ涙を流して泣き恨まれければ、清輔なんともい
      はん方なし、・・・」
(その二)「・・・俊成卿勅を奉じて千載集撰ばれし・・・・・歌の道に志深かりけるものなりとて
      十八首を入れられたりけるに、夢の中に来たりて涙を流しつつ喜びを言はるると見ら
      れければ、ことにあはれがりて、今二首を加えて二十首にせられたりとぞ。」
 いずれも八二番歌と同じ「涙の口説き」としか言い様のない話ばかりです。八二番歌はまさしく 道因法師の生涯を三十一文字にしたのではないでしょうか。

          平成六年七月三十一日

 

                             

掲載 平成16年5月6日・磯城島綜芸堂・主筆 謹言
ご感想はE−mail先へ、ご投函下さい。

フロントページに戻る。
「敷島随想の世界」に移る。
生命保険の切り替えはココ 専門学校情報が満載♪ 生命保険の切り替えはココ
[PR] | RMT葬式 費用高崎浦安大井町新越谷中国SEO対策消費者金融車 買取テンプレート沖縄旅行免許合宿二輪引越しプレゼントゴルフ会員権留学レーシックマッサージFXアフィリエイトFXホームページ制作デイトレード海外現地情報ハワイ旅行タイバンコクハワイ レンタカーベスト ハワイ ホテル レーツバリ島Hawaii hotelsHawaii Activitiesbhhrハワイホテルテキスト広告
【運営会社「パラダイムシフト」サービス】 ハワイ現地オプショナルツアーリラックマ) - ビジネスクラス航空券 - 格安航空券(1) - 格安航空券(2) - 海外ホテル - 韓国旅行 - タイムシェア - ホテル 予約
無料ホームページ - 携帯ホームページ - 無料ホームページ作成 - レンタルサーバー - ブログ - ヴィラ - ハワイ コンドミニアム - バリ島 ホテル - プーケット ホテル - タイムセル - 口コミ - 格安国際電話 - ホノルルマラソン - サイトパトロール - 誹謗中傷 - 宿泊料金比較 - 口コミ