◆ 歌題の鳥 ◆ 百人一首の中に詠まれている鳥は、山鳥(三番歌)、鵲(六番歌)、鶏
(六二番歌)、千鳥(七八番歌)及びこの歌の時鳥の五種類で、夜の部は山鳥、鵲と千鳥で、朝の
部は鶏と時鳥ですが、鳴き声を詠んだのは、千鳥、鶏、時鳥でも本当の鳴き声を発したのは千鳥と
時鳥だけです。但し、五首に共通して言えることは、どの歌でも鳥の姿は見えていません。
後徳大寺左大臣は、「百人一首一夕話」に依りますと、何かと話題の多い人のよし。加えて徒然
草(第十段)にあるように屋敷の屋根に鳶防止の縄張りをした話など、何かと鳥とも縁があるよう
で、時鳥は百人一首で唯一実定の歌にのみ詠まれています。もっとも時鳥は和歌の対象として、万
葉集では、千鳥や鶯とともに、巻第八・夏・雑歌、相聞一四六五〜一五一0及び巻第十・夏・雑歌
・一九三七〜一九六三に纏めて詠まれており、古今集では、巻第三・夏の歌三十四首中二十九首が
時鳥の歌として採り上げられており、人気の鳥と言うことになります。
なぜ時鳥が多く詠まれるのか、鳴き声が他の鳥と比較して耳に残るだけの非常に特徴のあるもの
だからでしょうか。平成現代では自然が遠くなり、簡単に時鳥の声を聞くことが出来なくなりまし
たので、辞典(広辞苑)に書いてある鳴き方を代用させてもらいますと、「テッペンカケタカ・ホ
ッチンカケタカ」となっています。ちなみに「ほととぎす」は、郭公、時鳥、不如帰、杜鵑、霍公
鳥、杜宇、沓手鳥、蜀魂あるいは子規等と書かれていますが、これほどいろいろ漢字が当てられて
いる鳥もめづらしいのではないでしょうか。
◆ 歌と感覚 ◆ この歌の特徴は、視覚(有明の月)と聴覚(時鳥)の世界をうまく詠み込 んでいることにあると言えます。時は朝方の有明の頃合いに、まず耳に飛び込んできたのが、鳴き 声に特徴のあるほととぎすの一声だったわけです。貫之の詠んだように、自然と時鳥の声の方に目 も向きましょう。
「夏の夜の臥すかとすれば時鳥鳴く一声に明くる東雲」(古今集・巻第三・夏・一五六)
それは声の主である時鳥を見たいからです。多分時鳥は鳴いてから飛び去ったと見えて、あたり に姿は見えません。時鳥というのは飛び来たって鳴くのか、飛び去るときに鳴くのかいずれの習性 でしょうか。時鳥の代わりに目に飛び込んできたのが「有明の月」で、時鳥は自分の姿の代わりに 「有明の月」を残して、飛び去っていったわけです。しかし、残念な気持ちが残っているというよ りも、時鳥が置いていった月のお土産物に何か清々しい、新たな発見をしたような喜びさえ印象と して残る様な詠み方になっています。 聴覚の世界から視覚の世界へ、さっと対象を切り替えられ たことによる新鮮さなのでしょう。
◆ 時鳥の和歌集 ◆ 実定は月と郭公の組み合わせにはかなりご執心であったのではないかと 思われるもう数首の歌があります。一首は彼の私家集「林下集」に載っています。
「ながむれば有明の月に影見えていづち行くらん山時鳥」(林下集・上・七十)
他の三首は新古今集・巻第三・二一0〜二一二番歌です。
ー後徳大寺左大臣家に十首の歌詠み侍りけるに、詠みてつかはしけるー
二一0番 我が心如何にせよとて時鳥雲間の月の影に鳴くらむ (皇太后宮大夫俊成)>br>
二一一番 時鳥鳴きているさの山の端は月ゆえよりも恨めしきかな (前太政大臣頼実)
二一二番 有明の月は待たぬに出でぬれどなほ山深き時鳥かな (権中納言親宗)
いずれの歌も実定の歌と同様に耳に時鳥、目に月を掴んでいるものの、実定の歌のように詠者の 動作や時の流れはあまり感じられません。実定の歌が一声高く響いているように聞き取れます。
これらの三首よりも実定の歌により近い詠いぶりは、玉葉集巻三・夏歌に三首見られます。
「時鳥過ぎつる方の雲間よりなほ眺めよと出づる月影」 (三三0・宣秋門院丹後)
「時鳥声さやかにてすぐる跡にをりしもはるる群雲の月」(三三一・九条左大臣)
「時鳥鳴きつる雲を形見にてやがてながむる有明の空」(三三二・式子内親王)
時鳥のもうひとつの名前に、冥土に通う鳥としての「死出の田長」があり、「死出の山路」を越え
ていく人を案内する役目をもっていると言われています。
古今集には次のように時鳥が詠まれています。
「幾ばくの田を作ればか時鳥死出の田長を朝な朝な呼ぶ」(巻十九・雑躰・一0一三)(藤原敏行)
「時鳥今朝鳴く声に驚けば君に別れし時にぞありける」(巻十六・哀傷・八四九)(紀貫之)
「亡き人の宿に通はば時鳥かけてねにのみ鳴くと告げなん」(巻十六・哀傷・八五五)(読人不知)
平家物語の最後の巻である「灌頂巻(一00)」で最初に出てくる歌は、時鳥の歌です。
「ほととぎす花橘の香を止めて啼くは昔の人や恋しき」
更に物語り最後の歌も時鳥です。
「いざさらば涙くらべん時鳥我も浮き世にねをのみぞ啼く」(建礼門院)
死出の田長には誰しも用事がありましょう。
「時鳥 いざ事告げよ 同胞に 死出の旅路は 恙なきやと」
「名にし負はば いざ事とはん 時鳥 我が同胞は 安らけしやと」
*** 百人一首の忘備録 ***
◆ 聴 覚 ◆ 百人一首に詠まれている音の世界は、動物の鳴き声として、鹿(五番歌、
八三番歌)、鶏の空音(六二番歌)、千鳥(七八番歌)、きりぎりす(九一番歌)、自然現象の
音としては、風(二二番歌、三七番歌、五八番歌、七一番歌)、滝の音(五五番歌)、波の音
(四八番歌、七二番歌)などですが、このうち「音」という語句を引用されているのは五五番歌と
七二番歌です。又、人の作り出す音としては、衣を打つ音(九四番歌)が詠まれています。百人一
首の五感の世界では、視覚の世界を対象としたものが多いのですが、聴覚の世界以外に触覚(一、
十五、六五番歌)、嗅覚(三五、六一番歌)の世界も詠まれております。(第三十五話参照)
もっとも、聴覚と視覚の両方を詠んだものは実定の歌のみです。
◆ 子 規 ◆ ほととぎす・子規から思い出される人は、正岡子規です。平成六年七月三日
付けの新聞(産経新聞)欄で正岡子規が紹介されているように、正岡子規の本名は常規で、明治
二十二年に肺結核で吐血して以来、「鳴いて血を吐くホトトギス」と詠んで、子規としたと言われ
ていますが、当然当時は不治の病とされた結核にかかったこともあって「死期」を予測し、冥土に
通う鳥としてのホトトギスも意味する「子規」(死期をも意味するか)という名を付けたのではな
いでしょうか。このホトトギスは彼の俳諧での流派名にもなり、子規の跡を継いだ高浜虚子は雑誌
「ホトトギス」にも、その名を引き継いだわけです。松岡子規のわずか三十六年の生涯も、その半
生は病床での結核との闘いに明け暮れた人生であったわけですが、生涯に俳句一八0五六句、短歌
二三三九首を残しています。
子規は和歌の道に写生主義を唱えた人で、「歌人に与ふる書」の中で、万葉集を良しとし、古今
集は誠に「下らぬ歌集」とし、特に紀貫之を「下手な歌詠み」とする一方、源実朝の早死を悼み、
「今十年も生かしておいたなら、どんなに名歌をたくさん残したかも知れない」と言っていますが、
極論と言わざるを得ません。
*** 百人一首の道草 ***
実定流の聴覚と視覚の世界を読んでみます。「ほととぎす」の替わりに「きりぎりす」(九一
番歌)、「鹿」(五番歌、八三番歌)、「千鳥」(七八番歌)などを持ち込んでみましょう。
(きりぎりす)「きりぎりす 啼きつる方を ながむれば ただ萩の間に 月ぞこぼれる」
「きりぎりす 啼きつる方を ながむれば 苫屋のひまに 漏れる月影」
(鹿) 「鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋かなし ただ奥山は もみぢ降り積み」
「山の奥 鹿啼く方を ながむれば 道無き道に ただ思ひ入る」
(千鳥) 「須磨の関 千鳥泣く沖 ながむれば ただ淡路島 影ぞ浮かべる」
動物以外の音として滝の音を考案してみますと、五五番歌(滝の音は)は次のようになります。
(滝) 「滝水の 流れる方を ながむれど ただ碑の 名古曽残れる」
平成六年七月三日
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