平平点描

(百人一首随筆集)


「連 載」 第 78 歌   淡路と須磨 (源 兼昌)
淡路島通ふ千鳥の鳴く声に幾夜寝覚めぬ須磨の関守

◆ 世紀の大工事 ◆  一九八八年(昭和六三年)五月より工事が開始され、平成に入って本格的 に建設を急いでいる本四連絡橋明石大橋は、平成五年に橋梁を支える主柱二本の据え付けが完了し、 いよいよ平成六年からは橋桁の工事に入ろうとしています。
 昭和の大工事と称される一大建設プロジェクトは、次のような物件が挙げられます。

鉄 道 分 野その他の分野
東海道線丹那トンネル(一九三三年)
関門海底トンネル(一九四四年)
東海道新幹線(一九六四年)
青函海底トンネル(一九八八年)
文化遺産ー法隆寺大修理(一九三四〜一九五五年)
電源開発ー佐久間ダム(一九五五年)
高速道路ー名神高速自動車道(一九六三年)
長大橋梁ー本四連絡橋瀬戸大橋(一九八八年)

 これらの大事業によって本土と四国、九州及び北海道は鉄道によって結ばれたわけです。さらに 本四連絡橋については、あと二道有り、西瀬戸自動車道(尾道と今治間)及び瀬戸大橋(児島と 坂出間)が架かることによって、四国へは三本の連絡橋で行き来することが出来るようになります。

◆ 明石大橋 ◆  明石大橋は後世の人々から平成の大工事として語り継がれていくことでし ょう。完成の曉(一九九八年)には世界一の吊橋になるわけですから。
 この明石大橋工事に一つの問題が提起されました。平成六年六月十七日の新聞(読売)によりま すと、当該建設公団は、既に開通していて明石大橋の先例となった瀬戸大橋の橋桁を繋ぐ部分で問 題が発生したため、その原因を明確にした上でないと、橋桁工事に掛かれないとしています。
 明石海峡は明石と淡路島北端の間、わずか四キロメートルほどの距離ですが、架橋するためには 大変長い距離になるため、十年(一九八八ー一九九八年)の大工事になっているのです。
 平成の今でこそ橋を架ける話になっているわけですが、万葉の昔は「明石大門」として大きな 海峡であったわけです。万葉集・巻三に柿本人麻呂は詠っています。

 「灯火の明石大門に入らむ日や漕ぎ別れなむ家の辺り見ず」(巻第三・二五四)
 「天ざかる夷のなが路ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ」(巻第三・二五六)

 明石海峡は、播磨の海と難波の海を東西に隔てる狭間で、紀淡海峡は紀州の海と茅渟の海を南北 に隔てる海峡です。古代では俄然明石海峡の方が交通は激しかったわけです。

◆ 千 鳥 ◆   さて、この歌の主人公は関守ですが、千鳥とも取れます。千鳥が淡路島と 須磨の間を行き来する度に関守が目を覚ますという情景ですが、どことなく愉快な心地よい夢と現の 状態で聞いている鳴き声が想像されます。
 本歌として、源氏物語須磨(二一0)でも次のように詠っています。

 「友千鳥諸声になく曉は一人寝覚めの床もたのもし」

 千鳥の声に寝られぬ夜を嘆いている関守という歌ではないはずですし、千鳥の声が寝られぬほ どやかましいという不粋な話でもありません。
 歌の解釈として、千鳥は淡路島へ飛んでいこうとするのか、淡路島から飛んできたのか、夕方か 夜か明け方なのか、いろいろの情景が思い浮かびます。千鳥は夜間行動するのでしょうか。本歌や 定家の歌では明け方としています。

 「旅寝する夢路は絶えぬ須磨の関かよふ千鳥の曉の声」
                    (拾遺愚草・上・二四三・藤原定家)
 海峡を飛ぶ習性があるとすると南から北へ、あるいは北から南へ、群をなしてか、てんでばら ばらか。千鳥はなぜ須磨と淡路島を行き交うのか、餌を求めて行き交うのか。さらには、一体関守 はなぜ寝覚めるのか。歌からは千鳥の声によって目覚めると言うことになっていますが、むしろ 千鳥の鳴き声に何かを思い出して、はっと寝覚める関守ということの方が、歌の意味が深くなり ます。関の守りに就いているわけですから、ゆっくり安眠しているわけではありません。明け方 うとうとしているとき、千鳥の曉の声に目が覚めるとするならば、定家の歌もよく分かるように 思います。任務を思い、家族を思い、自分の将来を思い、あれこれ思いを巡らしていることでし ょう。じっとあれこれと思いに耽っていたいところを、千鳥の鳴き声に夢うつつの状態から現実 の自分に引き戻されると言うことを詠いたかったのではないでしょうか。

 「淡路風 関吹きこゆる 度毎に 心涼しき 須磨の旅人」
                               (註)在原行平と兼昌の違え取り歌  「淡路より 吹き寄る秋の 関の風 千鳥の声添ふ 須磨の浦波」
                             (註)壬生忠見と兼昌の違え取り歌  「逢はじし間 思ひあかしの 浪千鳥 泣く泣くぞ聞く 須磨の待ち人」

        (註)権中納言公経(新古今集・一三三一)と兼昌の違え取り歌

この歌の構成は、北に「須磨の関」が、明石海峡を挟んで南に淡路島があり、その中を取りも つのが「通う千鳥」となっています。
 百人一首では、東方面の関としては逢坂の関(十番及び六二番歌)、西国方面の関としては須 磨の関が対照的に選ばれており、島も太平洋岸より、陸奥の雄島(九十番歌)が、日本海より隠岐 の代名詞として八十島(十一番歌)が、瀬戸内海の代表として淡路島が選ばれています。

***  百人一首の忘備録  ***
◆ 淡路島 ◆   この島については、日本書紀巻第一・神代上でも、国生みの最初に淡路洲が 誕生しているように、大八洲国の形成の先頭を切っているわけです。以来万葉集や平安和歌には 多くの歌に詠われている日本で最も古い歴史を有する島です。例えば、九七番歌(藤原定家)の 中の松帆の浦もそうですし、次の柿本人麻呂の歌での野島も淡路島の北西岸地域です。

 「玉藻刈る敏馬を過ぎて夏草の野島が崎に舟近づきぬ」(万葉集・巻第三・二五0)

◆ 須 磨 ◆   歌枕の須磨について考えるとき、白砂青松・風光明媚の地、月の名所、関蹟、 行平の流謫地、源平古戦場、源氏物語、箏曲などが広辞苑に言及されています。現在わづかに白浜 と松林を残していますが、国道や高速道路を行き交う自動車に色あせ、電車の線路が所狭しと何本 も狭い海岸を東西に走っている騒音に鳥の声もなく、誠に殺風景な一海浜に変貌しています。
 兼昌の時代の十二世紀では、千鳥の通う海峡であったものが、平成の世では橋が架かり、自動車や 電車が行き交う道になってしまうわけです。さぞかし千鳥も驚いているのではないでしょうか。難 波への入り口になる明石海峡には橋が出来て賑やかになり、南の紀淡海峡近くでは、飛行機の飛び 交う空港が出来て、難波津や茅渟の海もますます千鳥の居場所がなくなります。昔寝られなかった のは須磨の関守で、今寝られないのは明石の千鳥ではないでしょうか。

「淡路島 通ふ車の 騒音に 夜毎寝られぬ 明石の千鳥」

***  百人一首の道草  ***
さて、「芸談」と題された新聞文芸欄(平成六年六月十五日付読売新聞)に、「淡島千景」さん が紹介されています。彼女は七十歳になっても、なお現役の舞台女優として活躍しておられるわけ ですが、宝塚音楽学校を卒業後、映画界に入り二百本を越す映画に出演されています。宝塚音楽 学校生の芸名は百人一首から採られているという事ですから、彼女の百人一首に関する歌がある とすれば、それは七八番歌源兼昌の歌でしょうか。 もっとも「淡(路)島千鳥」さんではなく、 「淡島千景」さんです。もう一人「淡路恵子」という女優さんもおられましたが。
(註)百人一首芸名については「百人の歌園」第四景参照

平成六年六月十七日

                             

掲載 平成16年5月5日・磯城島綜芸堂・主筆 謹言
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