平平点描

(百人一首随筆集)


「連 載」 第 76 歌   空と波 (法性寺入道前関白太政大臣)
わたの原漕ぎいでて見れば久方の雲居にまがふ沖つ白波

◆ 夏の海 ◆  平成六年の梅雨は、七月上旬の「梅雨明け宣言」と共に終りを告げ、毎年の夏に 違わず蒸し暑い日本独特の季節が巡ってきました。夏と言えば海での海水浴であり、山への登山で あり、入道雲と夕立と夏祭りに花火など、たしかに平成の夏は、平安朝に清少納言などが体験した 夏から千年も経過すると、その趣と風物の内容ともに変わってきていると思います。
 清少納言は、「夏は夜。月の頃はさらなり、闇に螢とびちがひたる。雨など降るさへをかし。」と、 枕草子に触れていますが、夜、月、雨はともかく、螢は見かけなくなりました。当時の貴族の遊び とその行動範囲はごく限られたものであったと思われますが、例えば、遊びとしての大堰川での船 乗りも現代の人々の趣味と遊びからしますと、誠に単純で素朴なものです。船遊びではせいぜい川止 まりで、海原に漕ぎ出すものではなかったと思いますが、忠通の歌は夏の海のような風景を雲と 白波を取り込んで歌い上げたわけです。

 百人一首の中にあって、明るい光景をおおらかに、また心晴れやかに、ゆったりとした気分で詠ん でいる歌は、唯一七六番歌です。事実、百人一首の歌人で、最も長い名前は「法性寺前関白太政 大臣」の十二文字のお名前の持ち主ですから、ゆっくりと読み上げますと、大変時間のかかる如 何にも平安貴族を代表するような悠々たるお名前です。

 忠通の歌に比較的近い自然の叙景歌としては、八七番歌(寂蓮法師)「村雨の・・・」や六四 番歌(藤原定頼)「宇治川の川霧」、特に四番歌(山部赤人)「田子の浦に」の歌が挙げられま す。赤人の歌では「浦に打ち出で」るのに対して、忠通の歌では、海原に「漕ぎで出」た差があり ます。二人の歌を足して二で割りますと、

 「田子の海 漕ぎ出でて見れば 白妙の 雲居に浮かぶ 富士の高峯」

 この歌から受ける想像景は、西洋美術館でフランス印象派絵画を鑑賞しているといった情景で す。詞華集の詞書には「海上遠景」という題詠、つまり課題から受ける自分の心に描いた情景を歌 にしたものと言うことですから、絵画を見て想像したことを詠んだという事と同じです。
 忠通は遠望するのがお好きとみえて、この歌の一番前には次のような歌があります。

 「おもひかねそなたの空をながむればただ山の端にかかる白雲」
(詞華集・巻第十・雑下・三七八・関白前太政大臣)

 百人一首の中には、臨場感のある歌が所々にありますが、本当に現場で詠んだ歌はどのくらい有 るのでしょう。この歌のように、題詠のものや十七番歌「ちはやぶる」の在原業平のように絵を見 て詠んだものもかなりあると思われます。

◆ 想像と創造 ◆  平安京当時の上流貴族は、地方官として地方へ旅立つことはほとんどなく、 生涯を京の都の中あるいはせいぜいその近郊止まりで、一生に一度か二度、畿内のいずれかに旅す る程度であったと思われます。上賀茂神社の葵祭も、大内裏から神社まで、一里以内のほんの二、 三キロメートルの距離ですから、平成の京都の人々にとっては、ほんの家の庭先という感じでしょ うが、当時の大内裏内の貴族にとっては一年に一度の大旅行であったと思います。この機会に普段 見られない野外を見聞きすることに最大の関心を置いていたのでしょうか。又限られた情報源の書 物や人の話でため込んだ知識を自分で見聞きした内容で補って、自分なりの事物やものに対する考え 方を養っていたと考えます。従って一つのことから、別のことを想像する能力は平成の現代人以上に 発達していたと思います。「題詠」などはその典型的な頭の訓練であり、知識を披露する演習問題 だったわけです。

「想像は創造の力なり」とは、想像する能力が高ければ高いほど創造する力も強いことの譬えと されています。平安朝の人々の方が創造する力が平成現代人より優れていたのではないでしょうか。 例えば、日本独特の文化が育ったのも平安朝です。ひらがなやカタカナの発明、日本仏教の興隆、 源氏物語など女流文学の誕生、和歌集の編纂等です。
 平成の時代のように情報過多になりますと、創造する必要が無く、創造する前に正解が与えられる ため、創造する力が退化してゆき、ついには与えられる情報以外、何も創造しないという能力の低下 した民族に成り下がっていくのではないかと心配されます。千年後の日本人に平安朝の人々の様な想 像力は維持されているでしょうか。

◆ 保元の乱 ◆    藤原忠通の歌は、小手先の言葉の技巧を妄りに用いず、歌の調べは堂々 としていて、万葉調の格調を保っているとされています。長い名前に代表されるように忠通卿は二 十五歳の時、関白になって以来、鳥羽天皇、崇徳天皇、近衛天皇、後白河天皇に仕えられ、白河上 皇、鳥羽上皇の時代に摂政、関白、太政大臣の地位に長らく就いていた人物で、まさしく位人身を 極め、文道中興の祖としてその才能は子の慈円、孫の良経に引き継がれたと見られています。残 念ながら、保元元年(一一五六年)保元の乱に巻き込まれ、天皇家、藤原氏、平氏、源氏が双方敵 味方になって、兄弟や叔父甥の間で戦かわざるをえなかったのです。 忠通自身は後白河天皇側に ついて、父忠実や弟頼長に対抗したため、保元の乱から少し後の平清盛に対する平重盛のような、 忠と孝の板挟みの苦しい立場に立たされたわけです。
 七六番歌と同じように、遥かな空のかなたに目を遣っている彼の歌としては、次のようなものが あります。

 「吉野山峯の桜や咲きぬらん麓の里に匂ふ春風」(金葉集・第一・春・三六)
「水無月の照る日の影は射しながら風のみ秋の景色なるかな」(金葉集・第二・夏・一四五)

さらには、前述の山に懸かる白雲の歌(詞華集・巻第十・雑下・三七八)があり、仏教の心髄を 本当に理解していたのではないかと思われる次の様な歌があります。

 「よそになど仏の道を尋ねけん我が心こそしるべなりけれ」(詞華集・第十・雑下・四0九)

***  百人一首の忘備録  ***
 第一句に「・・・の原」を持ってきている歌は他に三首有り、七番歌「天の原」(阿倍仲麻呂)、 (「見れば」、「出で」も同じ)、十一番歌「わたの原」(小野篁)および二七番歌「みかの原」 (藤原兼輔)です。このうち十一番歌には「漕ぎ出で」の語句まで同じになっているものの、歌の 背景は雲泥の差と言えます。

 「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でて 見れば月影 雲居と波間に」

 第三句の「ひさかたの」は、三三番歌「ひさかたの」(紀友則)と対になっている枕詞です。 重ね合わせてみますと、

 「わたの原 漕ぎ出でてみれば ひさかたの 光のどけき 春の白波」

 第四句の「雲居にまがふ」の雲は、三番後の七九番歌「秋風に」(藤原顕輔)の「たなびく雲」 と対になっている用語で、且つ雲の形が似通っているように思います。但し前者は昼の雲で、後者 は月夜の雲になります。

 「ひさかたの たなびく雲に まがふ波 沖より出づる 月のさやけさ」

 第五句の「沖つ白波」の沖は、九二番歌「我が袖は」(二条院讃岐)と対になっている「沖」の 用語です。

 「わたの原 潮干に見れば 沖の石 来る白波に 乾く間も無し」

 平成六年六月十九日

                             

掲載 平成16年5月5日・磯城島綜芸堂・主筆 謹言
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