◆ 節 目 ◆ 現代人にはその生涯で年齢を追うに従って、何度か生活が一変するような
変わり目を迎えねばならないときがあります。子供の頃は、義務教育、高校や大学への進学、社会
人としては、就職、結婚、定年などです。特に各個人が社会への貢献という点から重要なのが、
学ぶ社会から働く社会に転換させられる就職という時点ではないでしょうか。
平成六年七月も例年通り、来る三月に学校を卒業する予定者が希望する会社へ就職するための
訪問が解禁され、採用内定まで厳しい競争に加わって行かねばならないのです。 就職を希望する
大学生の数と、企業求人数の関係はその年毎の社会情勢によって大きく変わります。平安朝では
職業選択の自由などといった社会契約は有りませんし、職業そのものも数えるほどしか有りませ
んでしたから、就業事情は全く違います。但し、限られた社会の中での限られた人の間では、い
ろいろな闘いがあったのです。上は太政大臣から下は下級官僚まで。
就職を希望する大学生を世に送り出す大学の数は、国公立校約百四十及び私立校約三百九十計
五百三十校で、在学生二百三十万人の中、約五十〜六十万人が就職戦線に参加していることにな
ります。平成七年春に就職できる人は、人気の企業ほど当然競争率が高いため十人に一人と言う
ところもあるようです。実力の差だけでなく、いろいろの人のつてを頼って、より有利に希望を
達したいのは誰しもでしょうし、採用する側の企業にしても、より確実な手段を執って人材の高
い選定基準を持ちたいところでしょう。
◆コネクション◆ 今を去る千年前の貴族社会に於いても類似の事情がこの百人一首に残されて
います。藤原基俊は歌人としては、俊成・定家の先生であり、歌人以上に歌学者としての実力は
藤原俊頼と競うような立場にあったのですが、子供の光覚のことになると世間一般の親と変わる
ことなく、子供の就職のためにはあれこれと顔の利く「やんごとなき」人々に手を回し、手を尽
くし、頭を下げ回ったようです。
このような気持ちは何時の世の誰にもあるのです。まさしくかの藤原兼輔(百人一首二七番歌
作者)の詠んだ次のような歌の通りです。
「人の親の心は闇にあらねども子を思う道に惑ひぬるかな」(後撰集・巻十五・雑一・一一0三)
◆ ぼやきの基俊 ◆ 基俊は子供のことを関白忠通(七六番歌作者)にお願いしたところ、
「任せておけ」と言うあやふやな、露の様に心許ない言葉のみを頼りにして、「今年こそ」と思っ
ていた希望が叶わなかったので、「ぼやきの基俊」か「ひがみの基俊」と思われるような歌を作っ
て残念がったのです。
新古今集(巻二十・釈教歌・一九一七)にある清水観音の歌は、
「なほ頼めしめぢが原のさせも草われ世の中にあらむ限りは」
ですが、この歌を軸にして、頼んだ基俊と頼まれた忠通は詞華集でつぎのように詠みあっています。
まず忠通の歌(二四六番歌)は、基俊の百人一首の歌を織り込んだかのように、「来ぬ」、
「恨み」、「契りおきし」等を用いて、次のように詠んでいます。
「来ぬひとを恨みも果てじ契りおきしその言の葉も情けならずや」
(詞華集・巻第八・恋下・二四六)
一方、基俊の歌(二六二番歌)は、百人一首の「しめじが原」に対して、浅茅が原を引っぱり
出し、且つ「露」や「枯れ」などの得意の語句を用いて、悲観論者として基俊の性格丸出しの
歌となっています。
「浅茅原けさおく露の寒けさにかれにし人のなほぞ恋しき」(詞華集・巻第八・恋下・二六二)
どうも不確実な「露」に基俊は強く固執していたのではないかと思います。
元々「露」はこの歌の「させも」・「命」・「秋」の縁語として用いられていますが、元来草の
葉の上の露、涙の代名詞、露の量からして僅かなこと、少ないこと、あるいは副詞として、少しも、
全く、などに多用されており、「露の命」や「露の世」として、現代でも活きた用語として使用さ
れています。
「露の世の 露の命の 露の身は 露ばかりとて 露ながらへじ」
「葉末より こぼれ落ちにし 露の身の いつか結ばむ 玉露として」
「人は皆 はかなはかなの 露の世に 露も知らじな 露の身なるを」
基俊は父親俊家が右大臣であったのに、自身は従五位上の位止まりの中級官僚の端くれにしか加
えてもらえず、俗世に諦めをつけて出家したそうです。性格的に欠点があったようで、「百人一首
一夕話」によると、「人に誇りて当世を見下し、とかく人を非難することを好まれければ誹りを得
らるること多かりし」と書いております。
さてさて人生の節目には、基俊流の嘆き、ぼやき、悲嘆、さては、絶望することが多々あるもの
です。例えば、受験や結婚についてぼやいてみますと
(受験)「天神に 祈りし学の 道なれど あはれ今年も 桜散りけり」
(結婚)「契りける その言の葉を 命にて あはれ今年ぞ 逢ふよしもがな」
この嘆きは千年後の人々も同じように実感しては歌に詠んでいるのではないでしょうか。
千年前に「契りおきし」事が「あはれ」千年後の大願成就に繋がることになるとすれば、平成の世の
人々は願をかけて、千年後に望みを繋ぐでしょうが。桓武天皇が千年も万年も京の都が国の中心で
あれと願いましたが、歴史の事実からは鎌倉や江戸へと都が移っていったことを考えますと、千年
も持たなかったことになります。果たして、千年後の都ぞいずこ・・・・。
*** 百人一首の道草 ***
◆いぬめり◆ この歌の用語も例によって他の百人一首の歌に用いられているものばかりです。
契り:「契りきな」(四二番歌)、させも:「さしも」(五一番歌)、
露:「露」(一番歌他)、 命:「命さへ」(五十番歌)、
あはれ:「あはれとおもへ」(六六番歌)、秋:「秋は」(五番歌)
等ですから、結局基俊独自の用語としては、「今年」と「いぬめり」と言うことになります。
「いぬ」ものを季節毎に追ってみますと、つぎの四季の歌になります。
まず、春は、入学や就職の季節です。基俊の時代では官職の発令は秋の秋(とき)であったので
しょうか。
「雲居より 頼めし光 射し込まず あはれ今年の 春もいぬめり」
つぎに平成年代に入ってからの夏は時々異常気象となる時があり、ちなみに平成五年の夏は長雨 と冷夏の年でした。
「台風と 寒き長雨 降り止まず あはれ今年の 夏もいぬめり」
秋になりますと、紅葉の季節を迎えます。
「身も染まる 燃ゆる紅葉は 散り果て あはれ今年の 秋もいぬめり」
冬の訪れはすべてのものの活動を閉じこめるが如くです。
「ゆき果てて 終に我が身も ふりつもり あはれ今年の 冬もいぬめり」
「あはれ」にもふりゆくものは、雪や年だけではなく、
「年毎に 降る雪見れば 年ふりぬ あはれ頭に 雪の積りて」
などと、なにしろ基俊流「あはれ」や「いぬ」ものの多い露の世の中の露の身であることよ。
【百人一首の談話室】 「あはれ」
「あはれ」の語は三首に用いられており、四十五番歌では「ああ、かわいそうだ」、六十六番
歌では「しみじみと懐かしく思う」、七十五番歌では「ああ、空しい」という意味になっています。
「あはれ」の語義としては辞典に依りますと、(一)感嘆詞としての「ああ」、(二)名詞とし
ての「人情」「情愛」「情趣」「感情」、(三)形動詞としての「かわいい」「愛しい」「恋し
い」「いたわしい」「かわいそう」「感心だ」「しみじみとした情趣」「物悲しい」になり、
(一)の意味には七十五番歌が、(二)の意味には六十六番歌が、(三)の意味には四十五番歌が
割り当てられていることになり、百人一首の中の三首は古語の見本集にもなっているようです。
「あはれ」の用例(一)、(二)、(三)も元は(一)感動詞の「あはれ」から、(二)の
名詞や(三)の形動詞の用法が生まれたものとされており、この語の意味する元の語は感動の心
語「ああ」に戻ることになるわけで、感嘆したり、感動したり、感泣したり、いろいろな心情に
多用することが出来るわけです。
平成現代では、「あはれ」はほとんど「いたわしい」や「かわいそう」の意味に限定されるよ
うになってしまっていますが、本来の日本語の用い方の方が言葉の懐が広く深く、日本語らしい日
本語と言えるかも知れません。ちなみに「あっぱれ」とは、「あはれ」を強調した褒め言葉です
が、現代でも活き活きと残っているのは嬉しい限りです。
時代を追って日本人の「あはれ」に対する考えの移り変りを見てみましょう。
清少納言は「枕草子」で「あはれなるもの」として、
(一)「孝ある人の子」(心にしみて感じ深いもの)
(二)「よき男の若きが御嶽精進(みたけしょうじ)したる」(同上の意味)
ものと言い、更に「枕草子」では次のようなものが「あはれなるもの」として挙げられています。
(三)人を亡くして黒い喪服を着ている若い人(あわれにみえる)
(四)蟋蟀の絶え絶え鳴く声を聞く(あはれ深いもの)
(五)ひなを抱いた鶏(同上)
(六)秋も末に庭草のまばら生いに露の宿って玉のように光っている(心にしみる)
(七)真竹の風に吹かれたさま(味わい深い)
(八)山里の雪(あはれ)
(九)年若い恋人同士が邪魔者にせかれて思うように逢えぬ(あはれ)
これらの「あはれ」なる物々は、平安王朝と言う時代に於ける清少納言と言う一人の女性が
「枕草子」を書いた年令から見たものですから、現代人の誰にでも共感が得られる物ではあり
ませんが、年齢層別に見れば賛同できる物が多いのではないでしょうか。
少し時代が下って江戸時代に「もののあはれ」を説いた本居宣長は、日本の古典文学理念として
の「あはれ」を扱いました。
上代 「まこと」「ますらをぶり」(万葉集)、「たをやめぶり」(古今集)
中古 「あはれ」「もののあはれ」(源氏物語)、「をかし」(枕草子)、「たけたかし」
中世 「幽玄」(藤原俊成)、「有心」(藤原定家)、 「無心」「わび」(禅、五山文学)
近世 「さび」(松尾芭蕉)、「粋」「粋・通」「義理・人情」
敷島の道に於ける理念としては、万葉集の「ますらをぶり」、古今集の「たをやめぶり」、俊成
の「幽玄体」、定家の「有心体」であり、「あはれ」は平安朝文学の代表的美意識理念とされて
きました。初句に「あはれ」の用語を入れている歌をみますと、古今集では五首、新古今集では
十三首、玉葉集では更に増えて二十六首となっています。時代が下がるにつれて、「あはれ」の
使用頻度が高くなっています。
「あはれてふ言ふこそうたて世の中を思ひ離れぬほだしなりけれ」
(古今集・巻第十八・雑歌下・九三九・小野小町)
新古今集に「あはれ」の歌十三首の内四首まで西行の歌で、小野小町の歌も一首入っています。
「あはれ如何に草葉の露のこぼるらむ秋風立ちぬ宮城野の原」
(新古今集・巻第四・秋歌上・三00・西行)
「あはれなり我が身の果てや浅緑つひには野辺の霞とおもへば」
(新古今集・巻第八・哀傷歌・七五八・小野小町)
玉葉集では、藤原定家の六十三首入集に対して、俊成は五十五首入集していますが、初句 「あはれ」の用法によるものはつぎのような歌が有ります。
「あはれなり数にもあらぬ老いの身をなほ尋ねても積もる年かな」
(玉葉集・巻六・冬・一0三三・藤原俊成)
このように「あはれ」の概念は、時代とともに情趣、悲哀、哀愁、同情、憐憫、愛情、慕情、賛 嘆などの幅広い感情を意味するようになってきました。
さて、平成現代での「あはれなる物」とは、どういう物になりましょうか。人によって「あはれ」
と思う物はかなり異なったものになるようですが、さしずめ「年長に気を配る若者」「老人をいた
わる年頃の子供」「若くして職業に就き胸を張って仕事に励んでいる青年層」などはどうでし
ょうか。 「枕草子」で挙げられた例をそのまま平成現代の世相に照らして「あはれなるもの」を
さがしてみるとどうなりましょうや。
(一)人間関係や社会人としての道理を意識的に遵守しようとする若い人
(二)或物事に熱中している初心の人
(三)若くして親族を亡くした人
(四)から(八)までの自然界の情景は、身辺から遠のいていったため、情景が浮びません。
(九)の恋人同士の事例はもはや「あはれ」とは感じなくなってしまったのではないでしょうか。
若い男女間の社会の中に於ける認識が違ってきたためでしょうか。
「あはれ」の持ついろいろな意味もだんだん空中分解しつつあるのでしょう。
平成六年七月二日
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