◆ 包み序詞 ◆ 俊頼の歌道での活動は、「従来の和歌的伝統を打破すべく万葉語や俗語な
どを積極的に取り入れ、新しさやめずらしさを追求した極めて革新的なもの」(久保田淳編「古典
和歌必携」昭和六十一年・学灯社)を目指していたのです。従ってこの歌でも、第一句から「うか
りける」と詠みだして、第四句「激しかれ」と第五句「祈らぬ」の縁語群を挿入しています。
いわば「包み序詞」とでも言うべきこの技法は、百人一首の中で序詞を用いた歌十六首の中でも次
の四首に限られます。
十六番(中納言行平)・・・・・因幡の山の峯に生ふる・・・・・・・・松
五一番(藤原実方)・・・・・・いぶきのさしもぐさ・・・・・・・・・さしも
九二番(二条院讃岐)・・・・・潮干に見えぬ沖の石の・・・・・・・・乾く間
九七番(権中納言定家)・・・・松帆の浦の夕凪に焼くや藻塩の・・・焦がれつつ
これらの四首はいずれも下の句に出てくる一つの縁語に一義的に繋がっているのですが、俊頼の
序詞は「初瀬ー祈らぬ」、「山おろしー激しかれ」と二重に下の句の言葉にからんでいます。
この複雑な序詞と縁語の絡みに加えて、用いられている言葉そのものがやや和歌の世界に馴染ま
ないものが出ています。「山風」ではなく、「山颪」であり、又「激しかれ」など、甚だ口語的で
すし、「祈らむ」ではなく「祈らぬ」且つ「ものを」などと意外な言葉の用い方になっていて、当
然百人一首では、この歌だけの用語です。
◆ 山 颪 ◆ 「やまおろし」は山から吹き下ろすはげし風のことですが、初瀬の山は地形的
に激しい風の山颪など考えられないように思います。現在の長谷寺の周辺は、次のようになってい
ます。
櫻井市の東北方面には、大神神社のご神体である三輪山(四六七メートル)があり、その東側に
巻向山(五六七メートル)が隣接しており、さらにその東となりが初瀬山になっています。現在では
ぼたんの名所として知られている長谷寺はその南の麓にあり、谷間を西から東へ、奈良から三重県へ
抜ける初瀬街道(国道一六五号線)が通っており、それに並行して私鉄電車の近鉄線が走っています。
山間の長谷寺駅前からは長谷寺やその門前町が見渡せ、ごく狭い谷間の地のため、激しい
山嵐とはぴんとこない感じを受けます。
◆ 金葉和歌集 ◆ 第五番目の勅撰集として白河法皇が下命し、俊頼が撰した「金葉和歌集」 には六百五十首ほどの歌が入集していますが、最多入集歌人は選者自身の俊頼で、次いで父親の 経信となっていて、いわば重代歌人の自画自賛とも言える採歌結果になっています。金葉集に見 られる俊頼の歌で、いわくつきのものは、次の春の歌で、百人一首の片割れと言われている百人 秀歌での俊頼の歌になっているものです。
「山桜咲き初めしより久方の雲居に見ゆる滝の白糸」(金葉集・第一・春・四五)
俊頼節を二、三の歌の中に覗いてみましょう。この歌集の殿を勤めるのは撰者俊頼自身の歌です。
「阿弥陀仏と唱なふる声を舵にてや苦しき海を漕ぎ離るらん」(第十・雑下・六三七)
この歌の上句と同じ上句を持った選子内親王の歌があります。
「阿弥陀仏と唱ふる声に夢覚めて西へ流がるる月をこそ見れ」(第十・雑下・六二0)
月を三通りに詠んだ歌
「山の端に雲の衣を脱ぎ捨てて一人も月の立ちのぼるかな」(第三・秋・一八八)
「群雲や月の隈をばはらふらん晴れ行くたびに照り勝るかな」(第三・秋・一九八)
「澄みのぼる心や空をはらふらん雲の散りゐぬ秋の夜の月」(第三・秋・二0三)
紅葉を詠んだ歌としては、
「音羽山紅葉散るらし逢坂の関の小川に錦織かく」(第四・秋・二五四)
「龍田河しがらみかけて神奈備の三室の山の紅葉をぞ見る」(第五・冬・二六0)
金葉集の他の勅撰集と異なる新しい企画は、連歌十一首を本巻第十・雑下・四六首の後に添え ている点でしょう。
(六三九番歌)「桃園の桃の花こそ咲きにけれ」 「梅津の梅は散りやしぬらん」
(頼恵法師) (公資朝臣)
(六四八番歌)和泉式部が賀茂に参りたりけるにわらうづに足をくはれて紙を巻きたりけるを見て
「ちはやぶるかみをば足に巻くものか」「これをぞ下の社とはいふ」
(神主忠頼) (和泉式部)
また俊頼のもう一つの置き土産は、「堀河百首」という歌の試みでしょう。これも彼の「新しさ やめづらしさを追求した(極めて)革新的なもの」の一つであり、それは「和歌史上注目されてい る組題百首」を企画した点で、「俊頼髄脳」と共に彼の歌歴の中心をなすものでしょう。百首歌中 の述懐として金葉集・第九・雑上・五八三番歌に
「世の中は憂き身に添へる影なれや思ひ捨つれど離れざりけり」
*** 百人一首の道草 ***
◆ 祈らぬ ◆ 歌の中では「激しかれ」と言う用語の修飾する語として『「山颪」のように』
といっただけで、『「初瀬の山の山颪」のように』という意味ではないようです。前に見たように
「初瀬」は「祈らぬ」につながり、「山颪」は「はげし」に、個々に連結している縁語群から成っ
ていると見るべきなのでしょう。
口語体に各句を並べ替えてみますと、「うかりける人が山颪のように激しかれとは、初瀬の山に
祈らなかったのに」となります。この内容に沿うように、「初瀬」、「祈る」、「はげし」、
「山颪」「うかるける人(うし人)」を第一句から第五句に配してみます。
「初瀬山 祈らぬものは いとはげし 山颪ます うかりける人」
「初瀬山 祈らぬものは 山颪 なほなほはげし 憂かりける人」
「初瀬山 激しかれとは 祈らぬに 山颪ます うかりける人」
「初瀬神 はげし無かれと 祈りしは 山の嵐と うかりける人」
「憂き人の 激しかれとは 祈らぬに 初瀬の山に やまおろしかな」
「山颪 初瀬の山に 祈りしは うかりし人の はげしなかれと」
「祈らぬは 初瀬の山の 山颪 なほなほはげし 憂かりける人」
「憂き人に 山は嵐の 初瀬山 祈りし事は はげしなかれと」
「憂き人の 山颪ます 激しさを 初瀬の山に 祈らぬものを」
やはり理屈っぽい説明歌ばかりになりました。
*** 百人一首の忘備録 ***
◆ うかりける人 ◆ この句を文法的に分解しますと、「う」(憂し)、「かり」(カリ活用
連用形、・・・たなあ、・・・だなあの気持ちの表現)、「ける」(過去の助動詞「けり」の連
体形)ですから、「冷たかった人」や「冷ややかであった人」になり、「うし人」や「うかりし
人」より時間的に深みがあります。すなわち過去のある時点から現在まで、ずっとその人に対し
て同じ感情「う」き思いを抱き続けており、ある程度時間の経った将来の時点には「憂さ」が無
くなってくれるように、暗に期待している、あるいは切に願っている状態にあります。
◆ やまおろしよ ◆ 歌の真ん中に「やまおろしよ」と、呼びかけの間投助詞を導入している 所がこの句の特徴です。但し人によっては、あるいはカルタ遊びでは、「よ」を省略することも あるようです。「よ」を用いている百人一首の歌は他に五八番歌「いでそよ」(第四句目)、八 三番歌「世の中よ」(第一句目)、八九番歌「玉の緒よ」(第一句目)などがあります。
◆ を止め ◆ 第五句目の「・・・ものを」の「を」止めの歌も、百人一首では、他に五一 番歌「・・・おもひを」があるだけで、二首の共通点は独特の用語にあるようです。
「憂き人よ かくも激しく もゆるとは さしもしらじな 我が胸の中」
「憂き人よ さしもしらじな さしも草 かくも激しく 燃ゆるおもひを」
*** 百人一首の百人家族 ***
◆ 重代歌人 ◆ 親子とも百人一首に選歌されている二人を比較する例として、俊頼と経信
を採り上げてみます。
俊頼の父経信の歌は、
「夕されば門田の稲葉訪れて葦のまろ屋に秋風ぞ吹く」(七一番歌)
ですから、息子の七四番歌と比較しますと、至極温厚な普通の言葉で秋風を詠っているわけです。
それに反して、用いている語群がやや特殊な偏りのあるものになっているのが息子の方の歌です。
父経信と子俊頼の歌の比較は前述の通りですが、俊頼の子俊恵法師も百人一首に選歌されてい
ますので、父ー子ー孫といわゆる重代歌人になった三人です。準重代歌人は百人一首にもう一組、
清原深養父ー清原元輔ー清少納言がいます。俊頼と俊恵の歌を比較しますと、やはり普段の日常生
活的な語り言葉のような用語で、一人物思うつれなさの歌を作っています。まさしく「この親に
してこの子有り」でしょうか。例えば「よもすがら」、「明けやらで」、「ねやの閑」及び「つれ
なし」ではなく、父の「憂かりけり」と同じ「つれなかりけり」を用いています。特に閨という
家屋の中を歌った歌は俊恵法師だけです。この点でも「俗語などを積極的に取り入れて、新しさ、
珍しさを追求」した父の歌道にならっているのでしょう。
平成六年十月二日
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