◆ 歴史の音 ◆ 平成六年六月十四日付の夕刊(読売新聞)は、「京都の千二百年」と題
する遷都千二百年記念関連の連載記事を掲載しています。『京都には今も古代、中世、近世の時代
の音が聞ける風景』が残っており、下賀茂神社の糺の森と比叡山延暦寺・浄土院が紹介されていま
す。糺の森での古代からの音とは、「森のざわめき」・「小鳥のさえずり」・「小川のせせらぎ」
・「葉ずれの音」・「参道を行く人の足音」などが例として採り上げられています。確かに古都の
中の森は森林と違って静寂ではなく、かといって市中の雑多な不協和音と違った自然の音が響き合
っていることが分かります。
平成の人々は平安朝と違って、文明の発達とともに、音の種類は雑多な上、音に接する時間が
四六時中に近くなり、音の世界に浸りきりになっています。微かな音から耳をつんざく音まで、音の
大きさも多様であり、音の性質も、安らぎを感ずるものより、苛立ちを与えられるものが多いよう
に思います。不協和音の大半は、人間が造り出す音であるため、雑音の世界から逃れるためには市
中を離れて、糺の森のような自然の交響曲が聴ける所へ行く必要があるわけです。
◆ 自然音を聞ける能力 ◆ 百人一首の作者たちを含めて、古代の人々は自然の発する音に
非常に敏感であったため、多くの音を歌に詠んでいます。百人一首では、動物の声(鹿、鶏、千鳥、
ほととぎす、きりぎりすなど)、滝の音、波の音、それに自然現象の中でも風および風による音に
注意を払っています。
経信の歌は稲葉に訪れた秋風を目で見て、肌で感じて、耳で聞いているのです。五感の中の三
感までを感度いっぱいに上げて、自然を受け入れ、自然と一体になろうとしている感じがうまく詠
み込まれています。これほどまでに自然に耳を傾ける為には、相当心穏やかに雑念を払っていない
と感受できないのではないでしょうか。残念ながら平成の世の人々で、一体何人が経信のような環
境に身を置き得て、更にその心境になれるのでしょうか。 例えば、「門田の稲葉」一つを取って
みても「ちょっと近くの村に行けば」というような身近な田園風景が無くなってきました。
この歌では、音もなく来るものは夕べで、音とともに来るのは秋風です。夕方のひとときの間に
於ける人間に対する自然の移りゆく様を音とともに詠っています。昼間の暑さが引いていくとと
もに、ひんやりした夕べが登場します。その夕べは、静かに音もなく忍び寄ってきたかと思うと、
今度は音を伴った別の主役の秋風がさあっと入れ替わって登場してくる。稲葉の葉ずれの音で訪
れを告げ、稲葉を通って主人の門を通り抜け、さらには蘆のまろやにすうっと吹いてくる。時の
流れ(夕暮れ)が、稲田から門へ、更にまろやへとやってきたかと思うと秋風は稲田の遠くから、
時の流れの後を追って主人に向かってくる。よくよく情景を思い浮かべれば、非常に多くの自然
の流れを詠い込んでいることが分ります。
◆ 自然の感触 ◆ 源経信は、三船の才の秀才で漢詩、音楽、有職故実に優れ、特に和歌の 道はその子俊頼、孫の俊恵法師に継がれていった感性の高い人です。この自然の移り変りを観察す る主人公経信はまろやにじっと座していて、耳は稲葉の音に、目は稲葉の揺れに、全身は秋風の 感触に身を任せていたため、平明にしてかつよく自然を詠み込んだ歌が詠えたのです。平成の世 に一体何人の人が「稲葉を渡る秋風」を聴けるのでしょうか。百人一首の時代の感性の鋭さは、藤 原敏行の有名な歌で推してしるべしです。
「秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」(古今集・巻四・秋上・一六九)
当時の人々は五感をなるべく多く使って、四季を感じようとしました。さて、平成現代は何を持っ
て四季を感じるのでしょうか。極端に言いますと、暦を見て、春だ、秋だというだけです。桜が咲い
ても、テレビジョンで見て、まさしく桜見をした気分になり、春が来た気持ちになっているだけです。
近世の人でさえ「目に青葉山時鳥初鰹」と、視覚、聴覚、味覚で季節を感じていましたのに。目、
耳、手、足でなく、味覚にも現代では季節感が無くなりました。旬のものはあって無いようなも
のです。現代では食べようと思えば一年中スイカが食べられ、ミカンが食べられます。栽培技術
と保存方法の発達に依るのです。こういう事態は果たして望ましいのでしょうか。確かに、いつ
でもどこでも自分の好きなものが食べられると言うのはありがたいことですが、いささか自然の
流れに反しているようにも思います。
もともとの人間の感性を取り戻すには、もう一度全ての人工的な音(例えば、ラジオ、テレビジ
ョンから、自動車、電車、飛行機、さらには柱時計の音まで)を消した自然の音のみの世界に戻
ってみる必要がありませんか。一年中とまで言わずとも、一週間に一日、日曜日だけでも。そう
すれば、万葉の世界も即再現できるかも知れません。大伴家持のように・・・・・・・。
「我が宿のいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕べかも」(万葉集・巻第十九・四二九一)
「恋ひつつも稲葉かき分け家をればともしくもあらず秋の夕風」(万葉集・巻第十・二二三0)
*** 百人一首の忘備録 ***
◆ 梅津の門田 ◆ この歌(金葉集・巻三・秋・一八三)の詞書きに依りますと、経信は琵
琶の師であり、源師通の子息で歌の友であり、管弦仲間であった師賢の山荘である梅津の里に出向い
て『田家秋風といへることを』詠んだという事になっています。
梅津は京の四条通りの西の突き当たりである松尾大社の対岸に位置しています。この地は平安
王朝貴族の避暑地になっていて百人一首七十六番歌の歌人忠通も別荘を構えていたところです。
梅津地区の真ん中にぽつんと梅宮神社が昔の風景を留めています。神社の境内には、咲耶池、勾
玉池があり、その周辺にはかきつばたや花菖蒲さらには名前の通り梅苑もあります。咲耶池の辺り
には経信の歌碑(百人一首の歌)と「地中亭茶室」という「あしのまろや」で、嘉永四年(一八五
一年)の建築物もあります。まさしく経信の詠んだ「あしで葺いた田舎家に秋風が吹いている梅津
の風景」を再現したものです。
経信も梅津の避暑地に遠出してきたときには、この桂川の辺りに立ち、西山を眺め、愛宕山を望み、
桂川の流れを見ながら、梅津の田園風景を詠んだことでしょう。
*** 百人一首の道草 ***
この歌は夕暮れの一時の自然現象を詠っているわけですが、唯一「まろや」という人工物を織り
込んでおります。「まろや」(丸屋)とは、葦や茅などで屋根を葺いた粗末な家ということですが、
百人一首に出てくる他の家の用語「苫」、「庵」、「宿」などに比べますと、自然の雰囲気を壊さ
ない印象を受けます。
ところで、「夕」、「秋」と「まろや」の組み合わせに似通った歌とは、お隣の七十番歌「寂し
さに」(良暹法師)の歌です。 七十番歌と七一番歌で互い違え取りをしてみましょう。
「寂しさに 門田にいでて ながむれば 稲葉を渡る 秋の夕風」
「夕されば 宿立ちいでて 訪れむ 秋風わたる 友のまろやに」
平成六年六月十五日
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