◆ 二十一姫と女性の活躍 ◆ 平成は女性の時代と言われるのでないかと思うくらいに、女
性の社会進出は進んできました。政党の党首や国会の議長、女性大使など、全く珍しくないことに
なってきました。宇宙飛行士も向井千秋さんが出て、男性の毛利さんと二人になりました。
百人一首の世界では女性は二十一人出ていますが、半数が五十ー六十番台に集中しています。残念
ながらそれらの歌の中で、男性と対等に渡り合ったり言い返している元気のいい女性は六二番歌
「夜をこめて」(清少納言)とこの六七番歌(周防内侍)の二人ぐらいではないでしょうか。
平成六年七月、日本人女性として初めて地球圏外に旅だつ向井千秋さんは米国のジョンソン宇宙
センターで順調に宇宙の旅への準備を進めているとのことで、万事が成功裏に終わるように祈念し
たいものです。
◆ 月旅行の夢 ◆ 日本人初の宇宙飛行士は、毛利衛さんで、一九九二年米国のケネディ宇宙
センターからスペースシャトルに乗って宇宙へ飛び出し、数日間の遊泳の後、無事に地球上へ帰還
しました。
宇宙へ人類が飛び出すことが出来たのは、昭和三六年(一九六一年)で、当時のソビエト連邦国の
人工衛星が地球圏外へ初めて出たのは、それより四年前の昭和三二年(一九五七年)ですから、宇宙
へ人工物を放りだしてわずかに三十七年しか経っていないのです。
又、これまで地球上からはただ鑑賞するだけであった月へ、人類が初めて降り立ったのは、昭和
四四年(一九六九年)米国のアポロ十一号で、月面にロケットが到着したのは、昭和三四年(一九
五九年)で、月探検の歴史に到っては、わずか三十五年間の比較的最近の出来事なのです。
平安朝に於ける月は眺める物であって、決して探検の対象物ではなかったのです。月がなければ、
どれほど人類の生活は味のない物だったでしょうか。ことに日本においては、太陽は決して和歌の
対象になりえず、「花鳥風月」が歌道には必須の天然物であったわけです。
百人一首にも月を詠んだ歌は十首に一首以上は必ず含まれていることでも、和歌に於ける月の重
要性が認識できます。
ちなみに、人類が最も遠くまで足を運んだ所は月で、その距離は三十八万五千キロメートルで、
地球の直径の三十倍の距離に当たります。日本人もつい先年宇宙飛行士の毛利さんがこの距離を飛ん
だわけです。いったい日本人は古代からどのように遠くに足跡を残してきたのでしょうか。
古代は朝鮮半島まで、飛鳥・平安朝では中国大陸の隋・唐まで、たかだか二千キロメートル程度で、
中世のいわゆる南蛮貿易でも、現在のタイ国あたりまでで、せいぜい三千キロメートルでしょう。
太平洋や大西洋を越えて、西欧の国に渡航したのは、支倉常長(一六一三ー一六二0年)で、イン
ド洋、アフリカ大陸西岸を航行したのは、大友・大村・有馬三氏の少年使節団(一五八二ー一五九
0年)です。鎖国の江戸時代が終わるとともに日本人は西欧化へに走り、その行動範囲は一挙に地
球全体に及んだのではないかと思います。
平成の現在では地球上のどこに行っても、日本人が住んでいたり、「こんな所に」と思われるよ
うな世界の僻地にも日本人女性の一人旅や団体旅行者が居るということです。極端な例では、南極
大陸にも科学探査基地において女性が働いていますし、地球の最高峰エベレスト山にも女性の登攀
者が記録されていると言った具合です。全てが一昔前であれば、それこそ「春の夜の夢」にもなら
ぬ戯けた話として相手にしてくれないようなことばかりになってしまいました。
◆ 春夢と浮き名 ◆ 千載集の詞書に依りますと、宮廷の夜の女房達の談話サロンに眠くなっ て、枕が欲しいと言ったところ、大納言忠家が自分の腕を差し出したことに対して詠んだというこ とで、忠家の返歌は、
「契りありて春の夜深き手枕を如何に甲斐無き夢になすべき」
(千載集・巻第十六・雑上・九六五・大納言忠行家)
とのことですが、言い返した感じがありません。
周防内侍の春の夜に見る夢とは何でしょうか。甲斐無くたつのは名ばかりでなく、男の手枕では
夢も「かひなき夢」ばかりというのでしょうか。枕元に立って欲しい人は誰でしょう。夢よりも浮
き名が立つ方が気になるようです。
春の夜はどれほど長く続いても惜しくないものですが、おぼろげの春の夜はよいとしても、夢の
方は確かな夢を見たいのは誰しもでしょう。春の夜は「春眠曉を覚えず」と唐詩に言われたように、
何となく、うとうとと儚げに過してしまうようで、夢の方も不確かなことが多いのです。
この歌を下句の方から上句の方へ読み上げてみますと次のようになります。
「惜しむべし かひなくたたむ 浮きし名と 手枕に看る 春の夜の夢」
このようにしてみますと、惜しむべきは浮き名と春夢ということになります。女性側からしま すと、男性の「かいな」での夢見など望むところでないかも知れませんが、男性側からしますと 女性の膝上で見る春夢は最高でしょう。しかし調子に乗って
「春の朝 夢の中なる 傾城に 甲斐無く立ちし わが子むなしき」
では、困りますね。
それにしても、平安朝の女性は恋に泣いた人たちばかりでなく、一方では、周防内侍の場合、
はっきりと「名こそ惜しけれ」と浮き名がたつことをよしとせぬ女性の心意気のようなものを感
じます。名を惜しむのは周防内侍一人でなく、心強い味方に二番前の六五番歌の女流歌人相模も
いるのです。二人とも恋に朽ちる名を惜しんでいます。誰かの尻に敷かれている頼りない平成の
男性も見習う必要があるのではないでしょうか。少し言い過ぎでしょうかね。
*** 百人一首の道草 ***
百人一首の中でこの歌と対になる歌は、第五句の「名こそおしけれ」による六五番歌「恨みわ
び」(相模)が採り上げられましょう。二首より語句を「乱れ取り」して歌となしてみましょう。
「春の夜は 恋に朽ちなん 夢ばかり 恨む甲斐無き 名こそ惜しけれ」
「甲斐無きは 乾さぬ袖敷く 春の夜の 恨み詫びにし 手枕の夢」
さてその夢もあまりに儚いと平安朝の人は見たのでしょうか。百人一首に夢は十八番歌「住之江
の」(藤原敏行)とこの歌の二首しか詠われておりません。
普通の人の夢は「儚」いのですが、王様の見る夢は「現(うつつ)」ということで、具体的なの
でしょうか。
平成六年七月六日
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