◆ 女流文人 ◆ 五六番歌の作者和泉式部は情熱の歌人として名を残し、五七番歌の作者紫式
部は「源氏物語」で名をなしたのに対して、本歌の作者清少納言は「枕草子」で不朽の女流文人の
名を歴史に留めました。いずれの女性も一条天皇の中宮彰子や定子の取り巻きの女性群像で且つ彼
女らの家系ははるかに遡れば親王の末裔に当たり、学問の道に関係深い人々が血縁関係にいたとい
うのが特徴です。
当時宮中に仕えるためには、最高の学問や知識を身につけておく必要があったわけですが、中で
も彼女らは超一流の文化人であったと思います。
この歌のもともとの背景は、中国「史記」の「孟嘗君伝」によるもので、戦国時代斉国孟嘗君の
秦国にある函谷関に於ける故事に依っているわけですから、この漢籍の内容を知っていなければ理解
できません。歌をやりとりした大納言藤原行成が、最初に清少納言に仕掛けたことに対して切り返し
たわけですから、清少納言の方が役者が一枚上ということで、作歌の才能が優れていることを自慢し
たかったわけです。又自慢できるだけの力を持っていたと見るべきでしょう。
紫式部は彼女のことを「鼻持ちならぬいやなやつ」に近い批判をしていますが、彼女の方は、
「枕草子」に「源氏物語」や紫式部のことは一切言及していないようです。手強いと見たのか、無
視したのか、いずれにしろこの点でも清少納言は純真で生一本で、細かいことにめそめそしないう
えに、小言や悪口をよしとしないからっとした性質で、紫式部より役者が一枚上(年齢の点でも数
才ほど上であったらしい)ということになります。
たとえば、枕草子第二八段「にくきもの」や、第二百七十段「人の上いふを腹立つ人」などが、清
少納言の性格を知る上で参考になります。
◆ 博学多才 ◆ 宮廷という上流社会で求められる和書や漢籍の学識あるいは教養の範囲とは、
どのようなものであったのでしょうか。まず中国からは仏典に始まり書経、詩経、春秋、老子、
孟子、荘子、荀子、韓非子、史記、漢書、三国志、陶淵明等を経て、白氏文集(清少納言は暗誦
できたらしい)等は当然ですが、中国を経由した西欧の文物が、どの程度含まれていたのでしょ
うか。
一方和書の場合は古事記、日本書紀に始まり、懐風藻、万葉集、古今集、伊勢物語などの歌物語や
竹取物語などの伝奇物語まで含むことになりましょう。いずれの古典も、彼女の時代以降千年間も
日本人の文化遺産の基礎になった文物ばかりです。平成の現代では、ちょっと本屋さんへ行けば複
製の原文はもとより、色々な種類の解説書が手に入り、選別するのに迷うぐらいです。
それに対して当時は全て書き写さなければならなかったわけですから、本の貴重なることは現代の
我々には想像もできません。枕草子の七五段「ありがたきもの」には、「物語・集などに書き写す本
に墨付けぬこと」などと書かれています。現代は文化が溢れていて、古典もごみ箱に捨てられてい
ますが、当時は数少ない文化に誰もが飢えていた状態だったと言えます。平安も平成も両時代とも
意味は違いますが、どちらも不幸と思いますが、如何でしょう。
◆ 枕草子 ◆ 清少納言のものした「枕草子」を通して当時の貴族社会の有様や、その社会の
一般知識、あるいは上流社会の中での人の気持ちや物の考え方などが伝わってきます。言って見れ
ば「枕草子」という名の当時の社会の「百科事典」のような物です。又その筋の物の本による文学
史的位置づけとしては「世界文学史上に随筆と言う文学様式を導入した」という意義になるのだそ
うです。ある物事について当時の人が抱いていた、あるいは考えていたことが理解できますが、結
果として内容をまとめてみますと、平成の現代日本人の感覚と全く変わることが無いという印象を
受けます。
考えてみますと、人間が造りだした社会体制の枠の中での人間の物の見方は、所詮人間の考える
範囲を出ていないわけですから、少しは細かい点で違いこそすれ、人と人との関係や人の自然に対
する考え方、自然の現象の描写に変わるはずがありません。
現在でも五月十五日の葵祭の行列などを見ますと、「枕草子」第三段での賀茂の祭りの記述が手に
取るように分り、つい自分の横に清少納言が居て葵祭りを見ていて書いたのではないかと思うほど
に身近に、かつ昨日のことのような記録に思えます。おおよそ三百数十段の中でも特に人の気持ち
を記述した物は、現代共通の「ズバリ一言」とでも言うべき痛快さがあり、興味の尽きぬ人間研究
のための「物はずくし」であります。傑作の最高は二三八段「人の顔」についてであります。
「ひとのかたちはをかしうこそあれ。にくげなる調度の中にもひとつ良きところのまもらるるよ。
みにくきも、さこそはあらめとおもふこそ、わびしけれ。」 清少納言の文筆力、面目躍如たると
ころがあります。
◆ 関 所 ◆ この歌の引き合いに出された逢坂関は十番の蝉丸の歌でも詠われており、七八番
源兼昌の「須磨の関守」と合わせますと、百人一首では二関所が合計三回出てくることになります。
百人一首川柳では「敷島の百里の道に関三つ」と詠われています。
いずれも畿内の地から東国(東海道、東山道)あるいは西国(山陽道、南海道)との出入り口に
なっているところに設けられたものです。もっとも壬申の乱から平安期にかけては、鈴鹿関(東海
道)、不破関(東山道)、愛知関(北陸道)が三関とされ、それ以外では古代奥羽三関として、能
因法師の歌で有名な白川関、源義朝や西行の歌に縁りの勿来関と念珠関などでした。
平安期の人や物の移動には全て道路を主として利用しておりましたが、平成の世では、人や物の
大量輸送には鉄道列車が利用されているため、人の出入りの多い賑やかな所は関所ではなく、鉄道
の駅になっています。ほぼ昔の街道に沿って鉄道が敷かれていますが、昔の宿場の地と駅は一般に
は離れております。これは明治の初期に汽車の駅を作るに当たって、火を吐く汽車は藁葺き屋根の
町の中心に入れられないと言うことから、駅を町の外に置いたところが多いようです。それにつれ
て町の中心も変わると共に國やその地域の中心地も変ってきています。正しく日本の都が飛鳥、平
城、平安、東京と変遷していった如くです。
鉄道と共に飛行機のための空港も、その地域の中心地になろうとしています。近畿地方の場合で
考えますと、平安遷都千二百年目の一ヶ月半前に開港する関西新空港がその例で、丸一日中、人や
物が動くまさしく國の表玄関になるわけです。現代の関所は文字通り空港や港湾の税関という事に
なりましょう。空の交通が発達すると共に、地上交通も限定された所しか移動できなかった鉄道線
路に変わって自動車による人や物の運輸体制も強化され、従来の点と点を繋ぐ線の移動から、線と
つつあります。二十一世紀の人や物の動く速度は千年前の速度に比べ、二百から三百倍にもなりま
した。情報の早さは正しく音速から光速に九十万倍になったのです。これからの人類は物事のスピ
ードの到達目標をどの辺に求めようとしているのでしょうか。
*** 百人一首の道草 ***
清少納言の歌で特徴のある言葉は、「こめて」、「空音」、「謀る」、「世に・・・ゆるさじ」
等で、いずれも甚だ和歌用語として耳になじまないと思われるようなものですが、そこは才女の清
少納言のこと、一世一代の、と言っては大げさですが、逸話と共に名歌残しました。従って百人一
首の中でもかなり異質な言葉群となっていることは否めません。他の百人一首は、背景や詞書きな
どはなくとも、それなりに意味がくみ取れますが、この歌だけは枕草子第一二一段「頭弁の職」の
話抜きではどうしようもありません。
「空音」は現代ではさしずめ「鳴き真似」という用語に変化していますが、「そら言」「空耳」
「空だのめ」「空々しい」「空文」「空砲」「空理」「空論」「空威張り」「空元気」などと、
まだまだ日常でも使われている「空」語彙群です。そこで空和歌一首。
「空空し 空理空論 げにこめて よに空言の 空文ゆるさじ」
*** 百人一首の忘備録 *** 「百人一首の動物」
百人一首の中で、動物としての「人」が言及されている歌は二十首ほどあり、「人」、「人目」、
「舟人」、「乙女」などとなっています。動物としては、鳥の歌五首、鹿の歌二首、蟋蟀の歌一首
の計八首となっています。これらの動物はいずれも姿が認められず声だけが聞き取られて、歌に詠
み込まれているのです。鹿(五番歌、八十三番歌)は二首とも奥山で鳴いており、蟋蟀は寒々とし
た土間の暗がりで鳴いています。鳥の方は山鳥、鵲、鶏、千鳥、時鳥の五首ですが、本当に音を出
したと思われるものは千鳥と時鳥のみです。これらの鳥の鳴き声は現代の日常生活では聞き慣れな
いものになりつつあります。殊に都会で生まれ、都会で一生を終える人々に鳥の囀りはせいぜいか
らすか雀ぐらいで、鶏さえ少し郊外の田園地帯まで足をのばさないと見られないし聞かれない鳥に
なりつつあります。
万葉集・巻十の雑歌の詠物歌と相聞の寄物歌に出てくる鳥には、春の鳥として、鶯、呼子鳥、夏の
鳥としては、時鳥、秋は百舌、水鳥、雁、鶴等です。枕草子ではオウム、時鳥、水鶏、鴫、都鳥、
ひわ、ひたき、山鳥、鶴、雀、鷺、水鳥、鴛鴦、千鳥、鶯、鳶、郭公などです。これらの鶯、水鳥、
時鳥はもはや田舎か動物園にでも行かない限り、聞くことが出来ません。鳥の声を聞きたい人の為
に録音された鳴き声が売りに出されてもおかしくない時世になっております。人間の側から見ても
縁遠くなった鳥ですが、鳥の方でも住むところが人間のために追い立てられて、住みずらく思って
いるかもしれません。気持ちよく声を鑑賞してくれる人間の近くで鳴きたいところでしょうが、最
近何かがその環境を壊しつつあるのです。
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