平平点描

(百人一首随筆集)


「連 載」 第 57 歌   雲隠れ (紫式部)
めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に雲隠れにし夜半の月かな

◆ 末法の世 ◆   紫式部の生まれる三十年ほど前の時代は、空也上人が都で念仏を始め浄土 教が盛んになる時代ですから、当然当時の人々の人生観というものは、仏教思想に基づいたもので、 平家物語に言うところの「諸行無常」や「盛者必衰」の考えが行き渡っていたものと考えられます。 この歌を鑑賞してみますと、余計にその印象が強くなります。紫式部が成人する頃には、同時代人 として有名な源信が「往生要集」を著して、念仏の考えを説き、極楽往生の浄土教の発達に大きく 寄与しています。紫式部の死後すぐに藤原道長によって完成を見た宇治平等院も、極楽浄土の世界 をこの世に再現して見せたものと言われています。
 この歌はもともとは幼な友達に久しぶりに逢えたのに、すぐ帰ってしまった時に詠んだとされて いましたが、その詞書きを抜きにして、この歌だけを鑑賞してみますと、「源氏物語」の光源氏の 「雲隠れ」に代表されるように、人生そのものを詠っているように思います。「雲隠れ」たのは、 「夜半の月」でありますが、「雲隠れ」そのものの用語は人のみまかることも意味します。
 万葉集(巻三・四一六番)での大津皇子の歌に

 「百づたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ」

  とあるように、「雲隠り」は万葉の時代から存在した言葉で、平成の現代でも活用されている大 変生命の長い言葉です。まさしく言葉は永遠の命をもっているものと思います。  現に、この紫式部の歌も約千年前に生まれたのに、生みの親の紫式部はなくなっても、歌はその まま生きながらえて、現代に生きている人々に多様な影響を与えています。更にこれからも千年 以上も日本民族の中で生き続けることでしょう。

◆ 源氏物語 ◆   さて、「源氏物語」での「雲隠れ」の巻は、本文がありませんから、まさ に、本文が「雲隠れ」しているわけです。しかもこの巻の前後関係から、主人公の「光源氏」は 出家し、この世から「雲隠れ」したことになっています。このことから、もともとこの巻には本 文を付けないと言う紫式部のちょっとしたいたずらのような考えがあったのかも知れません。「雲 隠れ」を「人が亡くなること」と取りますと、「夜半の月」とは、その人にとって暗い夜(世)の 中で明るく照らしてくれる人、すなわち親、恩人、親しい友など亡くなられては困る人を意味する ことになります。
 誰しもその人にとって大切な人に巡りあうのは非常に幸運なことですが、そういう人にこそ、こ れから生涯かけて、じっくり「それと分かる」まで導いていただこうと思っていると、「雲隠れ」さ れる不幸に遭遇するものです。人の親になってこそ親の気持ちが分かると言われるように、子供とし て親に巡り会って、自分の親と認識してから本当に「それと分かる」頃には、親は自分の目の前か ら消えているというのが世の常です。よく言うところの「親孝行、したいときには親はなし」です。
 「源氏物語」の中で一番最初に出てくる和歌は、人の命に限りあることを歌った次の歌です。

 「限りとてわかるる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり」

 「源氏物語」は光源氏とその子薫大将を主人公とした平安貴族社会の男女間の愛の葛藤を述べた 物語であり、本居宣長によれば「もののあはれ」を述べることが本来の目的であったとされていま す。「巡りあひて」の歌などを通して、紫式部の思想のもとにあるものを推定する場合、「男女の 愛の葛藤」も述べれば述べるほど、人の世のむなしさやはかなさを知ることになり、仏教思想の根 元である諸行無常や盛者必衰の考えに近づいていったのではないかと思います。
 極論を言うならば、「源氏物語」は中世恋愛物語ではなく、貴族社会用の「仏教教本」とでも言 えないでしょうか。うわべの物語の筋だけを追う読者には、なかなか根底に流れる紫式部の言いた いことが見えてきませんが、それぞれの人の心の内の叙述(心理描写)を追っていけば、人の世の むなしさや、はかなさが見えてくるのではないでしょうか。

***  言葉の世界への散歩  ***
◆ 夜半の月影 ◆  この歌の第五句は「夜半の月かな」又は「夜半の月影」とも詠まれていま す。
「な」か「げ」かの小さな違いが大きな違いになります。
 まず詠嘆の終助詞「かな」止めの歌としますと、百人一首では他に七首ある「かな」止めの歌の 内一首になり、特に六八番歌三条院の「夜半の月かな」と同じ第五句になります。「かな」としま すと明らかに雲に隠れてしまって全く見えない雲の向こうの月を想像して、もう一度雲間から顔を 出して欲しいという願望を言葉の裏に秘めていることになりそうです。従って月はうっすらと輪郭 さえも見えていないと言うことです。
 一方「月影」としますと、月の形そのものを意味しますから、「かな」と詠ったときと違って雲 には隠れているものの、うっすらと雲を透して見えているのではないかを思います。「かな」では もはや月はもう一度も雲より顔を出すことはありませんが、「月影」の場合は空一面に薄雲が立ち こめていて、なんとなく月の在処の所だけがほの白くなっているおぼろの状態と見たいのです。歌 全体の意味からは「かな」の方がふさわしいように思いますが、歌の雰囲気からは「月影」の方が 趣がありそうです。
    紫式部集で、「月かな」や「月影」の歌を拾って見ますと、「かな」止めは六番の次の歌のほか 合計九首(一二八首中)あります。

    六番 「西の海をおもひやりつつ月見ればただになかるる頃にもあるかな」

 一方「月影」は次の二首です。

 九四番 「指してゆく山の端も皆かき曇り心も空に消えし月影」
一二0番 「何ばかり心ずくしに眺めねどみしに暮れぬる秋の月影」

 どうも紫式部は「雲隠れ」の月、又は月影や、「かき曇り」の「月影」、あるいは「暮れぬる」 「月影」が好きなようです。
 紫式部集一番歌「めぐりあひて」の歌は、どちらかと言えば九四番や一二0番歌と同じ調べの歌の ようですから、元々本人は「月影」と詠んだのかも知れません。
 ちなみに、三条院の歌を「月影」としたら、どういう感じになりましょうか。

 「心にもあらでうき世にながらへば恋しかるべき 夜半の月影」

 一語一語取り替えて

 「こころには そはぬ暗き夜 ながらへし 恋しきものは 明けの日の影」

 ついでに調子に乗って紫式部の才能の一部でも盗み取って詠ずべしとて、少々粗っぽく、百人 一首の皆様の用語をつまみ食いをしてみました。

 「契りあり 永くもがなと ねがひしに 雲隠れにし うつせみの親」
 「契りきな 今一たびを なつかしむ 雲隠れにし 童友びと」
 「めぐりあへで げにやそれとも わかぬとも いでそよ人を 忘れやはする」

*** 百人一首の忘備録 ***
 紫式部集の歌群の中にも一番歌の「めぐりあひて」のように、背景に仏教思想が隠されていると 思える類の歌が多いようです。

 「数ならぬ心に身をば任せねど身にしたがふは心なりけり」(紫式部集・五五)

 歌集の最後の歌は、ずばり、自身の「明日は亡き」ものと詠んでいます。

 「亡き人を偲ぶることも何時までぞ今日のあはれは明日の我が身を」(紫式部集・一二八)

更に五首の同類歌を挙げましょう。

 「鳴きよはるまがきの虫も止めがたき秋の別れやかなしかるらむ」(紫式部集・二)
 「いづかたの雲路と聞かば尋ねましつらはなれけん雁が行方を」(紫式部集・三九)
 「散る花を嘆きし人はこのもとの寂しきことやかねて知りけむ」(紫式部集・四三)
 「消えぬ間のみをも知る知る朝顔の露とあらそふ世を嘆くかな」(紫式部集・五三)
 「いづくとも身を遣る方の知られねば憂しと見つつもながらふるかな」(紫式部集・一二五)

【百人一首の談話室】「空と月」
 月を見る人の気持ちや感情は時と場合によって様々です。百人一首の歌人達も、色々に月をながめ ました。悲しく(二十三番歌)、憂く(三十番歌)、はたまた嘆き(八十六番歌)ながらの思いで 歌を詠んでいます。
 百人一首の中で月を詠んだ歌は十二首有りますが、太陽を詠んだ歌は「春日」(七番歌)や「春 の日」(三十三番歌)のような用語で出てくるだけで、「陽」なり「太陽」と直接詠んだものはな いようです。それだけ、歌の道で古人にとっては月は必須のものであったわけです。月のない世界 ・・・それは想像もできないほど寂しい又味気のない夜の世界です。太陽なしには人は生きてはい けません。物理的な生命の根元として。月も昔は生命の根元と見なされていたのです。月の満ち欠 けがすなわち地上の人間の活動を支配していると考えられたようです。時間・暦・季節から女性の 生理まで。
 百人一首の中には明らかに月を通して、作者の見たい物を見ている様子が窺えます。
 例えば、異国の地で日本の幻影を見(七番歌)、待ち人のように思い(二十一番、五十九番歌)、 心の友のように思い(六十八番歌)、時鳥の身代わり(八十一番歌)等のように様々に見る人の心 の中に反応しています。
  これら十二首の中にあって月を親しい人、思う人の身代わりのような代名詞として、詠んでいる とも解釈できる歌が三首(三十六、五十七、七十九番歌)有ります。月(逢いたい人、恋い慕って いる人)が雲に隠れて(見えなくなってあるいは別れて)しまった状態を詠んでいるのです。

 三十六番:夏の夜は短く早く明けてしまった。逢っていた人も去ってしまった。どうして早々と
      帰っていったのでしょう。
五十七番:ほんの短い人生で巡り会えた人だと思ったのに、去っていった(逝ってしまった)とは。
      それが親であれ、愛する人とであれ、恩師であれ、何とも儚いのが人生である。
 七十九番:別れても遥か遠くから自分を見守っていてくれる人々の心持ちのありがたさよ。

 現代では、夜と昼の区別が非常に薄らいで、昼には昼の生活形態があり、夜には夜の活動社会が ある状態ですから、有明の月も月齢も一般生活面は気にすることもなくなりました。せいぜい「中 秋の名月」などと、満月の状態で鑑賞する程度になって、ほとんど月への関心が無くなりました。
 代わって月が地球上の人類の関心を引き始めたのは宇宙開発活動の一環として月面へ人類を送り 込むという超大国(アメリカ、ロシア)の国家プロジェクトであったわけです。人類はその誕生から 何万年も月は見上げる物であって、行けるところではなかったのです。ロケット技術の発達によって 地球圏外へ脱出することが可能になり、にわかに月、太陽、火星などの天空の星群が人類の身近な 物になってきました。
 いったん降り立ってしまった月は、人類にとってますますその関心が薄らいでいくのかも知れま せん。心の友としてきた月は和歌の中では、将来どのように詠み込まれていくのでしょうか。星達 の中で、最も身近にある地球のお隣さんですから、お互いに仲良くつき合って行きたいものです。 たとえ月上に人類が住むようになっても。

平成六年五月三日


掲載 平成16年4月29日・磯城島綜芸堂・主筆 謹言
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