平平点描

(百人一首随筆集)


「連 載」 第 56 歌   この世の外 (和泉式部)
あらざらむこの世の外の思ひ出に今一度の逢ふこともがな

◆ 思い出作り ◆  明治以降の近代日本に於いて、情熱の女流歌人の第一人者と言えば、与謝野 晶子と言うことに異論はありませんが、彼女の千年前のプロトタイプ(見本)が和泉式部ではないか と考えてみました。彼女の一生は、悪く言えば男だけが人生の全てと考え、男の愛情に飢え続けて生 きた、よく言えば恋に夢見つつ生きた一生であったらしいのです。彼女の和歌創作の活力は、この情 感から出ているのでしょう。彼女がその生涯で和歌に用いている語句類は、和歌を詠む人には、一種 独特の情感と感性を引き出させるものが多いように思われます。五六番の歌においても「あらざらむ」、「あらざらむこの世」、「この世の外」、「外の思い出」と語句が相互に絡みあっています。  「この世」は全ての人にとって「あらざらむ」所であるために、かくあれかしと誰しもあれこれと 必然的に願望しているのですが、なかなか当然と受け取ることが出来ないのです。和泉式部も「あら ざらむ」と諦観して「この世の外」を意識している一方、「この世」で「思い出」を作りたいと思っ ているわけです。歌では「この世の外の」(あの世)「思い出」作りと言っていますが、これを「外 の思い出」のように語句を区切ってみますと、今までの「この世」での人生の「思い出」とは違った 新たなあの世への土産となるような「思い出」を作りたいという意味に取れます。

◆ 最後の逢会 ◆  「逢ふ」と言う言葉の意味を単なる男女の仲の問題ではなく、性別に囚わ れない人と人との関係、すなわち師弟関係、血縁関係や友情関係などの心のふれあいという意味に 取った場合、非常に内容の深い歌になります。
 人は誰でも、「この世の外」へ旅立つと言うよりも旅立たされる際には、必ず一つの感慨を抱く 物で、何か一つでも残しておきたいという気持ちから、最後に見ておきたい、聞いておきたい、あ るいは言っておきたい、と言う気持ちになるものです。死期の迫った人には遺言があり、辞世の句 や歌があるというように、「今ひとたび」でよいから、「逢う」事が出来たら、あれも言いたい、 これも聞いておきたいという気持ちが湧いてくるという状況が理解出来ます。
 「この世」に存在する全ての人にとって例外のない、いずれ「あらざらむ」と定められた神仏との 契約なのですから、契約させられた人の側から運命を定めた神仏に対して、「今ひとたび」の願い 事を申し出たくなるのは無理もありません。「この世」に見切りを付け、「この世の外へ」行くあ きらめの気持ちをどのように整理すればよいのでしょうか。「今ひとたび」で全て済みそうにもあ りません。

◆ 仏道精進 ◆  「恋の」や「愛の」とのみ詠っているように見える和泉式部「でも」、いや、 「だからこそ」本当の心のよりどころは、以外と仏道の世界を背負っていた、又は寄り添っていた ように思えてなりません。表の世界で恋を詠えば詠うほど、その反動として変わらぬ何かに縋りたい と思う気持ちも強かったのではないでしょうか。普通の人ならばよろずほどほどのところを、感情 の豊かなむしろ溢れんばかりの人にとっては何事もほどほどで収まらず、愛を求める力も強ければ、 仏に縋る心もなお一層逞しいものであったように思います。
 彼女の歌には恋歌もさることながら、一種の人生に対する諦観にも似た心情を詠っている歌も 多く、

 「白露も夢もこの世も幻もたとへて言へば久しかりけり」(和泉式部集・一六五五)
 「暗きより暗き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月」(和泉式部集・一五一)

などと、その道の高僧か仙人が詠っているような調子の歌ともとれます。和泉式部日記にある逢い 引きの歌として

 「山を出でて暗き道にぞ辿りこし今一度の逢ふことにより」(和泉式部集・八九二)

という歌も、考えようによっては、仏道修行で仏に巡り会いたい気持ちを詠んでいる歌と拡大解釈 できます。
 若いときは、「この世の外」のことは思わず、情熱のおもむくままに、恋に愛にまさにあたり構わ ず、(五七番作者赤染衛門の諫め事も無視したらしい)駆け続けた和泉式部も、夫を持ち、母と なり、年を取ると共に、老境に近づくにつれて、恋の情熱は仏道への情熱に変わっていったかの ように見えます。
 しかしながら、情熱が褪せて来たのではなく、「この世」での形を追うことは止めて、「この世 の外」での思いに、深く踏み込むようになったのではないでしょうか。すなわち、「この世の外」も 信じている和泉式部の真意は、「この世」で、もう一度逢っておけば、「この世の外」での逢える 約束手形(思い出)が入手できたことになり、この手形さえ手にしておけば「この世の外」でも逢 うことが出きるということではないでしょうか。本当の恋に生きる又は生きたい人には、「この世」 の恋は仮のもので、永遠の恋は「この世の外」にこそあるべきと考えているように思えてなり ません。

 「叶へたし 今ひとたびの 契りとて この世の外で 永久に逢はなむ」
 「この世にて いまひとたびは 逢へずとて かの世で永久に 契り果さむ」

【百人一首の談話室】「いまひとたび」
◆ いまひとたびの ◆  この歌の第四句にある「いまひとたびの」という言い方は、百人一首 の中で他にもう一首二六番歌に「いまひとたびのみゆきまたなむ」とあって、歌人貞信公は待って 欲しい願望を紅葉に訴えております。この歌でも美しい紅葉を見るチャンスは、少なくとも今年は もう一度、出来ればもうすこしというところでしょう。もっと勘ぐれば、既に一回ぐらい、紅葉狩 りは済んでいるかも知れないが、なおかつ、もう一度見せて欲しいという願いなのでしょう。
 和泉式部から千年後の平成の現代でもこの語句が活きているというより、当時以上に、当時よりも より切々と、訴えるように使われているように思います。それは選挙運動の用語としての「今一度 の」であります。「・・・苦しい戦いを強いられております。どうか地元の皆様の「いまひとたび の」ご支援を賜り、「いまひとたび」国会へ送っていただきたく、「いまひとたび」のお願いに参 っております。どうか「いまひとたび」・・・」等と、日本人は千年の昔より「今ひとたび」が好 きなのです。 立候補者にしても内心は今一度ではなく、これからも何度も(今だけひとたび)と 言うのがこの用語の裏にあるのです。和泉式部の歌もこの意味に解しますと、「今ひとたび」・ 「逢え」たら、もう「この世の外へ」行っても良いというのは表向きで、恋は魔物と言われるよう に、いまひとたびが、再度、三度となるうちに、ずるずるとこの世にむなしい思い出を作ってし まうことになるのです。
 よくよく考えてみますと、「何度も」と一度に行ってしまえば良いところを、そういえばまさし く実もふたもないことになるため、結果的には何度であっても一回一回小出しにして「今ひとたび」、 「今ひとたび」という方が趣きがあります。
 この歌の場合でも「今ひとたび」を「末まで幾たびも」と言い換えてしまいますと、誠にいじま しい刹那的な歌になってしまいます。・・・いずれあらざらんこの世の恋故に、あの世へ行くま では幾たびも逢いたいもの・・・と。

 「あらざらむ この世限りの 恋故に 逢ひ尽くしての 思ひ出とせむ」
 「かぎりある かりそめの世の 恋故に 逢ひ尽くしたし 思ひ出として」

*** 百人一首の防備録 *** 「この世の外への念仏歌」
 和泉式部の歌の詠まれている「この世の外」の心を当人の詠んだ歌の中、勅撰集に採られている歌に 見てみましょう。

   後拾遺集・十・五三九番歌 「立ち上るけぶりにつけておもふかな何時又我を人のかく見ん」
・十・五六八番歌 「留め置きて誰をあはれと思ふらむ子は勝るらむ子は勝りけり」
     ・二十・一一六四番歌 「物おもへば沢の螢も我が身よりあくがれいづる玉かとぞみる」
  金葉集・十・六一0番歌 「諸共に苔の下には朽ちずしてうづまれぬ名を聞くぞ悲しき」
  詞華集・十・三五五番歌 「夕されば物ぞかなしき鐘の音明日も聞くべき身とし知らねば」
新古今集・八・七七五番歌 「置くと見し露もありけり儚くて消えにし人を何にたとへむ」
     ・八・八一六番歌 「恋ひわぶと聞きにだに聞け鐘の音にうちわすらるる時の間ぞ無き」
・十六・一七三六番歌 「命だにあらば見つべき身の果てを忍ばぬ人の無きぞかなしき」

平成六年四月三十日


掲載 平成16年4月29日・磯城島綜芸堂・主筆 謹言
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