◆ 命の旅 ◆ 六七番歌「春の夜の」(周防内侍)の話で引用しましたように、平成六年七
月六日夕刊(読売新聞)の一面記事には、日本人女性として初めて地球圏を脱出し、宇宙遊泳の旅
に出る向井千秋さんの出発前日の状況と、もう一人の女性、名東紀代子さんの話が載っています。
同じ四十才の女性でも前者は未知の宇宙の旅に立とうとしている女性、後者は未知の生命の旅から
戻って来た女性です。
名東さんは五年前(一九八九年)英国で心臓手術を受け、その体験を綴った手記を残していて、
医学関係者に強い関心を抱かせているということです。簡単な外科手術と違って、人間の臓器の中
でも最も大切な心臓の移植手術ですから、正しく、命の据え換えにも等しいほどの一大事で、本人
にとっては生への執着と死への不安とが交錯する問題です。一九七0年代に南アフリカで人類史上
初めて心臓移植手術が行われてからも、その手術の成功率は高くないだけに、ほとんど死を覚悟し
てでなければ受けられない大手術と考えられています。
名東さんの手術前の心境もまさに死を覚悟したものであったのでしょう。手術までが自分の一生
で、もう後はないと考えた方がよいとまで思い詰めざるを得なかったと思われます。しかし、「こ
のまま目覚めなかったら」という不安を打ち消して、「絶対に目覚めるのだ」と強い信念を持って
望んだ心臓移植手術に無事成功し、再び人生に目覚めたときの感動は体験した者でしか分からない
ものでしょう。「とてもきれいな青空だ。生きている。」と印象を記しています。
名東さんは、生命の旅から帰還して、空を「青い」と見上げましたが、同じ「青い」でも地球圏
外の人工衛星から、人類で初めて地球を見たガガーリン少佐は、同じく「地球は青かった」と言っ
ているのです。人類を取り巻く地球やその周辺の大気圏には青い色の物がいっぱいです。地球表面
の三分の二を占める海はこれまた青いのです。
◆ 約 束 ◆ 人との約束事は、約束している人そのものの命にも限りある為、その成就
の「行く末までは難」しいことなのです。いつ相手が亡くなるかも分かりません。まして命も神
との約束事と言われていますから、人の約束事以上に難しい事で、「今日を限りの命」と思って
行動した方がよいことばかりなのがこの世なのです。
名東さんは発達した現代医学のお陰で手術に成功し、命を永られえる事が出来ましたが、高階
貴子の時世には、十分な医術がなく、手術などほとんどありえなかったと思われ、一度病にかか
れば、飲み薬の働きと効能を信じるしかないというはなはだ心許ない医療事情であったわけです。
当時の人々は、人を恋い慕うのも「今日を限りの命」と思って、毎日毎日が真剣そのものであっ
たと思われます。平成現代でも死の世界への道順は違うかも分かりませんが、実態としては、毎
日毎日が「今日を限りの命」であるわけです。すなわちほとんどの病気(法定伝染病まで含めて)
に対して、人類は、それを乗り切る方法を確立してきました。但し、現時点では、残念ながら
「がん」のみ未解決の人類の天敵になっています。いずれは過去に於ける結核のように撲滅の手
順が見いだされるでしょうが。
病気は死までにある程度の時間が与えられていますが、戦争と交通事故は予期せぬ突然の死への
道となりうるのです。自転車、自動車、列車、飛行機などの交通事故による死亡者は年間一万人を
越えるわけですから、これこそ人間が造りだした人間の命を奪う天敵です。まさしく、平成の人
々も「今日を限りの命」と考えておかねばならない時世なのです。
各人の命は、生まれたとき無意識のうちに、すなわち当人の知らぬ間の暗黙の内に、寿命の契約
を神や仏としていると言われているわけですが、平安期も、平成時代でも、あるいは千年後の人
々も、事情は異なっても「今日を限りの命」を抱かえて生きて行かねばならないことは変らない
のではないかと想像します。
「今日に又 今日を限りと 命込め この世に悔やみ 残さざらまし」
「明日はなし 今日を限りと 思ひ込め この世に愛しき 日々を残さむ」
「今日も又 生き長らへり 命込め この世の外の 思い出つくらむ」
「とこしへの 命の契り 難ければ いまのこの世に 思い出刻まむ」
*** 百人一首の忘備録 ***
◆ 勅撰集に見る類歌 ◆ 儀同三司母は、「今日を限りの命」と言いましたが、次の三人も
読み方は違っても結局は同じように「明日なき命」を詠んでいます。
「年月をいかで我が身に送りけむ昨日の人も今日は泣き世に」
(新古今集・巻第十八・雑下・一七四八・西行)
「今宵さへあらばかくこそおもほえめ今日暮れぬ間の命ともがな」
(後拾遺集・巻第十二・恋二・七一一・和泉式部)
「明日ならばわすらるる身になりぬべし今日を過ぐさぬ命ともがな」
(後拾遺集・巻第十二・恋二・七一二・赤染衛門)
更に、この歌の載っている新古今集に「いつ」が「限りの命」かを見定め切れていない人々の 詠みを見てみましょう。
「百年の秋の嵐は過ぐし来ぬいずれの暮れの露と消えなむ」
(新古今集・巻第十六・雑上・一五六八・安法法師)
「さすらふる身は定めたる方もなし浮きたる舟の波に任せて」
(新古今集・巻第十八・雑下・一七0三・前中納言匡房)
「如何にせん身を浮き舟の荷を重み終の泊まりやいづくなるらむ」
(新古今集・巻第十八・雑下・一七0四・増賀上人)
◆ 忘 ◆ 「忘」の字で始まる百人一首には、三八番歌「わすらるる」(右近)がありますが、
意味は、一方が「忘れまい」と、他方が「忘れられて」と正反対になっています。
もう一語「今日」と言う語句を用いている百人一首には、六一番「いにしへの」(伊勢大輔)に
あります。
*** 百人一首の百人家族 ***
◆ 百人一首歌人の寿命 ◆ 百人一首百人の寿命は、はっきりしている六十一名について
みますと、二十才から九十二才までまちまちです。年代別には、二十台(四人)、三十台(二人)、
四十台(六人)、五十台(十三人)、六十台(九人)、七十台(十人)、八十台(七人)九十台
(二人)で、平安期の人生は五十才程度と思われる中で、七十代以上が二十七名と半数近くもおり、
平均寿命も五十八歳強になっています。儀同三司母自身は生年月日が定かでありませんから、
寿命は分かりませんが、平均寿命は得ていたのでは、とみてあげたいところです。
【百人一首の談話室】「いのち」
一。百人一首の中で「命」の言葉を用いた歌は五首(三八番、五十番、五四番、 七五番、八二番)有り、いずれの歌も「命」の短さと儚さを念頭に置いて 「命」の語を用いています。その命は、自分の命のことを詠んでいるものが 多いようですが、その中にあって三八番の右近の歌のみ「誓ひてし人」の 命を詠んでいます。 いずれの歌でも、命と対等の価値付けをしているものは相手を思う心や 気持ちです。物理的な命を精神的な心や気持ちで代替しようとしているとも 読みとれます。 二。五首の歌の各句を乱取りして和歌の捏造を試みてみました。 「誓ひてぞ げにや命は あるものを わすらるる身の 憂きに耐えかね」 「忘れじと さても命は あるものを わすらるる身は 惜しからざりき」 「忘れじも 今日を限りと 思ひ知れ 明日を契れぬ 命の故に」 「誓ひてし 人の命の 惜しきかな 行く末までは 難き世なれば」 「契り置けど 行く末までは 難ければ 明日は忘らるる 身となり果てむ」 「君が為 惜しからざりし 命故 君が命の 惜しくもあるかな」 「我が命 行く末までは 難ければ 今日を限りと 思ひけるかな」 「君が為 行く末までは 難けれど 永くもがなと 思ひけるかな」 三。近代医学の発達によって人の命が手術によって長らえる事が出来るように なり、或程度神の拘束から開放されて、人の手で命を調節する事ができる ようになりました。手術医学の未発達の平安期の人々の命に対する考えは ほとんど神に対すると同じであったと思われます。 命の「永くもがな」と願っても現実には「今日を限りの命」かも知れ なかったわけですから、「惜しからざりし」命とも言える一方、「行く末 までは難ければ」如何ともしがたいことであったのでしょう。 病気に罹れば気休めの薬ぐらいではどうしょうもなく、自力で病気を叩き 出すか、病気に負けてしまうしかありません。大半の病気は、やはり人の 命を奪っていってしまったのではないでしょうか。病気に対して為す術を 持たなかった平安当時でも、幸いにして大病に冒されることなく、いわゆる 天寿を全うした人もいるわけで、昔から人生五十年と言われていましたが、 百人一首の作者達の平均寿命は判明しているだけでみますと六十近くで あったようです。中でも道因法師は九十二歳藤原俊成は九十一才で、経信、 基俊、家隆、定家などは八十歳代までの長寿を保ったようです。 当時としてはほんとうに命の面では恵まれた人々であったわけです。 四。現代では医術によって人命に若干の調整が出来るようになったとはいえ、 「癌」などの不治の病もあり、結果的には平安期の人々と同じく相変わらず、 如何ともしがたいのが人の命であるわけです。又現代では平安期以上に 人災により命を失う機会が増しているのです。戦争による死者の数も 平安期の何百倍にも達し、一方交通事故などと言う新たな死の外的要因も 出てきているため、年間の死者の数は現代の方が圧倒的に多いと思われます。
平成六年七月六日
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