平平点描

(百人一首随筆集)


「連 載」 第 48 歌  くだく身と心 (源 重之)
風をいたみ岩打つ波のおのれのみ砕けて物を思ふころかな

◆ 寄する波 ◆  毎年夏から秋にかけて、日本列島は南太平洋で発生した台風に襲われること になっています。年間に発生する台風の数は二十〜三十になりましょうか、多い年は五回も六回も たてつづけに北上してきては、日本列島の各地に被害を与えて、北方へ消え去ったり、熱帯性低気 圧に衰えたりします。
 平成六年の夏も、七月下旬にはすでに七号、八号の台風が日本近海を迷走し、日本列島への上陸の 機会を窺っている様子です。今年は何回台風が上陸するのでしょうか。
 台風の近づいた海岸地帯の様子がテレビで報道される毎にふっと思い出すのが、源実朝の歌で あり、百人一首では、この源重之の歌です。

 「大海の磯もとどろに寄する波われてくだけて砕けて散るかも」(金槐集・雑部・六九六)

 実朝の歌は、大海の豪快な叙景歌になっているわけですが、五つの動詞を次々と順次積み上げる ことによって、波が躍動的におどり、乱れている様子を物理的現象順に詠んでいるところが印象 的です。 実朝の歌の波も風が強く吹き寄せるにつれて、磯にぶつかっては「われてくだけてさけ て散る」波の一回の動きが、一首に詠み込まれているわけです。一方、重之の歌の方は、何度も岩 をうつ波の動きをたとえに借用して、心の動きや思いの乱れを表現しているところに違いがあり ます。

 「わが思ひ 岩もとどろに うつ波の われてくだけて さけてちるかも」

としますと、重之の歌とはかなり違った思い切りのよい歌になり、この詠みでの「わが思ひ」は、 一度に破局に導かれていくことになります。

◆ 砕 く ◆  重之の歌のポイントは「くだけて物を思ふ」までのことですから、「裂けて」 かつ「散る」ところまで行かないわけです。

 「荒磯の 岩うちたたく 激つ波 分れて裂け散る 我が思ひかな」

 ちなみに、波が自分の分身として詠んでいるわけです。一方、頑固な意志の例えとして、岩を 主題に詠むならば、

 「荒磯に とどろに寄する 大波に 岩な砕けそ わが意志のごと」

 「くだけて物思ふ」の「くだく」とは、「心をくだく」とする場合で、「いろいろ思い悩む」 (あちらを思い、こちらを思い、心が乱れる様子)および「身をくだく」場合は、「あるかぎりの 力を尽くす」(あちらに努力し、こちらに労力をさく様子)などの用語として、現代でも活きてい る動詞です。 この歌では、「くだけて」が上句の「風をいたみ岩うつ波の」→くだけてであり、 下句の「おのれのみ・物思ふ」→くだけてと連結する役目を持った動詞でもあるわけです。
 もっとも現代用語としての「くだける」とあると、もともとの「こなごなになる、くじける、思 い乱れる」という意味などより「打ち解ける・形式ばらない」などの意味の使われ方がよく用い られます。ちなみによく似た動詞に「くずす」がありますが、物をくだきこわすこと、整った 状態を乱す、小銭にするなどで、「くだく」動作までには到らない語句ですが、この動詞も現代 用語として活きています。

 百人一首の歌の中で、この歌と共通点が多いのは、七七番歌「瀬を早み」(崇徳院)です。 七七番歌では滝川が瀬のために岩に遮られて分裂させられるところを詠んでいるのに対して、 この歌では波が風のために岩に当たって分裂させられるところを詠むことによって、物を思いな やむ心の動きを比喩しているわけです。思いの乱れの激しさは、重之の方が数段上ですが、物思 いの迷いの状態は、崇徳院のたとえの方がおもしろいのではないでしょうか。瀬を流れ落ちる滝 川は岩にぶつかってはわかれ、わかれてもまた合流し、また岩にぶつかるという同じような際限 のない繰り返しの様相が心の迷いでもあるわけです。重之の歌での波もびくともしない岩に当た ってはくだけ、砕けては引き下がり、また岩に激突するという繰り返しですが、同じ考えを何度 も、それこそ岩がくだけるまで繰り返す様子を想像させます。

◆ 風・岩・波 ◆   源重之は、ほぼ千年前(九百年代後半)の人ですが、その詠みは千年 前の人の物のたとえ方とは思えないほど現代的であるのは、天然現象の「風」・「岩」・「波」 を用いているため、いつの世でもわかりやすい内容だからでしょう。(一説に「伊勢集」にある 「風吹けば岩打つ…」の模倣と言われているようです。)
 この歌は詞花集・巻七の恋歌として撰歌されていますから、いずれの解説書にもあるように、 「波」が自分自身で「岩」が恋の相手と見立てて詠んでおり、自分の思いは相手にぶつけれどぶ つけれど相手はつれなく見向きもしてくれないので、相手の女性に苛立ちをみせ、なじっている ということになるのでしょう。

 しかし、恋歌としなくても歌の対象に幅をもたせ、人生そのものを詠んでいるとみることもで きるのではないでしょうか。「身のまわりは生きていくことには厳しい条件ばかり(風をいたみ 岩うつ)、くだける波のように、あれこれ思い悩むことが多い人生である(くだけて物を思ふこ ろかな)」。

 この人生観は現代の人々も同じですから、地球上から「風」・「岩」・「波」がなくならない かぎり日本列島の千年後の日本人も同じような共感をこの歌から受けることでしょう。
 源重之は、「百人一首」の百首ひとまとめの考え方を初めて形にした人として知られており、 冷泉天皇(六十三代)が東宮皇太子憲平親王のとき、東宮職にあった重之が、職に休みを願い出て 百首をつくったということです。今で言えば、三十日の有給休暇をとって、敷島道の修業に入っ たことになります。

*** 百人一首の忘備録 ***
◆ 重之の陸奥 ◆   重之は陸奥とも何かと関係の深い人物であり、次のように平兼盛や恵慶 法師とも親交があったようです。


(その一)重之の妹が陸奥の名取郡黒塚というところに住んでいると聞いた百人一首
          四十番歌人平兼盛が、次のように「言ひつかはしけり」

     (兼盛)「陸奥の安達が原の黒塚に鬼こもれりと言ふはまことか」
                       (拾遺集・巻九・雑下・五五九)
          (重之)「陸奥の安達の真弓引くやとて君に我が身をまかせつるかな」
                    (後拾遺集・巻十七・雑三・九七七)

(その二)重之の子が奥州で殺害されたとき、百人一首四七番歌作者恵慶法師が重之を
          見舞っています。この仲の良さによって、百人一首でもお隣り同志に並び
          ました。
(その三)「百人一首一夕話」(尾崎雅嘉)の経歴によりますと、
         「長保年中(九九四〜一00四)陸奥にて卒すとなっており、陸奥に滞在
          しており、百人一首九十番歌「見せばやな」の本歌になった歌を詠んで
          います。

     「松島や雄島の磯にあさりせしあまの袖こそかくはぬれしか」
                    (後拾遺集・巻十四・恋四・八二八)

【百人一首の談話室】「物思ふ」
一。「物思ふ」と言う用語は百人一首の中で八首(四十番、四三番、四八番、四九番、
   八十番、八五番、八六番、九九番)に詠まれています。四九番と八十番の
   第五句は「物をこそ思へ」と同じ用語の一対になっています。
二。「物」と言う言葉の意味は、古語辞典(三省堂)に依りますと、次のような
   色々の意味になっています。
   (一)個別の事物の一般化(二)世間一般の事物(三)取り立てて言うべきほどの物
  (四)物の道理     (五)超人間的な物 (六)出向いて行くべき処
  (七)者(人間)より低い表現としてのもの  (八)一般的事実や原則として

  その語義の範囲は非常に広いことが分かります。したがって「もの」の文字に
    よる熟語は多くあるわけです。例えば次のような「もの」シリーズです。 
         物言い    物忌み  物怖じ  物覚え  物思い  物語り  物柄
     物狂い  物腰   物好み  物仕え  物好き  物作り  物の怪
     物名    物申す  物詣で  物見   物病み
三。「物思ひ」とは思い煩うこと、心配すること、悩むことなどの意味になります。
    百人一首の作者達の「物思ひ」の大半は異性を思う恋の悩みであり、他は
    対象の漠とした不安な気持ちを詠んだものなどです。「物おもひ」の対象は
    時代背景と作者の置かれた環境によって様々です。歌の対象としては恋の
    悩みが多いわけですが、社会が複雑になり、個人にのしかかってくる様々な
    外的事態は、いろいろな「物おもひ」の種を個人に与えることになります。
四。人としての「物おもひ」の基本は、仏教の説くところの生老病死がまず挙げ
    られます。これはいずれの時代でも人々の最も思い悩む問題であり、永遠に
    解決の出来ない問題なのです。人はこの四問「生、老、病、死」と否応なし
    に取り組まされ、一生を終えるわけで、この四問のために、人は生まれ、
    老い、病し、死んで行くとも言えます。
    この四問と取り組むだけでも大変であるのに、人によっては更にこの上に
    問題を上積みして、自らの重荷を増やしがちなのです。それは物への執着
  (食欲、性欲、金欲など)や知識欲、名誉欲、と限りがありません。これらの
    欲望は生老病死に取り組みたがらぬ人の逃げ道になっているのかもしれません。
五。日本に於いても、「死」は昔から、「病」は近代になって、「老」は昭和の
    後半期および平成の時代にかけて、問題として認識されはじめましたが、
    二十一世紀以降では「生」の問題に取り組まれるようになるでしょう。
    平成現代でも既にバイオテクノロジーと称して、生態学や生化学が一つの
    学問分野として、脚光を浴びはしめてきたのがその一つの表れでしょうか。

平成六年七月二十四日


掲載 平成16年4月27日・磯城島綜芸堂・主筆 謹言
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