◆ 塩釜の地 ◆ 京都駅は七条に位置し、西本願寺や東本願寺、さらには渉成園(枳殻邸)、 方広寺や国立博物館などの並びが東六条に当たります。現在、渉成園・五条通・鴨川・および烏 丸通に囲まれた街区は、東西に六条通が、南北に河原町通・高倉通があり、六条院小学校、六条 院公園、および極楽寺を中心に十五寺院が密集する本塩釜町を形成しています。一方、河原町通 と鴨川の間には、二条大橋の西詰たもとの鴨川から引かれているかの森鴎外の小説で有名な高瀬 川が流れていて、五条大橋の西詰南の交番のある付近に「源融河原院址」の石碑が立っています。 想像するに、河原院は嵯峨天皇の皇子の館に恥じない壮大な邸宅であったと思われますから、現在 の御所の大きさでないにしても、二条城ぐらいの広さを有していた(尾崎雅嘉の「百人一首一夕 話」によりますと四丁四方〔四百四十メートル四方〕とのこと)としますと、五条から七条にか け、渉成園や高瀬川を含む鴨川辺りまでの区域を占めていたことになります。高瀬川は、一六一 一年に角倉了以が開削したわけですが、河原院の庭園をめぐる塩釜の景色をつくるために取り込 まれた泉水用の用水路ではなかったかと想像します。河原院は、主が亡くなってから寂れてしま い、源融没後一世代か半世紀後、紀貫之が訪れて詠んだ歌が古今集に載っています。
「君まさで煙絶えにし塩釜のうら寂しくも見えわたるかな」(巻第十六・哀傷歌・八五二)
さらにその半世紀後にここを訪れた恵慶法師が「八重葎」に覆われた荒れた院跡を眺めて詠った わけです。 恵慶法師が「旧跡」河原院を訪れたのは、源融在世時代より約百年後のことであって も、この歌のように、葎茂れる荒れたあばら屋のようになっていたわけですが、現代では、石碑一 本になってしまいました。河原院も、羅城門も、今や石碑一本が残っているだけでもまだいい方 で、現代では旧跡は跡形もなく破壊されつつあるところもあるようです。自然の名山でも土地開 発で削られ、工業用地として白砂青松の海浜が奪い去られようとしているのです。まして、人間 が造作した建造物や旧跡を少しでも往時のままで、後代へ引き継ぐことがいかに難しいかを知る わけです。
◆ 寂しき八重葎 ◆ さて、この歌の唱わんとする主題は、上句と下句で挟まれた第三句の
「わびしきに」の「寂し」という感情と思われます。この「寂しい」感情を修飾するために、
「八重葎が茂り」、「人が見えず」「秋は来にけり」という周辺状況を説明していることにな
ります。
まず、「八重葎」とは、雑然と生い茂っているつる草のことで「広辞苑」には万葉集・巻第十
一・二八二四歌が引用されており、問答の相手の歌を並べると、次のようになります。
「思ふ人来むと知りせば 八重葎 おほへる庭に珠敷かましを」(二八二四)
「玉敷ける家も何せむ 八重葎 おほへる小屋も妹としをらば」(二八二五)
「外見ではありません。中味ですよ」と言いたいために「八重葎」がすでに万葉集で使われて おり、手入れされていない、したがって人に見放された場所の代名詞のようになっていたので しょう。もっとも葎は必ずしも秋に固定されていないと思いますが、荒涼たる風景に似つかわ しい草として採り上げられていたのでしょう。
◆ 宿と人 ◆ 次に「宿」とは、現代では「一時泊まるところ」の意味で使われます。 もともと宿とは、「家」とか「すみか」という意味で使われているようです。大伴家持の次の歌、
「我が宿のいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕べかも」(万葉集・巻第十九・四二九一)
あの宿です。この宿の主が「人」でしょうが、この歌での「人」には、さらにその主人を訪問 する客人をも含めた「人々」も含まれるものと解釈されます。この歌には結局、葎と宿、人気と 秋が取り込まれておりますが、人間界の宿と人の気配、天然界の葎と秋に分類できます。しかも、 人間界の宿は寂しく主人が見えず、他方天然界は、葎は茂り、秋は来たりと、活動的な状態を呈 しています。すなわち、以上の四語は次のように図式化することができましょう。

◆ 自然と人間 ◆ 自然界の律動は、規則正しく、春夏秋冬と同じことを同じように繰り返し
ているのに反して、人間界の動乱は同じことが同じようには繰り返さないけれども、栄枯盛衰を
繰り返しています。人工物の宿は、造れど造れど自然と壊れていくもの、あるいは造った人間自
身が壊すものです。一方、葎は茂っては枯れ、また繁茂してくるもので、季節の律動のままに、
「規則正しく調子をあわせて」巡回しているものです。その実態とは裏腹に、まさしく葎などは
文字だけでも「律」(規則・調子)する「T」(草)となっているではありませんか。
この歌の人間界と自然界の構成を他の類歌でみてみましょう。まず、恵慶法師自身は、この歌と
同じような寂しさを歌うことを得意としていたようで、次のようなものがあります。
ー河原院にてよみ侍りける、恵慶法師ー
「すだきけむ昔の人もなき宿にただ影するは秋の夜の月」(後拾遺集・巻第四・秋上・二五三)
この歌では、昔の人、宿、秋の夜、月と、上句に人間界を、下句に自然界を集めています。 「人」は「昔の人」と具体的で「葎」のかわりに「月」をもってきた分だけ、荒涼さが抜けて、 何かのんびりとした感じに変わっています。
「草茂み庭こそあれて年へぬれ忘れぬものは秋の白露」(続古今・秋上)
この歌では、草(葎代替)、庭(宿代替)、秋と白露で、年が経たっても変わらぬものは白露
だけとのことで、「寂しいなあ」の感情より、「自然は変わらないなあ」の印象の方が強いわけ
です。
次に、紀貫之の場合、新勅撰集に、
「訪ふ人もなき宿なれど来る春は八重葎にもさはらざりけり」(巻第一・春歌上・八)
と詠い、「人」・「宿」・「春」・「葎」を入れ、上句が人間界の人、宿および下句に自然界の 春と葎をもってきています。また、大江匡房の場合、新古今集に
「八重葎茂れる宿は人もなしまばらに月の影ぞすみける」(巻第十六・雑歌上・一五五一)
と、恵慶法師の二番煎じをやっており、葎、宿、人は同じで秋の代りに月をもってきているだけ です。秋が消えたことによって、寂しさの感情が抜き取られたため、八重葎とその間から見える 月の影が異常に強く浮かび上がってきていると言えないでしょうか。
*** 百人一首の道草 ***
◆恵慶作法◆ 歌の調べは、図示すると次のようになりましょう。

第一句と第五句による歌の両側には自然界を置き、それを挟むように第二句から第四句の中に 人間界の事物の状態を代表して、人とその住まいする宿とが「寂し」いという歌の課題に集まっ ているという図になるわけです。これを名付けて、「恵慶作法」としましょう。恵慶作法のお 手本の構成要素を入れかえることによって、恵慶流和歌を試作してみましょう。
まず、秋題を春題にしてみますと、葎は桜に変わります。

次に、春題より夏題に移りますと、
「八重潮 寄せる浜の家 にぎはえり 人人泳ぐ 夏は来にけり」
「浜風の 寄せる海の家 にぎはひて 人の水浴ぶ 夏は来にけり」
ついでに冬題も試してみましょう。
「渡り鳥 飛び来る池の 草枯れて 人目も離れむ 冬は来にけり」
*** 百人一首の忘備録 ***
この歌の百人一首類歌は、七十番良暹法師の歌です。七十番歌の主題も、使っている引用語句も、
かなり共通しており、同じ場所で同じように歌ったのではないかと思われるぐらいです。
四七番「八重葎茂れる 宿 の さびしき に 人こそ見えね 秋 は来にけり」(恵慶法師)
七十番「さびしさ に 宿 を立ちいでて ながむれば いづこも同じ 秋 の夕暮」(良暹法師)
共通の語句は、「さびし」・「宿」・「秋」で、大切な個所の用語がこれですべて合致しており、 人が見えずに秋が見えること、および両作者とも法師さんである点まで共通です。一つ違う点は 一方は他人の宿を訪れたもの、他方は自分の宿を出ていくものとなっています。
「さびし」・「宿」・「秋」の主題による即興和歌一首、「人離れて すすき茂れる わが宿の 月影さびし 秋の夕暮れ」
平成六年五月二十六日
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