平平点描

(百人一首随筆集)


「連 載」 第 45 歌  ロマン大臣 (謙徳公)
あはれとも言ふべき人は思ほへで身のいたづらになりぬべきかな

◆ 小説家 ◆   百人一首五九番歌「やすらはで」の赤染衛門が女性代表の代筆屋とすれば、 男性の短編小説家の筆頭は、四五番歌の藤原伊尹(謙徳公)でしょう。
 この四五番歌は、拾遺集の詞書によりますと、「物いひ侍りける女の、後につれなく侍りてさらに あはず侍りければ、一条摂政」(要は、恋の相手が冷たくなって逢ってくれなくなったので)という ことで詠ったわけです。摂政とは天皇の代理人ですから、「ああ、かわいそうだと言ってくれるはず の人はだれ一人として思い浮かばない」などというはずはありえない。要は、彼の歌は真っ赤な嘘と いうより虚像の世界での頭の体操と見なしてよいでしょう。もっと端的に言えば、伊尹の三十一文字 の短編恋愛小説でしょう。
 現実の摂関政治舞台での摂政や関白は、ただでさえ天皇とその取り巻き連にあれこれ引き廻され、 さらに藤原氏族内部の権力争いで神経の疲れることばかり、趣味の一つでも持たないことにはやって いけません。伊尹は、平成現代から見れば女々しい架空の男性をテーマにした超超ショート恋愛小説 執筆家であったようです。
  たとえば、拾遺集にみられる歌の詞書のみ集めますと、

  (六五七)大原野の祭の日榊木に挿して女の許に遣はすとて
  (七五八)侍従に侍りける時、村上の先帝の御めのとに忍びて物のたうびけるに、
つきなき事なりとて更にあはず侍りければ
 (一一九七)春日の使にまかりて、かへりてすなわち女のもとにつかはしける

        「くればとく行きて語らむ逢ふ事のとをちの里のすみうかりしも」

などと、これらも四五番歌同様、どうも女の許につかわす前述の短編恋愛小説の類のものが多いよ うです。
 さらに新古今集では、恋歌一から恋歌五の中に集中して十首弱入集しており、ここでも同様で

 (一00三)いかなる折にかありけむ女に
 (一00五)つれなく侍りける女に師走のつもりに遣わしける

      「あら玉の年にまかせて見るよりはわれこそ越えめ逢坂の関」

 (一0二0)正月に雨降り風吹きける日女に遣はしける
 (一一五0)忍びたる女を假初なる処に率て罷りて帰りてあしたに遣はしける
 (一二三七)恨むること侍りて更にまうで来じと誓言して二日ばかりありて遣はしける
 (一三五四)「人知れぬ寝覚めの涙ふり満ちてさもしぐれつる夜半の夜かな」

 いずれも仮想の世界における男女関係をいろいろの事例に作り上げて、歌に仕上げるという作業を やっています。それぞれの歌には今昔物語、古今著聞集、宇治拾遺物語に書かれていそうな説話が 秘められているように思います。

◆ 梨 壺 ◆  伊尹が、和歌の上で有名なのは、梨壺の五人の主宰者である点でしょう。源順 (三十六歌仙)、大中臣能宣(四九番歌)、清原元輔(四二番歌)、紀時文、坂上望城(三一番歌の 作者坂上是則の子息)の五名の歌人は宮中の梨壺(昭陽舎)に設けられた和歌所の寄人達で、 「後撰集」を撰じています。この梨壺の和歌所は、彼の祖父藤原忠平(貞信公二六番歌)が生きた 醍醐・朱雀・村上三朝の平安皇朝最盛期、初めて勅撰された和歌集「古今集」の選者が紀貫之・ 紀友則・凡河内躬恒・壬生忠岑であったことを意識して置かれた勅撰和歌編集集団です。村上天皇 は延喜の「古今集」の名誉を、天暦の「後撰集」に引き継ごうとしていたことがわかります。この 歌集では伊勢(十九番)と紀貫之(三五番)の二名の歌が圧倒的に多く、主宰者伊尹の歌は次の二首 だけです。

 「鈴鹿山伊勢男の海士の捨て衣潮なれたりと人やみるらん」(後撰集・巻第十一・恋三・七一九)
 「人知れぬ身はいそげども年を経てなど越えがたき逢坂の関」(後撰集・巻第十一・恋三・七三二)

◆ あはれといたずら ◆  この歌のキーワードは、「あはれ」と「いたづら」で、これらの語を 中心とした超短編小説に仕上げるための動詞が「言ふべき」と「なりぬべき」の二語でしょう。
 この歌での「あはれ」とは、「ああ、かわいそうだ」という感動詞ですが、名詞としての「あは れ」には人情・情愛・情趣あるいは感情そのものの意味もある概念の広い言葉でありますから、ここ では単に「かわいそう」だけでない、情感を含めた多くの意味を込めているのではないでしょうか。 形動詞の「あはれなり」としますと、「いとしい」、「恋しい」、「しみじみと引きつけられる」 といった意味が出てきますから、この方が適しています。小説家の選定して使う用語は非常に含み があるということです。
 一方、「いたづら」は、平成の現代用語としても生きてはいますが、「むだなこと、無益なこと」 を通り越して、「悪いこと」や「迷惑なこと」という意味になってしまいました。時代とともに意味 が少しずつ変化してくることは、「言葉は生きている」からこそでしょう。
 なお、動詞にくっついた小説用語「べき」ですが、前者は「…のはずの」という当然の助動詞で、 後者は「…だろう」という推量の助動詞ですから、同じ「べき」を二回使っても、目的を使いわける ところは、小説家の小説家たる由縁でしょう。

◆ 諡 ◆  「おくりな(諡又は贈り名)」とは、ー人の死後、その生前の徳や業績を讃えて送 られる称号で、いみな(諱)ーとも言われています。この種の「おくりな」は、誰でも頂戴するわ けにはいかないものです。その代わりにその人の生前の罪や悪業を貶して、あるいは嫌って付けら れる「おくりな」と言うより、「あだな(渾名と書くより徒な名)」と言った方がよいような手合 いの物もあります。「世紀の極悪人」あるいは「天下の大盗賊」など、ほとんどは犯罪に関係した 人物です。
 このような極端な「贈り名」は別にして、一般人でも本人が希望した、しないに係わらず、 「戒名」、「法名」あるいは「贈り号」と言われるこの世の本名とは別のあの世の名前を頂くのが 通例になっています。これこそ本人の生前の人格や行いなどを参考にして、お坊さんが知恵をひね られることになるわけです。もし、本人が気に入らぬ戒名を気にするなら、生前に先に頂戴してお くということも可能です。しかしながら、「おくりな(諡)」はそういう訳にはいきません。
「謙徳公」とは伊尹の諡名です。「おくりな」とは先に述べましたように、その人の死後その遺徳を 讃えて後世の人が送る呼び名のことで、祖父の藤原忠平も「貞信公」を頂いており、百人一首の中 では、祖父と孫が諡名で名前を連ねたことになります。
 「謙」とは、漢和辞典によりますと、「へりくだる」、「こころよし」ということですから人に 譲る、他に下る、あるいは卑下する徳をそなえた人物であったのでしょう。祖父ゆづりの人に慕わ れる人であったからこそ、「おくりな」を頂いたわけです。
 また、本名の伊尹(これただ、又はこれまさ)も、平成人には読みにくい名前です。
 「伊尹」の名前で、関係する新聞記事(平成六年七月十三日付、読売新聞「史記の地平」(宮城 谷昌光)によりますと、「料理の腕前を武器にして宰相になった伊尹」というのがあります。藤原 伊尹は、血筋の良さで宰相になった人物ですが、「史記」の伊尹は、中国の湯王につかえるべくお いしい料理をつくって湯王に近づいたという人物です。和漢ともに「伊尹」の名前の珍しい人物を もったものです。
 「伊」とは、「かれ、かの」、「これ、この」、「ただ、これ」など、名前にふさわしい深い 意味がありません。「尹」とは「ただす(正)」、「をさむ(治)」、「つかさ(司)」、 「まこと(誠)」などの意味をもっていますから、「伊尹」とは、「この人は正しい」、 「この人は司る人」、「この人は誠そのものの」などと意訳することができます。ちなみにこ の「尹」のように読みにくい漢字名で思い出すのは、大江匡房の「匡」や源宗于の「于」の字です。

  ***   百人一首の百人家族 ***
 藤原伊尹の血筋の良さは、次の系図をみてもわかります。


藤原伊尹の系譜

 これだけ恵まれた人でも、息子の義孝は短命で、父の死後すぐ二十歳でこの世を去っています。  伊尹は息子のこの世で受けたであろう幸福の分まで、自分で楽しんでしまったのではないかと さえ思います。
                               平成六年七月十四日


掲載 平成16年4月27日・磯城島綜芸堂・主筆 謹言
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