平平点描

(百人一首随筆集)


「連 載」 第 44 歌  逢ふことの悩み (中納言朝忠)
逢ふことのたえてしなくはなかなかに人をも身をも恨みざらまし

 百人一首の歌人の中で一番若い四三番歌作者、藤原敦忠とよく似た兄弟かと思う名前の朝忠は、 彼より四年あとに生まれ、二十三年も長く生きた人物なのです。百人一首では、隣同志の上、両人 とも従三位権中納言に昇進しており、お互いの曾祖父が兄弟ですから、遠縁に当たります。敦忠は 琵琶の名手、朝忠は笙の名手であり、歌の内容も恋歌として、よく似通った歌となっています。
 敦忠のおじさん(父の弟)は二六番歌「小倉山」(貞信公・藤原忠平)であり、朝忠の父が二五 番歌「名にし負はば」(三条右大臣・藤原定方)ですから、この点でも二人は共通点をもっていま す。さらにもう一つ重要なことは、敦忠(右近との恋愛)も朝忠(華やかな恋愛談)も女性関係が にぎやかであったということです。

 「たぐへやるわが魂を如何にしてはかなき空にもてはなるらむ」(大和物語)

さぞかし、上流貴族社会の若い貴公子として文武両道にかがやき、かつ容姿も女性から見て惹か れるものがあったものと思えます。

◆ 肥満の朝忠 ◆  しかしながら、朝忠の方は、ちょっと事情が違ったようです。「…その生 まれつき世にすぐれて背も高く肥え太り給ひければ立居につきても苦しく、…医師を招き寄せ、如何 にもしてやせ細るべき療治もやあると問はせ給ふ…」(尾崎雅嘉「百人一首一夕語」)。さてその 処方箋は「…ただ食物によりて御養生あらん…」となって、これからがいよいよ、平成の現在にも 通じるような節食と減量への思いと飽くなき食欲との葛藤の話になっています。
 朝忠の節食の仕様とは、冬は湯漬け、夏は氷づけの食事のこと。それでも痩せないので、医師が 水飯の内容を診断してみると、なんと椀に山盛りの飯を早食いしているため、あきれて帰ってしま ったという、宇治拾遺物語に載っていた話が引用されています。平安の時代も太りすぎはやはり気 にして、平成の時代に言う「ダイエット」(節食)を行なっていたことがわかります。やはり肥満 は昔も今も体には良くないのですが、朝忠はそれでもなんと五十七歳まで生きたわけで、三十八歳 で早死にした敦忠に比べると約二十年も、大食漢・朝忠で美味なものを食べて、いいめをしたわけ です。
 さてこの「ふとっちょ朝さん」の朝忠に華やかな恋愛談があったとは思えません。このちぐはぐ な感じは、言ってみれば、オペラの「椿姫」で、胸を患ってやせ細って死んでいくはずのプリマド ンナ・椿姫たるや、背より横幅の方が大きいくらいに太っていて、首も太く短く、健康そのものの 歌姫になっているのをみて、幻滅感を味わうようなものです。
 ひょっとして、朝忠が女性にもてたのは、容姿ではなく、逢う瀬の元気のよさかもしれません。 なぜそうかと問いただされれば、「逢ふこと」とは契りを結ぶこと、「絶えて」は、なかなか逢え ないこと、「なくは」契りあえないこと、(田辺聖子さんの『注意書「しなくて」とよまないこと』 を敢えてよみますと「あえなくて」となります。)「なかなか」は、かえってとか、ずいぶんなど 「逢ふ」ことに、かなりこだわっており、かつ逢えば逢うほど恨みがましく思いがちな所が感じら れるからです。なおさら幻滅。

◆ 恨 み ◆  さてこの歌の意味は現実の裏返しを言っていますから、「逢うことが絶えるこ とがないので、いらいらし自分も恨むことになっている」。それでは、「逢わないようになった ら恨むこともない」が、かといって逢わなくなったら、恨むことはなくとも「人も身も」一層逢 いたい気持ちや悔しい気持ちは高鳴るでしょう。
 「恨み」とは恨めしく思う気持ち、残念に思う気持ち、あるいは悲しみとか嘆きということで すから、朝忠の本当の気持ちは、逢えるまでのむなしい時間での相手へのいらだちと辛抱しきれ ない自分の不甲斐なさを嘆きつつも、ある意味では、自分を追いつめて窮地の苦しさを楽しんで いるのではないかとさえ思えます。この男女の仲がどのように展開していくのかは解らないわけで、 正しく四六番歌「由良のとを」(曽禰好忠)の言う「ゆくへも知らぬ恋の道かな」であるのです。

◆ 逢ひ見ての心 ◆   朝忠の歌(拾遺集・巻十一・六七八番歌)の仲間(その歌の前後の歌) ではどうでしょう。先ほどの敦忠さんはすべて御近所の方々ですし、加えて人麿、貫之および是 則に次のような歌があります。

 「逢ふ事を待つにて年のへぬるかな身は住の江に生ひぬものゆゑ」
      ー残念、待ちぼうけ(住の江のまつのごとし)ー(巻第十一・六二六)(読人不知)
 「逢ふことはかたゐざりするみどりごのたたむつきにも逢はじとやする」
      ーいつあえるかわからない(一年余りの間に?)ー(巻第十一・六七九)(平 兼盛)
 「逢ふ事を月日にそへて待つときは今日行く末になりぬとぞ思ふ」
      ー今日か今日かと待つみー(巻第十一・六八0)(読人不知)
 「逢ふ事をいつとも知らで君がいはむ常磐の山のまつぞ苦しさ」
      ーあなたの「待て」はいつまでか、まてないー(巻第十一・六八一)(読人不知)
 「行く末は遂に過ぎつつあふことの年月なきぞわびしかりける」
      ーあえないあいだが長すぎるー(巻第十一・六八三)(紀貫之)

***   百人一首の道草   ***
◆ 貴族の食事 ◆  朝忠が食欲旺盛であった十世紀中頃、貴族社会の食卓にはどのような食べ 物が並べられていたのでしょうか。「百人一首一夕語」では、朝忠の御飯の上には「鮎に干瓜ようの もの」などと、大変贅沢な料理のように思えます。平城京のとき左大臣として贅沢三昧を尽くし た天武天皇の孫、長屋王の屋敷跡が発掘され、朝忠よりさらに二百年前の貴族の食事内容が明ら かにされつつあります。
 それによれば、平成の現代からみても、豪勢な料理を喫食していたことがわかりました。あわび などの魚介類や海産物はもとより、いずれも旬のものを豊富に手配でき、まさしく山海の珍味を集 められただけでなく、夏でも氷を使った涼しい飲食物も楽しんでいたようですから、平成の現代よ り新鮮で、栄養のある食事であったことが窺えます。

◆ 忠さん ◆   好忠の引用で気が付きましたが、恋の道に迷っている人には、「○忠さん」 が多いですね。すなわち、他の「○忠さん」方は、拾遺集の次の三人です。
                     四一番歌「恋すてふ」(壬生忠見、・巻第十一・六二一)                   四三番歌「逢ひ見ての」(藤原敦忠、・巻第十二・七一0)                  四四番歌「逢ふことの」(藤原朝忠、・巻第十一・六七八)  朝忠が直面している逢えるまでのむなしい時間をどうみるか。朝忠はただ恨んでいます。「恨み」 とは恨めしく思う気持ち、残念に思う気持ち、あるいは悲しみ・嘆きということです。
 かの西行法師や藤原興風の場合は、新古今集で次のように詠じています。

「逢ふまでの命もがなと思ひしはくやしかりけるわが心かな」(巻第十三・恋歌三・一一五五)
「逢ひ見てもかひなかりけりうば玉のはかなき夢におとる現は」(同上・一一五七)

◆ 忠・忠の歌 ◆  敦忠と朝忠の歌の共通性を利用して「違え取り」の歌を試作してみましょう。
「習作一」「相思ひ 絶えてしなくて よにふれば 夢ものぞみも 思はざりけり」
(敦) (朝) (敦)   (朝) (敦)
[歌意]逢いもせず顔も見せることもせず暮していると、逢う夢も見る望みもなくなって
         しまうことだ。
[鑑賞]男と女が逢いも、また会いもしないで、人の中では暮せても、男女の仲では耐え
         られないことでしょう。
「習作二」「逢ふごとに のちの心は ながながと 昔はよしと 恨みいやまし」
         (朝) (敦) (朝) (敦)   (朝)
     [歌意]お互いに契りを重ねるごとに、契りのあとこそ恨みごとが口をついて出るように
         なった。逢い始めた昔の方が情がこもっていたとながながと恨むことばかりだ。
     [鑑賞]男女の仲は、最初は最高に燃え上がり、急に冷たくなるものもあれば、なんとな
         く逢うごとに情を増し、ついには本当の恋に燃え上がっていくものもありましょ
         う。

                               【百人一首の談話室】「逢ふ」
 「あふ」という言葉には、いろいろな意味が重複して表現されています。まず漢字で意味を表すと、
「合」「会」「逢」「和」「敢」となりそれぞれ次のような意味を持っています。
 (一)調和する、よく当てはまる、似合う、お互いに・・・する、いっしょに・・・する
 (二)対する、対面する、遭遇する、ぶつかる、戦う、匹敵する
 (三)夫婦になる
 (四)あえものをつくる、あえる
 (五)こらえる、たえる、もちこたえる
 百人一首では「逢ふ」と言う用法が全部で、九首有ります。そのうち、十番、二十五番、六十 二番では「逢坂の関」の「逢」の字を「逢ふ」と掛けて用いられていて、他の六首は全て「逢ふ」 動作を詠んでいます。
 一体に和歌を詠むとは、人の思っていること、感じたこと、見たことを何とか人に伝えたい、 あるいは表現したいという事から成り立っています。古今集の仮名序に言うところは「人の心を種として、万の言の葉と」成り、「心に思ふ事を見るもの聞くものについて、言ひ出だせる」ものであるわけです。又「たとひ時移り事去り、楽しび哀しびゆき交ふとも、この歌の文字」は永遠に残り、伝えられていくであろうと思われます。  いずれの時でも、人々の「心に思うこと」「見るもの」「聞くもの」は男女のことであり、美しい 物、憧れる物などであるわけです。千年前の詠む対象がそれらであったように、平成現代の短歌で も歌の対象は全く変わることはありません。多分千年後の日本に於いても、和歌は残っており、 人々によって世に伝えられていることでしょう。しかもその対象は古今集や百人一首に詠まれて いるところの「逢ふ」ことや、「心に思ふ」事をはじめとするものであるにちがいありません。 人の心に何かを訴える物でなければ、和歌の命はなく、詠んでもすぐ忘れ去られ消えてしまいます。 しかしいったん誰かの人の心によって言霊としての命が吹き込まれたものは、永遠にその時代の和 歌として、日本民族の中で営々と伝えられていくことでしょう。
 百人一首はこれまで、何百万人、何千万人の命を得て千年間も生きながらえてきたのです。特に 「逢ふ」テーマは強く人の心を引きつけるものを持っています。ちなみに「逢ふ」の反対の 「別れ」の語を用いた百人一首は三首(十番、十六番、三十番)有り、十番では「逢」と「別」 を対比して詠んでいます。

平成六年五月二十九日


掲載 平成16年4月26日・磯城島綜芸堂・主筆 謹言
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