◆ 代 作 ◆ 後拾遺和歌集・巻第十四・恋四の筆頭歌として出ているこの歌の詞書は、
「心かはり侍りける女に人に代りて」とあり、要は代作した歌ということです。ちなみに百人一
首で、女性の代作の第一人者は五九番歌の赤染衛門〔代筆おばさん〕でしょう。
後拾遺集の中にみる元輔の歌には、代作品あり、涙と袖の歌あり、女に遣りたる歌あり、である
ところから推測しますと、元輔も多分に人に代りて、女につかわす歌を詠むことが得意とまでい
かずとも好みに合っていたのではないでしょうか。例えば、
ー村上の御前の紅梅を女蔵人どもに詠ませさせ給ひけるに代りてよめる
「梅の花香はことごとに匂はねど薄く濃くこそ色は咲きけれ」(後拾遺集・第一・五四)
また、涙と袖を詠んだ歌として、
「知る人もなくてやみぬる逢ふ事をいかで涙の袖にもるらん」 (六七七)
「なぐさむる心はなくて夜もすがらかへす衣のうらぞぬれける」(七八三)
「かへしけむ昔の人の玉章をききてぞそそぐ老の涙は」(一0八七)
女にやりたる歌に
「移り香の薄くなりゆくたき物のくゆる思ひに消えぬべきかな」(七五六)
「ささがにのいずくに人はありとだに心細くもしらでふるかな」(七九一)
元輔は、恋歌の代理作者ですが、近世でも恋文の代筆請負業は現存したと聞きます。最近はあまり 手紙や葉書さえ書かなくなったため、代筆業は流行しません。まして、恋歌の代作など、作る人も 少ないし、受け取れる人はさらに少ないでしょう。現代の男女の恋のやりとりは何か、直接会って あるいは電話で口に出して敢えて言うということが多いため、恋の代理人は、口頭で相手に伝言す るしかありません。平安と平成では社会全体の動きや速度が全く違うため、やむをえないのかもし れません。
◆ 請負業 ◆ 元輔の時代(十世紀)には、恋文の代作以外に、どのような請負業があったの
でしょうか。元輔も人の代りに歌を作って、収入を得ていたわけではありませんから、厳密には請
負稼業とは言えません。平安期には、職業と言えるものが、平成の世ほど多岐にわたっていません
でしたから、代理業と言ってもなきに等しいでしょう。
それにくらべ、平成の世には、なんと請負稼業なるものが多いことでしょう。それだけ、人口が
多くなり、職業が増え、人の交わりが頻繁になり、世の中で同時に多くのことが進行する以上、人
一人の関われる時間と場所には限界があるため、どうしても代理人を用いざるを得ない場合も出て
くるわけです。
二、三の特例を挙げてみましょう。母親の代理人の場合、夫婦でない女性の子宮を借りて、受精
した卵子を挿入して、子供を産んでもらう代理母とでもいうべき職業です。こんなことは医術の発
達していない平安期には考えられないことです。
大学への入学試験に、替え玉を用いて不正をはたらくこと。これは、ひょっとしたら、選抜試験に
類するものがあるかぎり、今も昔も存在したかもしれません。さらに殺人に代理人を頼むやり方は、
洋の東西を問わず現実の世界でも、映画やテレビジョンのドラマでも数かぎりあります。テレビの
人気番組に、江戸の町中を舞台にした「必殺仕掛人」や「必殺仕事人」などの題名で悪人の殺人を
請け負う稼業のシリーズものがありました。この種のぶっそうな代理人は困ります。やはり、恋歌
の代理人は、顔も声もわからず、ただただ歌のみが表に出る奥ゆかしい職業人と言えましょう。
*** 百人一首の忘備録 ***
◆ 契 り ◆ この歌の第一句切れは、「契りきな」と、詠嘆の終助詞「な」を用いた独特の
言いまわしになっています。百人一首の中で対になる例は、九十番歌「見せばやな」です。ちなみに
第五句の「とは」止めの百人一首で対になる歌は、十七番歌「水くくるとは」です。「契り」で始
まる百人一首の対になる歌は七五番歌「契りおきし」です。いずれの歌とも結果としては「契り」が
契りでなくなっている点が共通しています。人の契りとは、所詮その程度の、頼りにならぬことが
多いという例でしょう。
◆ かたみに ◆ 第二句の「かたみに」(互に)という用語は、百人一首でもこの歌のみの独特 のものです。「かたみ」の語には、「片身」と書いて、半身縫ってある着物の半分という意味と、 「形見」と書いて、死んだ人や別れた人の残した物、思い出になる物などの意味もあります。第三 句の袖との縁語とみれば、前者の意味も背後に含まれているのでしょうか。後者の意味を含めますと、 「契りおきし」も別れを予知してお互いに袖の涙を絞りあったことになります。
◆ 袖 ◆ 女性の恋歌には、「袖」は必須の用語になっています。例えば、六五番歌(相模) 「ほさぬ袖だに」、七二番歌(紀伊)「袖のぬれもこそすれ」、九十番歌(殷富門院大輔)「あま の袖だにも」、九二番歌(讃岐)「わが袖は」などで、いずれも涙に「濡れ」て、涙に「乾く」こ とがないと、嘆いているものばかりです。これらの女性群の歌では袖は濡れているものの、元輔の ように涙が絞れるほどに濡れるという大げさな例えではありません。
◆ 末の松山 ◆ 第四句の「末の松山」は、古今集にある本歌(一0九三番)に依っている
のですが、宮城県多賀城市の海岸にあった名所で、元輔の娘、清少納言も「枕草子」第七段の「山は」
に挙げているくらい有名で、どんな高波も越えることがないということから、歌枕として歌に詠ま
れたわけです。第五句の「波越さじ」と合わせて、男女の恋の心変わりを逆説的に引き出すための
歌枕に使われるようです。
「末の松山」というと仙台地方、「波越」といえば地震の津波のことを連想してしまいます。近年、
三陸沿岸に影響した近海や、太平洋からの地震による津波の情報をよく耳にするからでしょうか。
【百人一首の談話室】 「職 業」
平安時代では、平成現代ほど多種多様な職業はなかったと思われますが、百人一首の中に出てくる
職業には、次のように官職関係やあま(海人、漁夫、海士あるいは蜑と書かれる)に関する物など
で、十首ほどになります。
宮仕えの身としては、六番(鵲)、二十六番(御幸)、四十九番(衛士)、七十八番(関守)な
どであり、神職としては二十四番(ぬさ)、九十八番(禊ぎ)の二首、僧職は九十八番(墨染)、
漁師には十一番、九十番、九十三番の三首になり、船頭さんは四十六番(舟人)です。これらの
職業はほとんど内容もかたちも変わらずに平成現代でも引き継がれています。但し、関守は強い
て言うなれば出入国管理事務官のようなものでしょうが、関は関でも通行のお金を徴収する守衛
ということになれば有料高速道路の料金所の人ということになります。しかし、関守のもともと
の意味からすれば、社会の治安維持に努めている警察官いわゆるお巡りさんの方が当を得ている
かもしれません。
又職業としては挙げるまでもなく、お米作りの農業に関係する歌は、一番(秋の田)と七十一番
(門田の稲葉)があります。
もう一つの職業は代筆業というものです。四十二番歌に関する後拾遺集の中の詞書きには、
「(心がはり侍りける女に)人に代わりて」となっていて、明らかに人に代わって代作した歌に
なっています。現代のように他人に代わって代作することによって収入を得ていたとは思えませ
んが、金銭に代わる何らかの収穫を得ていたと考えらえます。
五十九番歌の赤染衛門は周囲の人に心配りや気配りをしている人で、何くれとなく快く人に代わ
って歌を詠んであげていたようです。
平成現代で職業として成り立っている物は全て人間の本心に基づいたもの、すなわち経済的行為
と言うべき物ですから、職業の種ははるか平安以前の昔から芽生えていたと言うべきでしょう。
考えて見れば、藤原定家自身、自分が選んだ百人一首が娯楽の一道具になり、それを商売にする
カルタづくりという職業が出てこようとは思ってもみなかったことでしょう。
更に大衆娯楽の道具(パチンコやコンピューターゲーム)の製造業が世の中の一大産業分野に
貢献している平成現代社会など想像だに不可能であったと言えましょう。
さて、千年後の職業はどうなっているのでしょうか。政治(宮仕え)と宗教(神職や僧職)は
変わらないで存在し続けるのではないでしょうか。
一方いわゆる第一次産業と言われる農林水産業などは内容を変えて、やはり存在するでしょう。
これらは基本的な人間存在の前提であるい衣食住に直結した産業だからです。第三次産業のつぎに
第四次、第五次産業としてどのような物が成立しているのでしょうか。現在ではそんなことは職業
にならないと思うようなことでも、ひょっとしたら国民総生産の半分以上を担う一大産業になって
いるかもしれません。
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