大和物語は、十世紀中頃(九五一年頃)伊勢物語と同時代に作成された歌物語で、伊勢物語が歌 を中心とした説話であるのに対して、大和物語は歌を含む伝説中心になっており、後の今昔物語や 古今著聞集の先駆けとみられているものです。右近の歌と伝説は、この大和物語に載っていて、 「忘れられる自分はなんとも思わない。ただ、愛した人が神への誓いを破って罰を受けぬように 祈る」という殊勝な女性の歌となっています。
◆ 物語性 ◆ この歌のように物語を帯びた歌は、叙景歌より叙情歌の方が適しているように
思います。物語を作る側からしても、何か訴えられる物を感じないと物語が出てこないということ
も考えられます。平安朝では日常の出来事は、人のうわさでしか知ることができませんから、見聞き
する事件も少なかったと思いますが、平成の現在では、毎日事件に溢れかえっております。大量に、
広範囲に、迅速に、情報が伝達されますから、毎日、大和物語や今昔物語のような説話類が、一冊
一冊飛び出しているといっても過言ではありません。新聞の三面記事を開いただけで数話の物語が
潜んでいそうです。
この類の和歌は、古今集から大和物語に物語となって登場している例もあります。
平成六年五月二十五日産経新聞文芸欄「古典往来」には「大和物語」が紹介されており、そこに
は次の歌と物語が記載されていました。
「風吹けば沖つ白浪龍田山夜半にや君が一人越ゆらむ」
(古今集・巻第十八・雑歌下・九九四・読人不知)
別の女のもとへ心よく送り出す妻を逆に疑ってみたが、真心から自分を想っていることがわかっ
て、別の女のもとへ通うのをやめるという奈良県葛城郡の夫婦の伝説です。
このように、大和物語は、歌のおもしろさよりも、説話の筋のおもしろさで、伊勢物語とはひと
味違う物語に先鞭をつけた点が特徴です。すこし大げさになるかもしれませんが、平安朝のシェク
スピア日本版とでも言うのでしょうか。
◆ 宣 誓 ◆ この歌の解釈には、第二句で切るか、第三句で切るかによって二通りあり、
少し違ったものになるとされています。すなわち、神に愛を誓ったのは歌の作者自身か、作者の
相手かいずれかということです。
前者の場合、作者が神に誓ったわけですから、「いずれ忘れられることもわかっていながら、神に
愛を誓った自分自身がばかだったのよ。自分のことを忘れてしまう人だけれども、自分が愛した
人だけに、なくなってしまうのはかわいそうだわ。」のように読みとれます。
したがって反省すべきは自分であって、相手は神に罰せられるほど悪いことはしていない。ただ、
移り気の多い人だっただけのこと。また、相手の方から、よりを戻そうとするなら、それに応えても
よい。要は、忘れられてもまだ自分の方は忘れていない。したがって、相手の命が「惜し」いので
はなく「惜しくもある」のです。
ここでさらに「誓ひてし」相手は、神でなく相手の男としてしまいますと、「忘らるる」から
「人の命の」までが主語で「惜し」が述語になって、解釈は「忘れられることも考えないで、愛を
誓ったあの人の命が簡単に消えることのないよう、できるだけ長く生きていて、愛は誓い合った状
態であってほしい」となります。
後者の場合、神に誓った相手の男の方を主体に考えますから、最初に述べたような昔から言われ
ている解釈になります。この解釈は、大和物語の詞書などを考慮にしてのものです。詞書なしで、
歌だけで見ましょう。
ここで「忘らるる身をば思はず」とは、「忘れられてしまう自分など思ったこともない」と曲げて
解釈しますと、「自分は相手の男も、男の言うことも完全に信頼して、その男に愛を捧げると神に
誓いました。そのような最愛の人ですから、容易に自分の目の前から消えていくことのないように、
自分の愛が末永く続くよう神に祈るばかりです」となりましょう。
◆ 忘らるる身 ◆ もうひとひねりしてみましょう。「忘らるる身をば」でいったん切って
「思はず誓ひてし」とくっつけて、かつ「思はず」には、現代語的解釈を施して、「思いもよらず」
「自分の意図するところとややずれて」あるいは「その場のなりゆきで」とか、「その雰囲気に流
れてしまって」などとしますと、「いずれ忘れられる自分だし、間違いなく自分を捨てる男だから、
間違っても神に誓ってまで愛を育むつもりなどなかったのに、二人の間の話のなりゆきで、なんと
なく、気が付いてみれば愛を誓い合う仲になってしまったため、いずれ自分を捨てる男と明らかに
わかっていながら、ほんの少しだけとは言え、「こんな移り気な男はどうでもよい」、「こちらが
忘れてもよい」とは言えず、どちらかと言えば、少しの間だけは惜しいような気もする」などと、
紆余曲折したはなはだ感情の入り組んだ歌になります。
この解釈で右近を評価しますと、貞女の範ではなく、多くの男と関係した女として、よくよく男の
なんたるかを知っていて、男の関係も常に冷静に判断できる熟女になってしまいます。
百人一首四三番歌歌人藤原敦忠「逢ひ見ての」も、右近の男の一人だったようです。両人の歌とも
恋の熟練者間のやりとりとしますと、歌の背景や中身がよくわかります。
大和物語での多くの男と関係した女としての右近の引用伝説を参考にしますと、意外とこの解釈も
間違っていないように思います。こういった点で、この歌は貞女になったり、あばずれ女になったり、
忘れられたり忘れたり、甚だおもしろい歌です。
逆に言うと、この歌はどうにでも解釈できる、非常に背景の深い和歌ということになり、物語を
連想させやすい内容の歌といえます。
*** 百人一首の忘備録 ***
◆ わすらるる ◆ 「忘らるる」は「忘れられる」ということですが、「忘」の文字を使って
いる百人一首は、他に五四番歌「忘れじの」(儀同三司母)と五八番歌「有馬山」(大弐三位)が
あり、この二首での「忘」は忘れない、忘れられない方で、三八番歌とは反対の意味に使われてい
ます。 もっとも五四番歌もこの歌も「忘れる」のは男性で、「忘れられる」のは女性の側で、
いつも忘れない側(三八・五四・五八番歌とも)も女性であることには変りありません。女性の
方が純粋で真剣であって、忍耐強くしつこいのか、男性の方が気が多く多感で移り気で、いい加
減であきらめが早いと見るのか、こういうことにはいつも相方に言い分があるようです。
なお、第五句の「惜しく」という用語に関連する歌としては五十番歌「君がため」(藤原義孝)
と、六五番歌「恨みわび」(相模)と二首ありますが、いずれの場合でも、命や名声が惜しい
というように詠まれています。
*** 百人一首の百人家族 ***
この歌の作者「右近」とは、お父さんの官職の代名詞になっています。
宮城の門内警備官(近衛府)と宮城門外警備官(衛門府)のいずれにも、左と右があり、右近衛
府少將(正五位)藤原季縄の女(右近)と略称されたわけです。
また、当時は「右」より「左」の方が上位とされています。歌合わせなどでも、右方には、年齢や
官位が下の人々が当てられます。例えば百人一首の歌人の中では、三条右大臣、右大将道綱母、
左京大夫道雅、左京大夫顕輔、鎌倉右大臣などの官職が出ています。
したがって太政大臣ー左大臣ー右大臣の順になります。中国では、右より左の方が卑下され、
「左遷」「左降」などと使われていました。ちなみに京都市の左京区は、地図上南に向かって御所の
左上に位置し、右京区は右に位置しています。
平成六年五月二十八日
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