◆ つゆとたま ◆ この歌では、白露が主題です。秋の野に風に吹かれてきらきらと輝いて
いる露は、正しく白銀の玉のように美しいものに見えたのでしょう。
僧正遍昭の蓮の葉の上の水玉を詠んでいる歌を思い出します。
「蓮葉の濁りにしまぬ心もてなにかは露を玉とあざむく」(古今集・巻第三・夏・一六五)
「つゆ」はつゆでも、はかない命のたとえにとった歌もあります。
「白玉か何ぞと人の問ひし時つゆと答へて消なましものを」(伊勢物語)
(新古今・巻八・哀傷・八五一)
「つゆ」という言葉は、いろいろの意味に用いられてきたようです。
(一)露 (二)涙 (三)短命(露の命、露の身、露の世など)
(四)わずか、少し(つゆばかり、つゆも) (五)紐などの下がった先端
などの用法です。
一方、「たま」という言葉もいろいろに用いられ、
(一)魂 (二)宝石 (三)真珠 (四)美しいもの
などです。いずれも昔から日本人が好む対象の一例です。
「玉」と見なした「白露」は、「吹きしく」「風」のために「散り」はじけたわけですが、「玉」
という言葉は、百人一首で他に八九番歌「玉の緒よ」(式子内親王)の歌と対で、かつこれら二首
のみに用いられているものです。ただ、二首での「玉」の意味は異なり、一方が宝石の「玉」、
他方は大切な「命」の意味になっています。
二つの意味の「玉」の詠んだ歌を、朝康の歌の出典である後撰集から抽出してみます。
まず「美しいもの」としての「玉」は、
「白玉の秋の草葉にやどれると見ゆるは露のはかるなりけり」
(後撰集・巻第六・秋中・三一一・読人不知)
「秋の野におく白露の消えざらば玉に貫きてもかけてみましを」
(後撰集・巻第六・秋中・三一二・読人不知)
また「命」としては、
「玉の緒の絶えてみじかき命もて年月ながき恋もするかな」
(後撰集・巻第十・恋二・六四七・紀貫之)
文屋朝康の父、文屋康秀は百人一首の二二番歌「吹くからに」で、「秋」と「草木」、それに 「山風」と「嵐」を詠みましたが、子息の朝康も、同じく「秋」、「野」、「風」、さらに 「白露」と「玉」を折り込み、秋の歌としては、より盛りだくさんなものに仕上げています。 この朝康の歌は後撰集に載っていますが、父親の康秀も「露」を歌にしていますから、父子とも 「露」にこだわったことになります。
「ながらへば人の心もみるべきを露のいのちぞかなしかりける」
(文屋康秀・後撰集・巻第十七・雑三・一二四八)
さらに、古今集では父親の「吹くからに」の歌によく似た詠みを子息の朝康が残しています。 父子とも「秋の野」「白露」「玉」「貫き」に心を奪われたのでしょう。
「秋の野に置く白露は玉なれや貫きかくる蜘蛛の糸筋」
(文屋朝康・古今集・巻第四・秋歌上・二二五)
「白露を玉」とみて「貫かん」とする歌詠みは多くみられるようで、古今集時代のはやりであった のかもしれません。例えば、
「浅緑糸よりかけて白露を玉にも貫ける春の柳か」(古今集・巻第一・春上・二七・僧正遍昭)
「萩の露玉に貫かむととれば消ぬよし見ん人は枝ながら見よ」
(古今集・巻第四・秋上・二二二・読人不知)
朝康の歌が載っている後撰集では、彼の歌の前後に次の歌があります。
「秋の野の草は糸とも見えなくに置く白露を玉とぬくらん」
(後撰集・巻第六・秋中・三0七・紀貫之)
「秋の夜の庭の白露けさ見れば玉や敷けると驚かれつつ」
(「秋の野に置く白露を今朝見れば・・・・」)とも詠えます。
(後撰集・巻第六・秋中・三0九・壬生忠岑)
◆ 万葉集の秋の露 ◆ 万葉集に遡って「秋の白露を玉と貫く」世界を、巻八の大伴家持その他 の歌から採ってみましょう。
「わが宿の尾花が上の白露を消たずて玉に貫くものにもが」(一五七二)
「秋の野に咲ける秋萩秋風になびける上に秋の露置けり」(一五九七)
「この夕秋風吹きぬ白露に争ふ萩の明日咲かむ見む」(二一0二)
巻十の中にも「露に寄す」歌が並んでいます。
「このごろの秋風寒し萩の花散らす白露置きにけらしも」(二一七五)
露がすっと消えていく喩えを恋の歌に詠み込んでおり、「消かもしなまし恋ひつつあらずは」と いう下句が同じで、いわば『消恋三歌』とでも名付けましょうか。
「秋 萩の 上に 置きたる白露の 消かもしなまし恋ひつつあらずは」(二二五四)
「秋 の穂を篠に押しなべ置く 露の 消かもしなまし恋ひつつあらずは」(二二五六)
「秋 萩の 枝もとををに置く 露の 消かもしなまし恋ひつつあらずは」(二二五八)
なお、二二五四番歌は、巻八・一六0八番歌(弓削皇子)の歌と全く同じ内容になっていますから、 この「消かもしなまし恋ひつつあらずは」という言い方は、当時の流行語であったのかもしれません。 第四句頭の「消つ」をおこす序としての第一句から第三句までの露の喩えですから、いろいろに言い 換えることができましょう。例えば朝康の歌を本歌として
「秋草に 貫きとめぬ 白露の 消かもしなまし 恋ひつつあらずは」
◆ 七 草 ◆ 同じ万葉集の巻八には、秋の野の草々(秋の七草)について詠んでいる山上 憶良の歌二首があります。
「秋の野に咲きたる花をおよび折りかき数ふれば七種の花」(一五三七)
「萩の花尾花葛花なでしこの花女郎花また藤袴朝顔の花」(一五三八)
「秋の七草」というのは、万葉時代から語り継がれてきた秋の草々で、遠い昔の私達の祖先の植物 に対する優しい心が伝わってくるように思います。「枕草子」で清少納言も、「なでしこ」、 「おみなえし」、「桔梗」、「朝顔」や「萩」などを草の花の「めでたきもの」として挙げてい ます。
「せり なづな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ これぞ七草」
の春の七草とともに、季節季節にいろいろな自然の草木に囲まれ培われ育まれてきた日本人は、恵
まれた自然環境に感謝しなければなりません。
春の七草のように圧縮して、秋の七草を歌にしますと、
「ふじばかま はぎに なでしこ おみなえし おばな あさがほ くずは 七草」
平成現代の呼び名に変えて、すすき(おばな)、ききょう(あさがほ)に入れ替えますと、
「葛 ききょう 薄 なでしこ 女郎花 萩 藤袴 これぞ七草」
*** 百人一首の百人家族 ***
◆ 文 屋 ◆ 父、文屋康秀の勅撰集入集歌数は、わずかに六首であっても六歌仙として、
古今集に重宝がられているように、子息文屋朝康は、それよりも少ない三首(古今集一首、
後撰集二首)しか入集していないにもかかわらず、父子そろって百人一首に選ばれ、永く後世
に名を残すことになりました。彼の三番目の歌は、後撰集にある次の歌です。
「浪わけて見るよしもがなわだつみの庭のみるめも紅葉散るやと」(巻第七・秋下・四一七)
名前の「文屋」(ふんや)を「ふみや」と読みますと、「学問所」や、「学校」という意味になり、
「ふみやのやすひで」とは歌人にふさわしい姓名になっています。姓名用の漢字としての「屋」は、
平成現代でも活きている重要な漢字で、個人的には職業や屋号としての商い面でも、事例はあちら
こちらに見聞きすることができます。
特に近世江戸時代の商業活動には、国名を使って屋号、例えば伊勢屋、越後屋、甲州屋、駿河屋、
三河屋、相模屋などが使われたようですし、さらに実在の人物では淀屋、紀国屋などの商人達が思
い出されます。千百年前から用いられている「屋」の字は、来る五百年、千年後の日本の社会でも
個人名に、あるいは商業活動面で使われていくことでしょう。
*** 百人一首の道草 ***
言葉の遊びの展開として、夏の花々および冬の木々を拾ってみましょう。
◆ 夏の花 ◆ 夏の花としては、うのはな、ぼたん、しょうぶ、かきつばた、むらさき、 たちばな、はちす、といったところでしょうか。
「かきつばた しょうぶ むらさき ぼたん はす うのはな たちばな 夏の七花」
◆ 冬の木々 ◆ 冬の木々としては、柊(ひいらぎ)、槙(まき)、柏(かしわぎ)、山茶花 (さざんか)、柑子(こうじ)、桂(かつら)、白樫(しらかし)としますと、
「槙柑子 山茶花柊 白樫に 桂柏 冬の七木」
*** 百人一首の忘備録 ***
岩波文庫本・後撰集(松田武夫校訂)によりますと、巻第六・秋中・三0八番歌には、第一句の
「に」が「を」となっています。
「白露を風の吹き敷く秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞちりける」
現代語風に助詞を替えるとしますと、
「白露は 風の吹きしく 秋の野に つらぬきとめで 玉とちりける」 あるいは
「秋の野の つらぬきとめぬ 白露は 吹きしく風に 玉とちりけり」
「白露は つらぬきとめで 秋の野に 吹きしく風に 玉とちりける」 さらには
「秋の野に 風は吹きしき 白露は つらぬきとめで 玉と散ちけり」
などと、句順と助詞を入れ替えることはできないでしょうか。
平成六年九月二十二日
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