◆ 初瀬寺の宿 ◆ 古今集・巻第九・羇旅歌には、物語風な長い長い詞書がありますが、それに 準ずる巻第一・春歌上で、最も長い詞書のついた歌がこの歌で、長谷寺参詣の定宿に久しぶりに 投宿したところ「お見限りでしたね」と嫌みを言われたことに答えたものです。すなわち「人の 心変りはともかく、梅の花はもとのままの香りです」と言ったことに対する主人の答えは、次の ような歌でした。
「花だにも同じ心にさくものを植ゑけむ人の心知らなむ」
この歌のキーワードは「花の香り」という嗅覚の世界が対象です。
貫之の次の歌の方がはっきりと梅の香を詠み込んでいます。
「君恋ひて世を経る宿の梅の花昔の香にぞなほ匂ひける」
また、梅の香にふるさとを思っただけでなく、桜にもふるさとを偲んでいます。
「あだなれど桜のみこそふるさとの昔ながらの物にありけれ」(拾遺・巻第一・春・四八)
◆ 嗅覚の世界 ◆ 百人一首の中で嗅覚の世界を対象にしたもので、この歌となにかと 対照的な歌は、六一番歌「いにしへの」(伊勢大輔)です。
| 歌番号 | 作者 | 場所 | 香 | 献歌の相手 | 同席者 |
|---|---|---|---|---|---|
| 三五 | 紀貫之(男性) | 奈良・長谷寺 | 昔のままの香り | 宿の主人 | 当事者二名 |
| 六一 | 伊勢大輔(女性) | 京・宮中 | 奈良の都の匂い | 中宮彰子 | 藤原道長・紫式部ほか |
嗅覚の世界を詠む対象は、非常に限定されるわけですが、大半が花ということになっています。 古今集の中での嗅覚の世界をたどってみますと、次のような梅の花をはじめとする植物の世界がす べてです。
「月夜にはそれとも見えず梅の花香をたづねてぞ知るべかりける(巻一・春上・四0)
「春の夜のやみはあやなし梅の花色こそ見えね香やはかくるる」(巻一・春上・四一)
「散りぬとも香をだに残せ梅の花恋しき時の思い出にせん」(巻一・春上・四八)
「霞立つ春の山辺は遠けれど吹きくる風は花の香ぞする」(巻二・春下・一0三)
「春雨に匂へる色も飽かなくに香さへなつかし山吹の花」(巻二・春下・一二二)
「皐月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」(巻三・夏・一三九)
従兄弟の紀友則にも梅と桜を詠んだ歌があり、花の香に対して、興味の対象を同じく持っていた ということでしょうか。
「君ならで誰にか見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞ知る」(古今集・巻一・春上・三八)
「色も香もおなじ昔にさくらめど年ふる人ぞあらたまりける」(古今集・巻一・春上・五七)
貫之自身も梅の花になき人を偲んでいます。
「色も香も昔のことに匂へども植けん人のかげぞ恋しき」(古今集・巻十六・哀傷・八五一)
大弐三位も梅の花を詠んで、
「梅の花なに匂ふらむ見る人の色をも香をも忘れぬる世に」(新古今集・巻十六・雑上・一四四五)
だれしも梅の花には、色や香にしのぶ人々や思い出す事が多いのでしょう。新古今集でも梅や橘が 詠まれています。
「大空は梅の匂ひにかすみつつ曇も果てぬ春の夜の月」(藤原定家・巻一・春上・四0)
「心あらば問はましものを梅が香に誰が里よりか匂ひきつらむ」(源俊頼・巻一・春上・四三)
「梅が香に昔を問へば春の月答へぬかげぞ袖にうつれる」(藤原家隆・巻一・春上・四三)
「花の香にころもはふかくなりにけり木の下かげの風のまにまに」
(紀貫之・巻二・春下・一一一)
「橘の匂ふあたりのうたたねは夢も昔の袖の香ぞする」(俊成女・巻三・夏・二四五)
「ことしより花咲き初むる橘のいかでむかしの香に匂ふらむ」(藤原家隆・巻三・夏・二四六)
見ると同時に匂いをかぐ対象としての梅は、平成現代でも菅公天満宮をはじめ、近代になってから 公園として造園された場所に多く植樹されていますが、なかなかゆったりした心持ちとゆったりと 時間をかけて梅の香をかぐだけの機会が平成現代人にはありません。
◆ 感覚の世界 ◆ もともと食物の志向が強いわりに、匂いに対する感覚が鈍ってきているのが
現代人ではないでしょうか。「風薫る」などと訴えるのは昔の人、すなわち近代機械文明社会以前
の人の言い草であって、とても平成現代の人間の匂いの世界の話ではありません。人間自身が作り
出すいやな匂いに自らの嗅覚を弱らせて、本当の自然の匂いを忘れつつあるのが近代社会の人間の
哀れな姿です。
貫之の歌の感覚は敏感で、嗅覚のみならず、香という嗅覚の世界に色という視覚の世界を併せて
詠むことによって、より幅広い五感の世界へ飛び込んでいます。すなわち彼の歌の世界は、嗅覚・
視覚に加えて、広く聴覚・触覚の世界にまで拡大されています。
古今集で拾いますと、次のような歌で詠まれた触覚や聴覚の世界です。
「袖ひちて結びし水のこぼれるを春立つけふの風やとくらむ」(巻一・春上・二)
「夏の夜はふすかとすればほととぎす鳴く一声に明くるしののめ」(巻三・夏・一五六)
「むすぶ手のしずくに濁る山の井のあかでも人に別れぬるかな」(巻八・離別・四0四)
さらに拾遺集に嗅覚・聴覚と触覚の世界を探ってみましょう。
「白妙の妹が衣に梅の花色をも香をもわきぞかねつる」(巻一・春・十七)
聴覚の世界でも、さらに敏感な歌が詠まれています。
「荻の葉のそよぐ音こそ秋風の人に知らるるはじめなりけれ」(巻三・秋・一三九)
「秋の夜に雨と聞えて降るものは風に従ふ紅葉なりけり」(巻三・秋・二0八)
「松の音は秋の調べに聞ゆなり高くせめあげて風ぞひくらし」(巻七・物名・三七二)
また動物の声にも心を動かされた歌が残されています。
「思ひかね妹がり行けば冬の夜の川風寒み千鳥なくなり」(巻四・冬・二二四)
「小倉山峯たちならし鳴く鹿のへにける秋をしる人ぞなき」(巻十七・雑秋・一一0二)
◆ 土佐日記 ◆ 紀貫之といえば、すぐに「土佐日記」や「古今集」を連想するわけですが、
土佐日記の意味するところを整頓してみます。彼が土佐守に任じられたのは、古今集の編纂が終わ
ってから、四半世紀も後の延長八年(九三0年)となっています。五年後の承平五年(九三五年)、
無事土佐守の任を終えて帰京の途につきましたが、、その土佐から都への帰り道の道中記(旅行日
記)が「土佐日記」となったわけです。
「土佐日記」の中に和歌は五十八首ほど挿入されていますが、
「都いでて君にあはむと来しものを来しかひもなく別れぬるかな」
からはじまって
「見し人の松の千年に見ましかば遠く悲しき別れせましや」
まで、いろいろの技巧をこらしています。先に挙げましたように、百人一首と同じような次の歌も あります。
「君恋ひて世を経る宅の梅の花昔の香にぞなほ匂ひける」
などです。
国文学のジャンルを詩歌・物語・小説・戯曲・日記・随筆などに分類した場合、はじめて日記と
名の付く書き物ができたのは、貫之の「土佐日記」であり、かつ紀行文というジャンルで見ても、
本邦初の文学ということになるのではないでしょうか。(藤村作「国文学史総説」付年表による)。
土佐日記の初めには、「男もすなる日記といふものを・・・・」と書き出していますが、すでに
当時日記とは、女性の文学であったのでしょうか。女性の書いた日記の最初は、右大将道綱母
(百人一首五三番歌作者)の「蜻蛉日記」です。貫之の日記はそれよりも前に書かれているわけで、
正しく本邦初の日記になるわけです。仮名文を用い女性が書いたようにみせています。古今集序にも
「仮名序」を付して、日本文の文字としての仮名の普及に尽くした努力は、絶大なものがあります。
日本文化への最大級の功労者ということができましょう。
*** 百人一首の百人家族 ***
◆ 紀貫之 ◆ 紀貫之は、九世紀後半に生まれ、十世紀前半に活躍したいわゆる文化人です。
それも、延喜五年(九0五年)に完成した「古今和歌集」の選者の一員に選ばれ、仮名序を執筆し、
かつ和歌集には百首以上、総歌数千百首の中で、一割を占める大歌人であったわけです。彼の歌は
古今集で最多入集歌人であるばかりでなく、第二番の勅撰集「後撰集」では七十九首で、第三番の
勅撰集「拾遺集」では、百八首も採られています。いずれも入集歌人中第一位の歌数を誇り、結局
勅撰集には、四百四十首もの大量の和歌が載せられているのです。
彼は屏風歌も得意としたらしく、前述の勅撰集にも多くの屏風歌が撰歌されています。私家集
「貫之集」には約五四0首の屏風歌が残っているようです。(久保田敦「古典和歌必携」)。
ちなみに、従兄弟に百人一首三三番歌歌人紀友則がおり、子息の紀時文も歌人であり、後撰集を
担当した梨壺の五人の一人に挙げられています。後拾遺集の二首をみますと
「年を経て慣れたる人も別れにしこぞは今年のけふにありける」(巻十・哀傷・五八六)
「古への千々の黄金は限りあるをあふばかりなき君が玉章」(巻十八・雑四・一0八六)
紀貫之も、人の一生を達観していたようで、次のように、はかない「あるかなきか」わからないと 詠っています。やはり触覚の世界として、
「手にむすぶ水に宿れる月影のあるかなきかの世にこそありけれ」
(拾遺集・巻二十・哀傷・一三二二)
*** 百人一首の忘備録 ***
貫之の歌の用語で独特なものは、「いさ」と「昔の香」ということになりましょう。
まず「いさ」とは、「さあ」、「さあて」(どうでしょうかね)という副詞です。この種の二字の
副詞が用いられた百人一首の歌は、十首以上あり、「しか」、「はた」、「むべ」、「など」、
「まだ」、「かく」、「なば」、「ただ」、「さへ」、「また」であり、これらの副詞群によって
歌の深みが一度に増すようです。
物心ついてから知った梅の香やその他の花々の香などは、終生その感覚を保ちつづけたい五感の
一つです。匂いこそは生きている証拠とまで言っても過言ではないでしょう。
ちなみに、この歌の用語で、一対になっている百人一首歌は「心も知らず」(八0番歌)、
「ふるさと」(九四番歌)、および「にほひ」(六一番歌)などです。
【百人一首の談話室】 「感覚(色彩と五感)」
敷島の道を行く者にとって作者の感覚の鋭さは、詠んだ和歌の迫力に影響が出てくるものと思わ
れます。歌は見るもの、聴くもの、触れるもの万物を対象としていますが、どの程度強く感覚を
働かせて、歌に盛り込んだかが歌の価値を決めることになるのでしょう。五感すなわち色彩、音色、
香り、味、手触り等ですが、百人一首では次のように色彩関係に十二首、音に十三首と多いのです
が、手触りでは三首、音では二首、味では一首も詠い込まれていません。
百人一首と五感(数字は歌番号)
| 五感 | 感覚の対象物 |
|---|---|
| 視覚・いろ | 白:二(衣)、四(雪)、二九(菊)、三一(雪) 三七(露)、七六(波) 紅:五、一七、二四、二六、三二、六九 (いずれも、葉) 黒:八0(髪) 色:九(花)、四0(恋)、九0(袖) |
| 聴覚・おと | 鹿:五、八三、風:二二、三七、五八、七一 衣打つ:九四、きりぎりす:九一、鶏:六二 あだ波の音:七二、千鳥:七八、滝:五五、 時鳥:八一 |
| 嗅覚・におい | 梅:三五、桜:六一 |
| 触覚・てざわり | 露:一、雪:十五、涙:六五 |
| 味覚・あじ | なし |
まず色彩については、白色が圧倒的に多く、珍しいところでは「色」の字を用いて、花、恋、袖を
引用している歌もあります。
現存していて遠い昔を偲べる寺院建築、壁画、絵画類を見ても、昔の人は現代人より色彩感覚は
豊かであったと思われます。衣類の色一つ採ってみても、襲ね色目という次のような各種の色合い
がありました。例えば、紅梅色、紅色、赤色、黄色、鬱(う)金色、山吹色、黄肌色、朽葉色、浅
黄色、萌黄色、青色、縹色、鈍色、二藍、葡萄色、古代紫色、花色、蘇芳色などです。これらの色
彩の衣を襲ね着することによって、衣装に華やかさと同時にいろいろな意味合いを持たせたのでは
ないかと思います。季節に応じて、場所と目的に応じた使い分けをしていたのです。
次に音の方では、動物、風、滝、波などの自然の音と人が造り出している音(衣打つ音)に分類
できます。中でも作者が感覚を鋭くしている物は、風ではないでしょうか。風に季節を感じ、風に
自分の感情を訴え、風に自分の人生を載せているのではないかと思います。これ等十三首の音に関
係した歌群に共通している点が一つあります。それはいずれも発音源や発音体が見えていないこと
です。音だからそれで良いのでしょう。
印象的な歌の中の感覚は、香りと匂いで、梅(三十五番歌)と桜(六十一番歌)が詠まれてい
ます。
味覚の方は歌に詠みようがないと言うより、詠むのが難しいのでしょうか。一首も味の歌は百人
一首にはありません。万葉集に山上憶良は「瓜はめば 子供思はゆ 栗食めば まして偲はゆ」と
子どもに寄せて、食べ物を詠んでいます。
蛇足ですが、桃の味で歌を試みてみましょう。
「百千代に にほひかんばし 桃の密 世の人めでむ 万代のちも」
平成六年十月十六日
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