平平点描

(百人一首随筆集)


「連 載」 第 33 歌  しづこころ (紀 友則)
久方の光のどけき春の日に静心なく花の散るらむ

 のどかな春の日にゆったりとした気持ちで、平明な言葉で詠んだ友則の歌の意味は、「桜の花は なぜ落ち着いた心もなく散り急いでいるのでしょう」ということですが、友則の心の内には、「春の 日はこのようにのどかなのに、桜だけが気ぜわしくあたふたと散り急ぐので、私の心も落ち着かな いのです。桜花よ。」、あるいは「一年に一度の春の桜なのに、散り急がないで、もう少し咲き誇 るところを見せておいておくれ。桜花よ。」などの気持ちもあったのでしょうか。
 歌の用語からは、そのように読み取るのが普通でしょうが、少なくとも桜に何かを願望するとこ ろまでは表現していませんし、「なぜ」という疑問の問いかけを挿入せず、ただ「花は散るのでし ょう」とだけ言っています。友則は、正しく自然のままの状態を淡々と描写しただけで、「散らな いでくれ」、「待ってくれ」などの人情は一切入れたくなかったのでしょうか。
 のどかな春の陽光の中を散りゆく桜にこそ、花見とは違った動の美しさが、観賞する人の目に自 然の動きの芸術として映ることになるわけです。咲き誇る桜も自然の姿であり、散りゆく桜も、も う一つの自然の姿であるわけです。花見とは必ずしも満開の状態を見るだけではなく、落花の花吹 雪も花見の一つでしょう。
 紀貫之も古今集において「山の桜を見て詠める」として、巻二・春下・七九番歌に、

 「春霞何隠すらん桜花散る間にだにも見るべきものを」

と詠んでいます。
 ちなみに万葉集の時代には、大伴旅人や山上憶良による遠のみかど「太宰府」における梅花の宴に みられるように、梅の花見が現代よりも盛んだったようです。しかし、桜の花も詠まれており、 巻十・春・雑歌の中での桜の歌をみますと、春雨に散る花としての歌が多いようです。例えば、
 「あしひきの山の間照らす桜花この春雨に散りゆかむかも」(一八六四)
 「春雨に争ひかねてわが宿の桜の花は咲きそめにけり」(一八六九)
 「春雨はいたくな降りそ桜花いまだ見なくに散らまく惜しも」(一八七0)

 万葉集の歌の方が素朴に散る桜を惜しんでいます。

◆ 日本人の花見 ◆ 紀友則の時代から、四百年後、吉田兼好(一二九三ー一三五0年)は、そ の「徒然草」に桜の花見を次のように述べました。
 まず第九段に、「折節の移り変るこそ、物ごとにあはれなれ。…やや春深く霞わたりて、花も やうやうけしきだつほどこそあれ、をりしも雨風うちつづきて、心あわただしく散り過ぎぬ。…す べて思ひすてがたきこと多し。」
 また、第一三七段では、「花は盛りに、月はくまなきをのみ見るものかは。…たれこめて春の 行方しらぬも、なほあはれに、なさけふかし。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ 見どころおほけれ。…」
 花見の仕方について、「…花の本には、ねぢ寄り立ち寄り、あからめもせずまもりて、酒飲み 連歌して、はては、大きなる枝、心なく折り取りぬ。」と嘆いています。
  七百年前に吉田兼好が嘆いた日本人の花見の醜態は、平成現代でも全く変わるところがあり ません。違いといえば、連歌がカラオケと称する屋外の歌謡伴奏になっただけです。『日本人と桜』、 この関係は、二十一世紀どころか、千年後でも変ることはないのでは、と思われます。
 友則の歌に言うところの「しづ心なく」騒ぐのが、桜を見たときの日本人の感情の反応なのかも しれません。「しづ心で花を見ましょう」と言っても、納まらないところに日本人らしさがあると あきらめるべきなのでしょうか。「しづ心なく」散ってもよいのは桜花の方であって、「しづ心」を なくしてはいけないのは桜花を見る人の方なのです。
 もっとも、友則の従兄弟の紀貫之は、桜花を見るに「しづ心なし」と歌っています。

ー桜の花のちりけるをよみけるー
 「ことならば咲かずやはあらぬ桜花みる我さへにしづ心なし」(古今集・巻二・春下・八二)

 同じく桜そのものに心浮き立つのは、平成現代日本人のみでなく、古今集時代の大歌人もそうだ ったのですから、「しづ心なし」は春の時節のやむなき現象なのでしょう。「しづ心」を取り戻して、 「光のどけき春の日」に「のどけき心」持ちになろうとするならば、

 「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」
                        (在原業平・古今集・巻一・春上・五二)
 「ことしより春知りそむる桜花散るといふ事はならはざらなん」
                         (紀貫之・古今集・巻一・春上・四九)

などという、全く不可能なことを望むしかありません。
 意図的に可能な方法があります。それは兼好のように屋外の落花を想像しつつ、「たれこめて」 想像の花見をするか、風に花の香を求めることです。

 「たれこめて春のゆくへも知らぬまに待ちし桜もうつろひにけり」
                        (藤原よるか・古今集・巻二・春上・八0)
「花の色は霞にこめて見せずとも香をだにぬすめ春の山風」
                        (良峯宗貞・古今集・巻二・春下・九一)
「霞立つ春の山辺は遠けれど吹きくる風は花の香ぞする」
                      (在原もとかた・古今集・巻二・春下・一0三)

 しかし、なんといっても、人は一生に春の桜は何回も見られないのです。

 「春毎に花の盛りはありなめどあひみんことはいのちなりけり」
                        (読人不知・古今集・巻二・春下・九七)

***  百人一首の百人家族  ***
◆ 紀友則 ◆   紀友則は、百人一首三五番作者紀貫之とは従兄弟同志、つまり歌人の父・有朋が 貫之の父・望行と兄弟という文学親族の一員です。貫之とともに、本邦初の勅撰和歌集「古今集」の 筆頭撰者になり、自らの歌も四十六首入集しましたが、歌集の完成を待たずに他界しました。もちろ ん三十六歌仙の一人にも数えられる著名な平安朝の歌人です。
 残された古今集の撰者のうち、紀貫之や壬生忠岑は哀悼の意を哀傷歌に含めました。

 ーきのとものりが身まかりにける時よめるー
 「明日知らぬわが身と思へど暮れぬ間の今日は人こそかなしかりけれ」
                        (紀貫之・古今集・巻十六・哀傷・八三八)
 「時しもあれ秋やは人の別るべきあるを見るだに悲しきものを」
                        (壬生忠岑・古今集・巻十六・哀傷・八三九)

 官歴の中には、興味あることに土佐掾(高知県の役人)に任じられた点で、その四十数年後、 土佐守に赴任した貫之と同じです。百人一首の中でも、従兄弟そろって入集し、歌もそろって、花を 賞でる内容のものになりました。

 「紀の二人 いとこ同志で 花を賞づ 散りゆく桜 匂ふ梅の香」

***  言葉の世界への散歩  ***
◆ 久方の春の日 ◆  紀友則の歌は、百人一首の中における特例の一つとも言うべく、彼の 歌にのみ「春の日」とか「光」(陽光)とかが詠みこまれているのです。「夜」とか「月」は百人 一首の中に何首も詠まれているのですが、太陽の方では敢えて関係する用語を選ぶとすれば、七番歌 「天の原」(阿倍仲麻呂)の中の「春日」程度でしょう。古今集の春の歌の中でも珍しくも一首だけ 文屋康秀の歌として、次のような春歌が載っています。

 「春の日の光にあたる我なれど頭の雪となるぞわびしき」(古今集・巻一・春上・八)

 第一句の「ひさかたの」という、光、天、空、日、月、雪などにかかる枕詞が、いかにも古典的 万葉調の感じを与えるのです。「ひさかたの」という枕詞は、百人一首の中でもう一首七六番歌 (藤原忠通)にも用いられて、「雲居にまがふ」とつながっています。百人一首の中での枕詞と しては、「白妙の」「足引の」「千早振る」「久方の」「百敷や」など数詞用いられています。 特に「久方の」の枕詞の場合はつながっていく言葉が自然界に関係しているためでしょうか、内容の 深い幅の広い歌になっています。例えば、久方の→月、久方の→天、久方の→雪として、

 

 「久方の天の河原の渡守君渡りなば梶隠してよ」(読人不知・古今集・巻四・秋上・一七四)
 「久方の月の桂も秋はなほ紅葉すればや照りまさるらむ」
                       (壬生忠岑・古今集・巻四・秋上・一九四)
 「久方の雲の上にて見る菊は天つ星とぞあやまたれける」
                       (藤原敏行・古今集・巻五・秋上・二六九)

 万葉集で枕詞「ひさかたの」は、三十首ほどありますが、一例は次のとおりです。

 「久方の天の香具山この夕べ霞たなびく春立つらしも」(巻十・春・雑歌・一八一二)

 音声の方については、第一句の「ひ」の音に注目しますと、第二句も「光」の「ひ」の音に踏韻 されていて、さらには第三句の「春」と第五句の「花」も同じ「は」の韻が踏まれています。  友則は韻まで考えて詠んだかどうかはともかく、結果としてはリズムの取りやすい、したがって 覚えやすい歌になっています。
 友則の歌には明らかに韻にこだわった次のような歌もあります。

 「東路の小夜の中山なかなかに何しか人をおもひ初めけん」(古今集・巻十二・恋に・五九四)

***  百人一首の道草 ***「踏韻歌」

 紀友則の歌のように、各句の頭音を踏韻して歌にしてみましょう。
 踏韻歌は古く万葉集から見られる一首の詞の遊びと見られます。一例を引用してみましょう。

 「良き人の よしとよく見て よしといひし よしのよく見よ 良き人よくみつ」
(巻第一・二十七 天智天皇)
 「こむといふも こぬときあるを こじといふを こむとはまたじ こじといふものを」
(巻第四・五二七 大伴郎女)
 勅撰和歌集時代を代表して、和泉式部の歌を引用しましょう。

 「待つ人は待てどもみえであぢきなく待たぬ人こそまづはみえけれ」
(和泉式部集・五六四)
 この歌を更に徹底的に踏韻歌にしてみましょう。

 「待つ人は 待ちに待てども 未だみえで 待たぬ人こそ まづは見えけれ」

 時代が降って江戸中期の米沢藩の名君と言われた上杉治憲(鷹山)の歌も有名です。

 「為せばなる為さねばならぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」

 大先達に負けないような踏韻歌を詠い出しましょう。

  あ行 「足引きの 有馬の山の 朝霧に 現れ渡る 有明の月」
   「あひびきは あへばあふほど あひたくて あはねばあはで あひたさつのる」
   「今こむと いひしばかりに いまちつき いついであふや いつもいでがて」
   「うかりける 浮き世の憂さは 浮き雲の 浮き舟に乗せ うきよのそとへ」
   「得難きは 栄誉栄達 得たり顔 えやはいふまじ 永遠の命」
   「音に聞く 尾上の桜 折からの 尾根の嵐に 落ちたぎつかな」
か行 「かそけくも かれはてしひと かなしけれ 形見の袖は 乾く間も無し」
   「きをはらむ きしんのいます 九じんは きりたちこもる きぬがちにして」
   「黒髪を 括るかしらに くらぶれば 苦しくおもふ 櫛立たずして」
   「現世にて け長くなりぬ げふ(業)納め けふをかぎりに 下界のならくへ」
   「こひすてふ 心も知らぬ こふ人の 声聴くときぞ 恋しさ勝る」
さ行 「さばかりと さしもしらじな さかし人 さときいのちも させもがつゆと」
   「しろたへの 白菊の上の 白露は しづこころなく しばしもとまず」
   「住みたきは 住めば雅の 須磨の浦 住之江の岸 住吉の里」
   「瀬をはやみ 瀬ぜの網代木 堰あへず 競りあひせめぐ 勢いの川波」
   「それぞれに その人なりの 素質有り それでも磨く その道の人」
た行 「絶え絶えに 棚引く雲の 絶え間より 立ちいで来たり 立ち待ちの月」
   「ちはやぶる 千万神に 誓ひてし 契りし君に 千代にそはむと」
   「月々に 月見る月は 尽きせぬが 月見る月は 終ひの夜の月」
   「天心に 手に取る如く 点々と 照りて輝く 天工の星」
   「とくとくと 徳利の酒を 取りいだし 友とこもごも 共にかたらむ」
   「時は疾く 飛ぶ鳥のごと 飛び去りて とどむ術無く 年長けにけり」
な行 「嘆きつつ 亡き人偲び ながらへば なほあまりある 涙なりけり」
   「にほふごと にぎははしくも にしきなし にじもになふや 西の山の背」
   「ぬしおもひ ぬくもり込めて ぬふものは ぬしにきせたき ぬのかたぎぬぞ」
   「ねごとなく ねなましものを ねつかれず ねやのひまこそ ねたましきかな」
   「のちのちは 望みかなへと のりいのる のちのこころぞ のどけからまし」
は行 「春風に 儚く散りし 花びらを 運ぶ家づと 花がたみにて」
   「久方の 光のどけく 日は照れど ひねもすひとを 日にけにこひつ」
   「故郷は 冬ぞ寂しさ 深まりて 古き軒端に 降れる白雪」
   「べつやなす へりにへだたる べちでんに べちなるきゃくは べったうべからむ」
   「北斗星 仄かに見ゆる 星空に ほがらほがらに ほととぎすなく」
ま行 「未だ見えぬ 待ち人を待つ 間は長し まどふ心を まぎらはせつつ」
   「美吉野の 峯のもみぢば 見せばやな 短き秋の 御幸またなむ」
   「村々に 群だつ春の むらやまに 群たち騒ぐ 群鳥の声」
   「目出度くも めぐしうつくし めこ得たり 恵みもおおき 巡りあひかな」
   「もみぢばの 燃ゆるおもひの もろごころ 求めてやまじ 物ぐるはしく」
や行 「闇事は やればやるほど やりたらで やらねばやらで やはりやりたし」
   「夢うつつ 夢解きしつつ 夢語り 夢の通い路 往きつ戻りつ」
   「よごもりて よのひとみねど よもすがら 夜長の夜な夜な 夜半の月見む」
ら行 「礼道に 来世を願ひ 礼しつつ らく居するこそ 楽なるはなし」
   「両替屋 利勘利かせて 利得取り 利運の乗れば 利発顔映ゆ」
   「るいるいの 流罪にながす るるのるい 流人の累代 流転の世かな」
   「例ならず 霊仏おはす 霊山の 霊社に料す 霊験あれかし」
   「六塵に 六根浄めむ 六根浄 六時堂にて 六時の勤め」
わ行 「わななきて 別れを惜しみ わびぬるに わすれがたみに わがなみだかな」
   「ゐでたちて ゐづみかわべを ゐざよへば ゐずこもかわず ゐでのやまぶき」
   「ゑもんふの ゑしのかきたる ゑづもちひ ゑあわせきょうず ゑしのゑみがお」
   「をはりなく をりかくなみの をちこちに をしはたをかし をしどりのむれ」

平成六年十月十六日


掲載 平成16年4月23日・磯城島綜芸堂・主筆 謹言
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