◆ ふれあいの場 ◆ 平安朝に於ける未婚の男女のふれあいの機会は、夜のさね(共寝)の方
法しかなかったわけですが、平成現代では、年齢を問わず時間的にも空間的にも大変幅広いふれあ
いの機会がある時代になっています。これは社会構造が変わり、人の行動形態も変ってきたためで、
たとえて言えば、幼年期から成人に達するまでの時期を例にとりますと、教育という目的のための
集団社会に属し、男女平等に同じ目的のために、同じ行動をとる時期が義務として科せられると言
った状態の変化によるのです。
成人男女の係わりも、平安朝では属する社会層と地域が限定されていましたが、平成現代では属
する社会層がなく、誰とも場所も限定されなくなりました。日本の魚屋さんの息子さんと米国の政
府高官の娘さんとが、夫婦になるということもありうる話になってきています。男女の接触のチャン
スが多くなるため楽しさが増しますが、それと同時に別れのつれなさや憂さの機会や度合も多くか
つ大きくなります。
◆ 逢うと別れ ◆ 忠岑の時代の未婚男女間の交際については、「逢う」と「別れ」を問題
にしておればよかったのですが、平成現代では、それ以外にいろいろな形態の男女の「会う」と
「別れ」が展開されるようになり、問題にしなければならなくなっています。未婚男女でのいわゆ
る自由恋愛と、既婚男女での離婚や再婚と多彩になって、人によってはそれらを単なる人生経験の
一事程度にしか思っていない場合もあり、男女間の愛や家族形態も複雑なものになっています。
したがって「ありあけ」の月をただぼんやりと恨めしくながめて、「曉」は憂きものと言っておれ
ない追いつめられた男女関係もあり、平成の男にしろ女にしろ、和歌をものするだけの心のゆとり
や余裕はとても望むべくもありません。「会う」と「別れ」が非常に早く進行するのが平成現代の
男女の係わり方ですから、つれなく見えるものは「ありあけ」だけでなく、身のまわりのものすべ
てがつれなく、かつ時刻を問わないようになっています。
◆ ありあけ ◆ 五二番歌「明けぬれば」(藤原道信)の歌にみられる時刻の用語が、この歌
でも主題の一つになっており、それは「ありあけ」であり、「曉」であるわけです。
「あけがた」の時刻に対する平安当時の古今集等にみられる語句には、「曉」に加えて、
「東雲」「曙」「朝」などがあります。明るさの程度は、次の順になっているようです。
「曉」(あかつき)(あさまだき):まだ暗いあけ方
「東雲」(しののめ):わずかにしらむ頃
「曙」(あけぼの)(あさぼらけ):ほのぼのあかるくなる頃
「朝」(あした):あけきってしまった頃
これを一首に詠み込んでみますと
「あかつきを すぎてしののめ あけぼのも やがてあしたの あさと明け切る」
以上の「あけがた」の時刻の表しかたとは別に、平成現代で多用しているものは、「あけがた」 「あさがた」「早朝」「朝」などで、詩歌や何かかしこまった時の用語に「曉」や「東雲」など が出てきて、「曙」にいたっては、平成時代に出てきた米国人横綱のシコ名に「あけぼの」が用い られています。 「かはたれどき」(たそがれどきの対語)もなかなか趣のある言い方で、「こは たれ」、「さはたれ」、「そはたれ」などとも言いたくなります。
*** 言葉の世界への散歩 ***
この歌に用いられている言葉の配置でおもしろい対比は、第一句「ありあけの」の「あ」と
第三句「あかつき」の「あ」、第二句「見えし」の「し」と第五句「なし」の「し」、第三句
「別れより」の「り」と第四句「曉ばかり」の「り」、さらに第二句の形容詞「つれなく」の
「つれなし」と第五句の形容詞「憂き」の「憂し」などです。すなわち、
あ つれなく し り
りあけの 見え 別れよ
あ うき し り
かつき ものはな ばか
漢詩における踏韻のような印象をうけます。
【百人一首の談話室】「時ー朝、昼、夜ー今」
平安人の時間(不定時法)に対する概念や感覚は、平成現代のそれ(定時法)とは、明らかに
違った物であったと想像されます。たとえば一時間という時間の単位にしても実際に昔は長短が
あったわけで、現在ほどに一分一秒が大切ではなかったのです。現在では正しく「一分一秒が金
なり」の感覚ですし、時と場所を選ばず時間が身の回りに存在し、時間に身が縛られているという
感じがします。 時計は何処にでもあり、見えかつ聞こえますから、時刻は何時でも何処でも
確認できるのです。
全体に物事は一時間単位で区切られていますから、一時間毎に時間が引きちぎられては過去へ
瞬時に遠ざかっていく感じがし、その度にどんどん私達は先へ先へと引っ張られていく力を時間に
感じます。それだけに、百人一首の中で「今」という概念は、非常に重要であったことが八首の
歌(二十、二一、二六、五四、六一、六三、七五、八四番歌)の中の「今」に込められていること
でもわかります。
過去を振り返る歌は一、二首(三四番、一00番歌)有りますが、未来や将来に期待を持つ詠みは
一首もありません。それだけ先の時間に対する概念が現代人ほど人生に於いて重きを成していな
かったことになります。例えば、五四番歌のように「行く末までは難ければ・・・」と言う事に
なります。 今という時間を拡大して、一日という長さで時間を考えるとき、朝、昼、夕、夜と
いう区分された時間帯に対する歌が色々と詠まれています。
百人一首の中では、明らかに「夜」の詠み込みが多いことが分かります。分類しますと、
朝(七首):有明(四首)、曉(一首)、朝ぼらけ(三首)
昼(一首)
夕(三首)
夜(十四首):夜(十首)、小夜(二首)、夜半(二首)
現代では明かりが確保されていますから、夜の行動も昼間同様、ほとんど不自由さは感じません。
夜間でも仕事をすることが出来ますし、仕事をしなけらばならない職業も有ります。平安人には夜は
大変長い辛い時間であったことでしょう。僅かな手元の灯明のみでは、ほとんど何もする事が出来
ません。それだけに月の光にほのぼのとした物を感じ、月を夜の隣人として人間のような感情を月
に抱き続けていたものと考えられます。現代では夜空を見上げ、月齢を気にする人はほとんど居な
いと言ってもよいでしょう。月の明るさを頼りにする必要がないところへ持ってきて気に掛けてい
るだけゆったりとした心の余裕も無いのです。
昔は自然を友として生活していましたが、現代では人同志が競い合って生活していて、その間には
自然が入り込んでくる隙間もないのです。百人一首でも春の夜、夏の夜と、季節それぞれに同じ夜で
も様々な夜を体験しながら生活していたことが分かりますし、夜だからこそあれやこれやと昼間思
いめぐらすことのない考えが湧いては消え、消えては込み上がってくる状態を繰り返しながら、一夜
一夜を長々と暮らしていたのではないでしょうか。
現代人は平安人ほどに自分に向かいあう時間がほとんどないのです。自分と向かい合うべき夜に
はテレビジョン有り、ラジオ有り、さらには遊興のかぎりを尽くす夜の時間の過ごし方は幾らでも
ありますから、自分と向かい合おうとしないのです。自分を見失っているのが現代人で、自分を眺
めすぎているのが平安人でしょうか。端的に言って夜がなかったら百人一首は少なくとも十四首減
って八十六首止まりになっていたとも言えるのです。
或諺に「歴史は夜造られる」というのがあったように思いますが、「和歌は夜つくられる」と
言い換えることが出来るかもしれません。
*** 百人一首の忘備録 ***
「ありあけ」(の月)に関係した百人一首の歌には、他に三首あります。
(二一番)「…ありあけの月を待ち出でつるかな」
(三一番)「…ありあけの月と見るまでに…」
(八一番)「…ありあけの月ぞ残れる」
待ち人に関係した歌は二一番のみです。この歌では忠岑の歌と違って、ありあけの月まで待たされ
たが、逢うべき人は来なかったことになっています。「今宵こそ、逢いましょう」という再度の
言葉につられて、またまた逢うべき人に待ちぼうけをくらわされるのか、もう二度と「今来むと」
言われても待つ気が起らなくなるのか、その時代時代の人の気の長さ次第でしょうが、平成現代の
ような、よろず物事の進みが早い世の中では、のんびりともしておれない事情もあります。
忠岑の場合は、逢ってまだ別れたくないのに、朝が男女を分けてしまうわけで、逢えばさらに
逢いたくなる道信の歌によると「明けぬれば暮るるものと知りながら」朝の別れが恨めしく、憂き
ものなのです。恨めしい物事が多い平成現代では、朝の別れを憂きものとのみこだわっていられな
い時代になっています。
*** 百人一首の百人家族 ***
◆ 壬生忠岑 ◆ 壬生忠岑は、「古今集」の撰者であり、三十六歌仙の一人でもある当代一
流の歌人であったわけですが、その人となりや生没年は不詳ですから、ただ勅撰集入集六十首や
「忠岑集」などより想像するしかありません。
「古今集」には三十六首も入集しており、撰者としての面目を保っております。百人一首の
「ありあけの」歌は、巻第十三・恋三・六二五番ですが、同じような内容の歌は後撰集・巻第四・
夏・一七0番にも撰歌されています。
「夢よりもはかなきものは夏の夜の曉方の別れなりけり」
彼の「はかなきもの」が、この歌の「曉方の別れ」なら、まだ「この世」に未練を残しているの ですが、さらに進行すると、ついには「この世」さえ「はかなきもの」になしはてて、夢かうつつ か定まらぬ不透明な世界に入ってしまった例もあります。
「ぬるがうちに見るをのみやは夢といはんはかなき世をもうつつとは見ず」
(古今集・巻第十六・哀傷歌・八三五)
歌人としては、後世に名を残したにもかかわらず、当人の生涯は夢かうつつかわからぬままに、
過ぎていったのでしょうか。
平成六年八月二十日
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