◆ 天皇外交 ◆ 平成六年六月二十六日夕刻、米国を公式表敬訪問された天皇・皇后両陛下は、
東京羽田空港に帰国されました。十七日間の長きにわたる御旅行(昔なれば行幸)を終えられ、
「多くの人々から親しみを込めた温かい歓迎を受け」られ、「日米両国が一層さまざまな分野で
協力関係を深め、両国民間に友情をはぐくんでいきたい」と感想を述べられました。
昭和二二年五月三日に公布された日本国憲法において、天皇は「日本国民統合の象徴」としての
地位を明らかにされ、日本国民の代表として各国との親善外交に尽くすことも天皇としての一つの
役目とされているわけですから、実務レベルでの実際の外交交渉と違い、表敬訪問は国賓として
諸外国を歴訪されるわけです。国によってはその王室と日本の皇室との親善もあれば、今回の米国の
ように国民によって選ばれた大統領や国家元首との懇親の機会を持つということもあります。
◆ 忠臣忠平 ◆ 藤原忠平は、この歌に表れているように天皇の信頼が厚く、朱雀天皇の時
摂政として十二年、村上天皇の時に関白職を八年任命され、藤原治世を安定させた人です。幼時から
聡明で、人間的にも「寛仁にして慈愛深か」(百人一首一夕語)ったようで、兄の時平・仲平とともに
三平といわれたのですが、時平はかの菅原道真を太宰府へ蹴落した張本人ですから、この二平は
推して知るべしです。兄に対して四男忠平は諡号に「貞信公」を戴いていることからもわかるように
優等生そのものといったところです。
忠平の歌は宇多法皇が小倉山に御幸(ごこう、上皇・法皇・女院のお出まし)して、紅葉の美しさに
感激し、わが子の醍醐天皇も行幸(ぎょうこう、天皇のお出まし)して美しい紅葉を見るべきだと
言われたのを受け、宇多法皇になりかわって、紅葉の小倉山に天皇が御覧になるまで美しくあって
ほしいと詠っているわけですから、まさしく忠臣の歌ということになります。
(註)行啓(太皇太后、皇太后、皇后、皇太子、皇太子妃などのお出まし)
みゆき(天子、上皇、法皇、女院などのお出まし)
◆ 天皇外遊 ◆ 平安朝の「みゆき」と平成の「御旅行」を、その目的・場所・移動方法等に
ついて比較してみましょう。まず宇多法皇の御幸の目的は、大内裏の西方数キロメートルの距離に
ある小倉山の麓を流れる大堰川に紅葉を見るために、自分の散歩のつもりで出かけていったわけです。
今上天皇・皇后両陛下は、国民を代表して日本国の親善外交のために、米国へ出向いたのですから、
目的と場所が全く違います。
次に移動方法ですが、多分宇多上皇は牛車で片道約八キロメートル、今上天皇は飛行機で片道
約八千キロメートル、日数は一日に対して十七日、日数で十七倍、距離で千倍という両者には大変な
桁違いの差があります。逆に随員の数は、宇多上皇の御幸の場合、春日権現験記などの行幸の
図などをみますと、牛車だけでも少なくとも八名の官吏が付き添っていますが、今上天皇の場合は
平安朝での随行員の数分の一にもならないかと思います。
天皇の立場で、初めて外国に行幸された天皇はどなたでしょう。昭和天皇は、皇太子として初めて
欧米を歴訪され、天皇として初めて飛行機に乗り、初めて外国に親善訪問されたのではないで
しょうか。昭和天皇は、御在位が歴代天皇で最長の六十三年に渡り、その長い間には天智天皇の
御代でのいろいろの「はじめて」のものにも匹敵する、数々の御体験をされています。第二次
世界大戦、原子爆弾の洗礼、敗戦、他国人による占領、人間天皇宣言、民主憲法制定、異常な
早さでの国の再建、民間人の皇太子妃選びなどです。また、行幸の回数、延べ行幸距離、会われた
日本国民および外国人の数などすべて、歴代天皇ではいずれも最高で、今後よほどでないと破る
ことのできない記録をお持ちです。それだけ、昭和天皇の生涯は、波乱に満ちた多くの出来事の
入り混じったものであったと言えます。
昭和天皇の行幸は、第二次大戦後の昭和二十年以降、国内・海外に「行幸」にかわる「御旅行」を
されはじめたわけです。今上天皇の御旅行は、昭和天皇以上に飛行機を利用した行動範囲の大きな
ものになるでしょうから、その延べ移動距離や、お会いになる人の数は、これからますます増え、
昭和天皇の記録に追いつき、追い越されるやもしれません。
「みゆき」の目的、場所、あるいは移動方法が、平安朝と大きく変わったことにより、天皇・皇后
両陛下の御旅行も、これからますます国民との対話と国際親善に向けられることでしょう。
*** 百人一首の忘備録 ***
◆ 紅葉の名所 ◆ 平安朝の都の周辺でのもみぢの名所としては、まず龍田川が挙げられ、
小倉山が詠われていますが、現在では、小倉山の北方、高雄・神護寺や大原野神社のもみぢの方が
有名です。百人一首の中では、五番(奥山)、二四番(手向山)、二六番(小倉山)、三二番
(山川)、六九番(龍田)、と五首に紅葉の用語が使われていますが、やはり時代とともに紅葉の
名所も変ってきて場所も増え、平成の時代では、畿内だけでも二十ヶ所を越えるのではないで
しょうか。永観堂や東福寺も紅葉で有名な寺院になっています。
ちなみに、第一句に山を詠い込んだ歌は、他に五八番歌(有馬山)と六十番歌(大江山)があり
ますが、何といっても忠平の小倉山の歌が華やかな彩り鮮やかな叙景歌で、自然の美しさを讃えて
います。
◆ 今ひとたび ◆ この歌の用語の魅力は、「心あらば今ひとたび」という願望の仕方が平易で、
かつ印象的な言葉を用いていることと、小倉山を擬人化して、「みゆきを待ってほしい」と呼び
かけていることでしょう。「いまひとたび」の語句は、五六番歌(和泉式部)でも使われていますが、
この歌での「今ひとたびの」目的は、想う人に「逢ふこともがな」と想うことで、願望の気持ちを
神に祈っている状況ですから、二六番歌とは、かなり異ります。
「あらざらむ この世のほかの 思い出に 今ひとたびの もみぢ見まほし」(藤原和平)
この歌のように擬人法を使っていて、対になると思われる歌は、六六番歌「もろともに」(前 大僧正行尊)で「山桜」を「知る人」にして、「もろともに」「あはれと思へ」と呼びかけて います。
「小倉山 あはれと思ふ 心ありて 今年も羽織る 紅葉の衣」」
「もろともに 心あるらし 花紅葉 今年ふたたび 巡り会えたり」
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