平平点描

(百人一首随筆集)


「連 載」 第 24 歌  宮仕へと左遷 (菅家)
このたびは幣も取りあえず手向山もみぢの錦神のまにまに

◆ 失 脚 ◆  古今集によりますと、この歌は朱雀院(宇多法皇)の奈良御幸に同行した際に 詠まれた和歌です。菅原道真は、宇多天皇の治世に大納言から右大臣に昇りながら、藤原時平の 他氏排斥工作のため、太宰権帥に左遷させられ、今を去る一一九0年前の醍醐天皇御代(九0三年) 延喜三年二月二十五日、五十九歳で九州の地に没したわけです。
 宮仕えの身に左遷はつきもので、平安朝の摂関政治時代はもとより、それ以前の昔より、現代 社会に至るまで、人が集団で何かをしようとするとき、必ずといってよいほど派生する問題と みなされます。
 これに類する政権闘争や権力争いは、古代の氏族政治時代から始まっており、藤原氏による 他氏排斥工作は八世紀〜十世紀の間でも十件以上を数え、八世紀に歴史に刻み込まれている事件でも、 長屋王(七二九年)、橘奈良麻呂(七五七年)、恵美押勝(七六四年)、道鏡(七七0年)、 藤原種継(七八五年)など五件もあります。

◆ 政 争 ◆   昔の主導権闘争は武力によって遂行されてきましたが、現代平成の世の中では、 金力によって進められると言ってもよいのではないでしょうか。
 平成六年四月二十八日、羽田進氏を第八十代で五十一人目の内閣総理大臣とすることで、三十八年 振りの少数与党政党による政権が成立しました。前任の内閣は第二次世界大戦後、自由党および 自由民主党による絶対多数派の長期保守政権に終わりを告げた細川内閣で、その活動は一年に 満たない短命内閣に終わっているため、最近の日本の表看板は一年毎に書き替えられている感が します。
平安期より千年続いた摂政・関白・太政大臣などの太政官制度は、明治十八年(一八八五年) 十二月二十二日廃止され、第一次伊藤博文内閣が誕生して以来、百十年間に八十人の総理大臣を 擁立してきたことになります。
 政権替わりにはそれぞれの思惑が働き、誠にややこしい腹の探りあいによる権力欲への暗闘が 繰り広げられ、事の成りゆきに一喜一憂するものです。不運に降り廻されて泣く人もおれば、 降って沸いたような巡り合わせを強運として狂喜乱舞する人もいるという事態は、昔も今も あまり変るところがないのではないでしょうか。
 平成の現在は少数の優秀な官僚による官僚政治と言った方がよいかもわかりませんから、官僚 こそ太政官制の百官と同じように、宮仕えにこれ精一杯身を粉にして尽くしていると言えるでしょう。

◆ 天満宮 ◆  右大臣として失脚した道真公は、死後も政敵への恨みを晴らすために、復讐の 鬼となって京の都に戻り、人々を震えあがらせました。身に覚えのある貴族たちは、怨霊を抑えよう と、菅公を神に祀りあげました。それが、天満宮天神さんです。「……紅葉の錦神のまにまに」と、 神を詠ったその本人が人神として祀られてしまったのです。
   この人神は学問の神様として慕われており、近代社会における学制制度に基づく勉学の道には なくてはならない神になってしまいました。いかに後世の人々が菅公の博学を尊び、尊敬していたか がわかります。毎年年明けから三月の梅の花の時期まで、菅公の梅の花を愛したことともあいまって、 幼きは小学生の書道から、長けては大学の入学試験まで、大変な人数に御利益を施さなければなら ない菅公も、あの世では、さぞかし大いそがしどころか冷や汗をかいているのではないでしょうか。
 現在、日本国内には、天満宮天神さんは何社ぐらいあるのでしょうか。津々浦々まで菅公の 御利益を受けたい人の気持ちがいっぱいです。ちなみに、平成六年六月二十五日は全国天満宮梅風会 菅公御生誕千百五十年祭が催されました。
  天満宮の総社は京都・北野にありますが、菅公ゆかりの地には、必ずといってよいほど天神 さんが祀られております。都の隣の難波には、地名そのものが天満と名づけられて、大阪城より 大川(旧淀川)をはさんだ対岸の地に大阪天満宮が鎮座まします。
 大阪・天満と京都・北野間は地図上の直線距離で約四十キロメートル強で、この直線上の中間点の 高槻市には、上宮天満宮があり、高槻と京都の中間点、長岡京市には長岡天満宮があります。高槻の 駅前の上宮天満宮では、毎年二月二十五日の菅公命日には、菅公を忍ぶ梅まつりが催されている ようですし、長岡天満宮は桜やつつじの花の名所となっています。
 学問の神様にはお願いするばかりでなく、若い学徒の体力のほどを菅公に披露する催しも如何で ありましょうか。すなわち、畿内大学「天神駅伝」と称して難波の地から京の地まで、四十二 キロメートルを走り抜くという企画の提案です。開催日は二月二十五日です。こぞって御参集 あれかし。飛ぶ梅の勢いで走りたいものです。

*** 言葉の世界への散歩  ***
 この歌では、次の用語が複雑に構築されています。「たび(かけことば)」「ぬさ(人工物)」「手向山(中山句)」 「神(二例)」「まにまに(語尾)」


 Z「たび」・・・・「このたびのたびは」という掛詞です。
           また百人一首の中で「たび」の語を
           使かっているのはこの歌だけですが、
           旅を思わせるものは十番蝉丸の歌、
           六十番小式部内侍の歌、十六番中納言
           行平の歌などがあります。
 Z「手向」・・・・「手向山のもみぢを神に手向ける」と
           いう掛詞です。
 Z「手向山」・・・ 第三句で山が挿入されている中山句
           ですが、百人一首での中山句としては、
           この歌だけです。
 Z「とりあえず」・「手向けの準備も十分とりあえないまま、
           とりあえず手向ける」
 Z「ぬさ」・・・・「神」への手向け用具ですが、百人一首の
           中でも唯一の神に関係した人工物です。
           第五句の「神」に対するものです。
 Z「もみぢの錦」・・神に手向けるものとしては、錦のように
           彩られたもみぢを、もみぢによる
           錦の織物と見て献げるというものです。
          「錦のようなもみぢ」というところを
          「もみぢの錦」として神に献げるという
           ところでしょう。
 Z「神」・・・・・・百人一首では他に十七番に業平が神代を
           使っているだけです。
 Z「まにまに」・・「に」止めとされている歌は、九番の小町の
          「間に」があります。

この歌の「神」、「もみぢ」、「ぬさ」などは道真の独創用語ではなく、むしろ当時の歌の中では 常套用語であったかもしれません。古今和歌集・巻第五・秋歌下の中に、次の三首をみることができ ます。

(二九八番)竜田姫手向くる神のあればこそ秋のこの葉の幣と散るらめ
 (かねみの王)
(二九九番)秋の山もみぢを幣と手向くればすむ我さへぞ旅心地する
(つらゆき)
(三00番)神奈備の山を過ぎゆく秋あれば龍田川にぞ幣は手向くる
(きよはらのふかやぶ)

*** 百人一首の忘備録 ***
 現世では、自力の学識で右大臣にまで昇りつめた上に、勅撰和歌の作者としては新古今和歌集に おいて、太政大臣にまで祀りあげられています。新古今集・巻十八・雑歌下には、「菅贈太政大臣」と して十二首の歌が掲げられ、歌題として、「山、日、海、松、道、曰、野、波、雪、鵲、雲」など、 すべて自然の景物が歌い込まれています。
  天上:日、月、霧、雲、雪、鵲
地上:山、野、道、川、海、波、松、梅
さらに柳(一四四八番歌)、鴬(一四四0番歌)、露(四六一番歌)の歌があります。

【百人一首の談話室】 「天と神」
 百人一首の中で「天」の文字を読んだ歌は四首有り、それらの対象物は、「山」(2番歌)、 「原」(七番歌)、「風」(十二番歌)、「橋」(六十番歌)と様々です。すなわち四首の 「天の」はそれぞれ少しづつ意味が異なるようです。
  二番:大和の国(大和朝廷)の中にある意味
  七番:広々とした大空という意味
 十二番:上空から吹いてくる又は神が吹き下ろすという意味
六十番:神が造ったような神の国の風景のような喩えの意味
又これら四首の中、三首は「天の」であり、一首が「天つ」です。
 「天つ」用法:天つ風、天つ神、天つ空、天津日高、天つ日嗣ぎ、
        天つ御祖、天つ御門、天津乙女
 「天の」用法:天の浮き橋、天の川、天の川波、天の川辺、天の川原、
        天の逆手、天の門、天の羽衣

「神」の用語としては、「神代」(十七番歌)と「神のまにまに」(二十四番歌)があります。
 神事に関係した用語には「ぬさ」(二十四番歌)、「禊ぎ」(九十八番歌)が有り、「祈らぬ」 (七十四番歌)、「契り」(七十五番歌)も神に係わっていると言えましょう。
これらの「天」と「神」を一語にして、「天神」又は「天神さん」と呼ぶとき、すなわち 菅原道真の神号になります。これは道真を火雷天神に祭り上げる信仰が起こり、そのお宮として 京都に北野天神が創建されたことに繋がります。ちなみに、「天神」というのが本来の意味でしょう。
 一方「天満宮」は天神の神社としての宮号になります。従って京都では北野の地にあって 「北野天満宮」と呼ばれ、大阪では、天満そのものが地名になっているというより、天神さんが 祀られている地名にちなんで天満と名付けたれたところにありますから「天満の天神さん」となり、 没した太宰府の地の天神さんは「太宰府天満宮」になるわけです。
 道真公と火雷とがどのようにして結びついたのか不明ですが、道真公の怨念が雷神と化けた為 なのでしょうか。天満宮が道真公の霊を慰める目的であったにかかわらず、現代では学問の神様に 変身して、毎年毎年梅の花の時期には、多くの若い学徒の願いを一身に引き受ける守護神になって います。
 一国を背負っていた菅原道真公も、千年後再び神様となって一国を背負うことになるであろう 若い青少年学徒を勇気づける立場に立つことは、彼としても本望ではないでしょうか。嫌われた 藤原時平は神様にも成れず、歴史上でも悪役として言及されるだけであるのに対して、菅家は、 これから後も五百年後、いや千年後も日本人の中に「天神さん」として生きていくことでしょう。

平成六年五月一日


掲載 平成16年4月17日・磯城島綜芸堂・主筆 謹言
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