◆ 待ちぼうけ ◆ この歌の解釈を平成現代風に言いますと、ー今すぐに行くからと言ったから
待っていたのに、夜が明けてしまったじゃありませんか。一体どうなったのよー と、待った側の
立場で、待たせた相手に恨み言を並べているといったところでしょう。ただでさえ待たされる側は、
待ち時間が異常に長く感じられるのに、一晩も待たされたのでは、辛抱するにも限度があるという
ことになります。
待ちに待って、夜が白々と明け、有明の月を上空に見上げた時には、もはや、待ち疲れも頂点に
達して、既に諦めの気持ちが出かけ始めている頃です。有明の月が自分の待ちくたびれた気持ちなど、
理解してくれないように、知らぬ顔で白々と、またぼんやりと、空に昇っているところを見て、
ほとほとつれなく思ったことでしょう。
ー有明のお月さん、私はあなたを長々と一晩中待っていたのではありませんよ。あなたは、私の
出迎えを待っていたかのように、今頃になって出てくるなんて、本当につれないお月さんですことー
とでも言って、憤懣やる方ない憂さ晴らしを月に向かってたたきつけたいところです。
◆ 待つ恨み ◆ こういった恨み言は、素性法師さんの平安時代も平成現代でも変ることは
ありません。人を待たせることに何も感じない平気な人もおれば、異常なほど待ち合せ場所と時間を
気にする人がいるのも確かです。おかしなもので、人を待たせることが平気な人ほど、自分が待た
される側になると、たとえ一分でも五分でも過ぎると、あたかも一時間も二時間も待っていたかの
ように、いつまでもぶつぶつ不平を言い続け、あげくの果てには怒り出す人もいるものです。男の
甘言に泣くのは、平安朝の女性ばかりではなく、平成現代の男女間でも同じことでしょう。
「君しかいない、結婚しようね」と言われるままに、気付いてみれば三十代はおろか、四十歳近く
なって結婚の秋がうらめしく通り過ぎていく女性がいたとすれば、その人の気持ちこそ正しく、
「契りおきしさせもが露をたのみにてあはれ今年の秋も去ぬめり」
でしょう。この世の中において世事万端、待たされる側の立場は非常につらくせつなくやるせなく、
はたまた心細く落ち着かないものです。
◆ 待ち月 ◆ 月齢を待ち時間の長さに合わせて言い分けるというのは、昔の日本人ならでは、の
やり方でないでしょうか。満月から新月までの下弦の月(有明の月)の中には、十七日頃の立待月、
十八日頃の居待月、十九日頃の臥待月(寝待月)、二十日頃の更待月(宵待月)などがあります。
さて、平成現代で『睦月、如月、弥生、卯月、皐月、水無月、文月、葉月、長月、神無月、霜月、
師走』の陰暦月称のうち、なんとか日常生活に名残りをとどめている月名は、やよい、さつき、
しはす、などです。もっと日常生活に取り入れてもよいのではないでしょうか。趣がありますから。
なお、「ありあけ」という言葉は、「有明行灯」「有明の灯」「有明袋」あるいは「有明の主水」
「有明桜」などにまで拡大して利用されていることを広辞苑で引くことができました。九州西部の
「有明海」も「ありあけ」に美しく輝く海なのでしょうか。
「ありあけの月」を詠んだ歌は百人一首で四首あり、三十番歌「ありあけの」(壬生忠岑)、
三十一番歌「朝ぼらけ」(坂上是則)及び八十一番歌「ほととぎす」(藤原実定)ですが、特に素性
法師の歌と対照的なのが三十番歌でしょう。
素性法師の歌では女性が一晩中待たされたのに、壬生忠岑の歌は一晩中逢っていて、曉方に男と
別れたという違いです。どちらにしても「ありあけの月」はつれなく、せつなく、やるせなく、はた
また恨めしく見上げる月になっています。
「待ちあかし はた別れゆく ありあけの 月はつれなく 憂さかぎりなし」
「ありあけの月」はうらめしくとも、中秋の満月の月見は日本人の昔からの習慣で、現代でも 名残があります。よく言われる月々の月の歌に、次のような歌があります。
「月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月」
このように、日本人は昔から月に時々の感情を詠いながら生活してきたわけです。
既にアメリカ人が三名、一九六九年(昭和四七年)月に降り立って二十年ほど経ちましたが、
やはり見上げる月に思う気持ちは変りません。
素性法師から千百年後の平成現代において、日本人は未だ月に着陸はしていませんが、宇宙を
周回するようになりました。さて平成時代より千年後の三十世紀には、すでに日本人も月に着陸し、
ひょっとすると生活しているかもしれません。それでも、地球から見上げる月に思う日本人の心は、
素性法師などの古今集の人々と変ることはないでしょう。想像するに、月に生活する日本人村の
人々が、ふるさとの青い地球を見上げて、地球を見る歌会を催して、昔を偲んでいるかもしれ
ません。
*** 百人一首の百人家族 ***
◆ 法師の親子 ◆ 素性法師は良岑玄利と称し、良岑宗貞(遍昭)の子供ですから、十八組
ある百人一首の親子組のなかで、この両人は、ともに僧侶名で百人一首に出てきている点で、なお
かつ、歌の対象が僧侶でありながら、女性の姿が浮かび出てくるものばかりです。父親は、五節の
舞姫を詠み、息子は、男の訪れを待ちに待っている女性を詠んでいるのです。
「良岑の 父子ともども 乙女には 心うばわれ 歌も浮き足」
古今集の中でも、二人そろって、「今来む」と詠んでいます。
(息子)「今来むと言ひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな」(巻第十四・恋四・六九一)
(父親)「今来むと言ひて別れし朝より思ひくらしのねをのみぞなく」(巻第十五・恋五・七七一)
正しく、「この親にしてこの子あり」のような一対の歌ですが、内容の点では、息子の出来の方が
一枚上ではないでしょうか。 また、この二人の歌はそろって、古今集の春歌、夏歌、秋歌や賀歌の
部に選歌されています。
巻第一・春歌上(息子)「見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける」(五六)
(父親)「浅緑いとよりかけて白露を珠にも抜ける春の柳か」(二七)
巻第二・春歌下(父親)「花の色は霞にこめて見せずとも香をだにぬすめ春の山風」(九一)
(息子)「花の木も今はほりうゑじ春たてばうつろふ色に人ならひけり」(九二)
巻第三・夏歌 (息子)「ほととぎす初声きけばあぢきなくぬしさだまらぬ恋せらるはた」(一四三)
(父親)「蓮葉のにごりにしまぬ心もてなにかは露を玉とあざむく」(一六五)
巻第五・秋歌 (父親)「わび人のわきてたちよる木のもとは頼むかげなく紅葉ちりけり」(二九二)
(息子)「もみぢ葉のながれてとまるみなとには紅深き浪やたつらん」(二九三)
巻第七・賀歌 (父親)「ちはやぶる神やきりけんつくからに千歳の坂もこえぬべらなり」(三四八)
(息子)「いにしへにありきあらずは知らねども千歳のためし君に始めむ」(三五三)
父親は、六歌仙や三十六歌仙の一人として、著名な歌人であったわけですが、息子も父親にひけを とらない古今集の歌人として後世に名を残しました。能書のゆえに、屏風歌も残しているようです。
平成六年九月三日
|
|||
|
|