平平点描

(百人一首随筆集)


「連 載」 第 16 歌  単身赴任 (在原行平)
立ち別れいなばの山の峯に生ふるまつとし聞かば今帰り来む

      ◆ 因幡国 ◆  平成六年六月五日の新聞記事(産経新聞)には、鳥取県岩美郡にある古墳時代 末期(七世紀末から八世紀初頭)の古墳から陶器製の棺が出土した事が発表されており、陶棺が隣の 岡山県に多く出土していることから、古代には鳥取県と岡山県の強い結びつきが窺えるとされて います。
 出土地は鳥取市の東方で、むかしの因幡国(因州)にあたります。因幡と言えば出雲神話の一つ 「因幡の白兎」と大国主命の話を思いだすように、隣の伯耆や出雲と共に神代よりの古い国の一つで あるわけです。
 万葉集に於ても石見国府付近の柿本人麻呂の足跡と共に、因幡国府は大伴家持が国守として赴任 した地でもあるわけです。万葉集四五一六首の最後を受け持つ歌は「天平宝字三年(七五九年)春 正月一日、因幡国の庁に饗を国郡の司などに賜へる宴の歌一首、

 「新しき年の始めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事」
  右の一首は守大伴宿禰家持作れり

となっています。大伴家持の時代から百年後の斎衡二年(八五五年)正月十五日、在原行平は因幡守に 任じられました。

◆ 西国への赴任 ◆  百人一首の中で都の西の地名は、難波、高砂、淡路島、須磨、松帆浦、 有馬、猪名野等のほかに、現在の山陰地方に当たる地域として、生野、天橋立、由良、そして因幡が 最も遠隔の地として詠れています。京の都から離れているとはいっても、摂津、播磨、美作経由で 二百数十キロメートルほどですから、当時の道中記などを引用してみても、一週間程度で因幡の 国府に達することが出来たようです。国守に任命された行平も京を離れて因幡国へ単身赴任した のでしょうか。
 この歌を赴任の別れの宴での歌としますと、「待つ」人は京の都の妻子であり、親しい人々で ある行平の貴族社会ということになります。
  もう一つの説は、任期開けで都に帰る送別の席での歌という見方もあり、この場合の「待つ」 人は当然因幡国守の任期中(四年ほどか)に知り合った人々でしょう。後者の方が辺鄙の地の趣きと 素朴な人間の情の交換が感じられて、歌の意味に深みが増すように思います。多くの国守は京の都で 命を受けて、住み慣れた雅の地を離れて鄙びた田舎へ行くわけで、大半の貴族はできれば早く都へ 帰り着きたいと思ったことでしょう。行平もそうであったとして、この歌が都を離れる時としますと、 歌の用語こそ違え、誰でも同じ様な心境で詠う誠に平凡な歌の内容になってしまいます。
 任期中、辺鄙な国に於ては都では得られない素直な、また純真な人の心と心のつきあいに暖かみを 感じ、因幡の国から離れがたい気持ちになりかけた頃、解任されて都へ戻されるとは残念な思いで あるという気持ちとしますと、この歌が生きてきます。歌の中に、わざわざ因幡の国の人々に敬意を 表して「因幡の山」を詠い込み、その「峯に生ふる」長寿の代表の「松」が何時までも再び帰任 されることを「待って」いますよと言われれば、誰しも離れがたい気持ちになるところで、その あたりを誠実に詠っているように聞えます。
 当時の官吏の標準任期は四年と決められていたようです。短くもあり永くもありと言うところで しょう。逆に確実に四年と決まってしまいますと、覚悟もしやすく計画も立て易かったと思いますが、 現代のサラリーマン諸氏の遠隔地赴任、特に単身赴任は任期が確実である場合とそうでない場合が あり、大半は当人もおおよそ前任者の例から判断しているわけです。平成の世では故郷遠く離れて いても当然手紙や葉書のような書きものでの連絡方法はもとより、同時間的連絡方法として、便利な 電話までありますから、たとえ日本国内の何処にいても、二三日あれば、あるいは電話の所まで辿り 着けば、すぐに連絡が取れます。赴任地からみだりに離れることは出来ないにしても、地球上のどこに いても飛行場にさえ辿りつけば、日本の我が家へ帰ってくることも、数日で十分なほど単身赴任地の 距離と時間とは考えなくてもよいようになりました。
 行平の因幡の国は都から比較的近いと言っても、当時は一週間かかり、旅そのものが大変厄介な ことであったと思われます。とにかく旅館もなければレストランもないのですから、全て旅行には 自衛手段を考える必要があったわけです。

◆ 配 流 ◆   在原行平は平城天皇の皇子阿保親王の第二子として、又その第五子の業平の 兄として生まれ、太宰権帥も歴任し、中納言民部卿となり、一時期須磨に配流の身になったことが、 後に紫式部による「源氏物語」の「須磨」になり、能楽、浄瑠璃、歌舞伎に採り上げられる所と なったわけで、弟業平とともに何かと話題の多い兄弟であるわけです。ちなみに現在でも神戸市の JR鷹取駅南地区に「行平町」として名が残されています。

 「わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に藻塩垂れつつわぶと答へよ」
                                           (古今集・巻十八・雑下・九六二)

 この歌と同じ「立ち別れ」を用いた古今集・巻第八・離別歌に、紀利貞の歌として、

 「帰る山ありとは聴けど春霞立ち別れなば恋しかるべし」

とあり、更に行平の雑歌として、

 「こき散らす滝の白玉拾ひおきて世の憂きときの涙にぞ借る」

 さぞかし冷たい、しかし澄んだ涙の露となるでしょう。

***  言葉の世界への散歩  ***
 この歌の用語には、いろいろな意味が含まれています。


         ●        ○          ○      ●   ○  ●
 たち わかれ いなばの やまの みねに おふる まつ とし きかば いま  かえり  こむ
  ↓  ↓   ↓        ↓   ↓  ↓  ↓          ↓
 立ち  別れ      因幡              峯    生ふる  松    年                  帰り
 断ち  分かれ    往なば            見ね  追ふる  待つ  歳                  返り
 経ち  わ離れ    稲葉                    負ふる                            還り
 絶ち

 対比語や同類語が寄り集まっていると言った感じです。
 よく言われる掛詞は「いなば」と「まつ」です。また、上句では「絶つ」、「分離れる」、 「往ぬ」に対して、下句では、「待つ」、「帰る」、「来る」が対応しています。
 又、「稲葉の山」、「峯」、「まつ」などは、関連語になるでしょう。「やま」と「いま」も 興味ある二字一対の単語として入っています。

*** 百人一首の忘備録  *** 「地名・国名」
百人一首の中で国名を詠み込んだ歌は、十六番歌の「因幡」です。それぞれの歌と国名との関係を 付けてみますと、次のようになりましょう。
地名が詠み込まれていない場合は、その歌人の生涯で関係した地名や国名を探し出すことになり ます。

歌番号  国 名  関 係歌番号  国 名  関 係 歌番号 国 名 関 係
  一   近江  大津宮
  四   駿河  富 士
  七   大和  三笠山
 十    近江  逢坂関
 十三  常陸  筑波嶺
 十六  因幡  因幡山
 十九  摂津  難波潟
二十二  三河  赴任地
二十五  近江  逢坂山
二十八  丹波  任官地
三十一  大和  吉 野
三十四  播磨  高 砂
三十七  駿河  任官地
四十    駿河  任官地
四十三  京   西坂本
四十六  丹後  由 良
四十九  伊勢  神 官
五十二  美濃  任官地
五十五  京   大覚寺
五十八  摂津  有馬山
六十一  大和  奈 良
六十四  山城  宇 治
六十七  周防  任官地
七十    京  洛北大原
七十三  太宰府 赴任地
七十六  京   法性寺
七十九  京  北野神社
八十二  摂津 住吉神社
八十五  京   福田寺
八十八  摂津  難波江
九十一  京   大内裏
九十四  大和  吉 野
九十七  淡路 松帆の浦
百     佐渡  佐渡島
  二   大和  天香具山
  五   山城  猿丸神社
  八   山城  宇治山
 十一  隠岐  流刑地
 十四  陸奥 信夫文知摺
 十七  大和  龍田川
二十   摂津  難波
二十三  伊予  任官地
二十六  京   小倉山
二十九  和泉  赴任地
三十二  近江 志賀山越え
三十五  大和  長谷寺
三十八  京   大内裏
四十一  摂津  赴任地
四十四  山城  山科別荘
四十七  京   河原院
五十    京  父伊尹住居
五十三  京   西山
五十六  和泉  任官地
五十九  尾張  赴任地
六十二  近江  逢坂の関
六十五  相模  赴任地
六十八  京   西山
七十一  京   桂・梅津
七十四  大和  初瀬寺
七十七  讃岐  白峰陵
八十    京   仁和寺
八十三  京  東福寺墓地
八十六  河内  弘川寺
八十九  京  般舟院墓地
九十二  陸奥  沖の石
九十五  近江  比叡山
九十八  京   賀茂神社
  三  石見   赴任地
  六  越中   赴任地
  九  出羽  卒塔婆小町
 十二  大和   石上寺
 十五  京    大内裏
 十八  和泉   住之江
二十一  大和   石上寺
二十四  大和   手向山
二十七  山城   泉川
三十   甲斐   出張地
三十三  土佐   任官地
三十六  京    大原
三十九  近江   任官地
四十二  陸奥   末の松山
四十五  京    一条摂政
四十八  陸奥  父兼信住居
五十一  陸奥   赴任地
五十四  京    大内裏
五十七  越前   赴任地
六十   丹後   天橋立
六十三  京    八条別荘
六十六  大和   大峰山
六十九  大和   龍田川
七十二  和泉   高師浜
七十五  大和  奈良興福寺
七十八  淡路   淡路島
八十一  安芸   厳島神社
八十四   京    白 川
八十七   京    嵯 峨
九十   陸奥   雄島
九十三  相模   鎌倉
九十六  京    北山山荘
九十九  隠岐   隠岐島

掲載 平成16年4月15日・磯城島綜芸堂・主筆 謹言
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