◆ 源 融 ◆ 源融は嵯峨天皇の皇子として源姓を賜り、左大臣従一位の官職で、京の東六条
河原院に住まいしていたため、河原左大臣と言われました。宇治平等院や嵯峨山荘「樓靄観」
(清涼寺・嵯峨釈迦堂)も元は彼の別荘でしたし、河原院には「陸奥」の塩釜の風景を模した豪華
な庭園がありました。 百人一首に選ばれた源融の歌も、陸奥の「しのぶもぢずり」を詠んでいま
すから、陸奥とは何かと深い関係を持っています。
源融と陸奥・・・どうしてそのような関連性があるのでしょうか。既に九世紀中頃の陸奥では、
秋田城が最北の城で、その北に更に渟代柵などが設置され、皇室領や藤原氏族領が現在の気仙沼や
一関あたりにあったようです。既に源融から百年前に生まれ、従三位時節征東将軍に就いた大伴家持
は、陸奥鎮守府に赴任し、その地で七八四年に亡くなっています。
当時の国府は現在の仙台駅東方の郊外にあり、多賀城蹟は更にその東北方向に位置し、松島と
多賀城の間に塩釜市や塩釜港があり、付近には末の松山(四二番歌)や沖の石などの石碑もあります。
残念ながら家持は七六0年頃からもはや歌を残しておりませんが、陸奥の多賀城、塩釜、松山での
歌が有れば、さぞ名歌を残したのではないかと思います。
◆ 陸 奥 ◆ 「陸奥」のように国名を盛り込んだ歌は百人一首に三首有り、いずれも京の都を
遠く離れた「筑波」(十三番歌)(関東地方代表)と「因幡」(十六番歌)(中国地方代表)で、
十三番ー十四番ー十六番と遠国シリーズになっています。特に隣の十三番歌では「筑波」と「男女川」
の二個所が、十四番歌では「陸奥」と「信夫」の二箇所が歌われており、両所とも関東と東北の東方
である点が共通しており、歌の内容そのものも恋に揺れ動く人の気持ちを採り上げている点でも共通
しています。
陸奥の信夫とは、現在の福島県にあたり、福島駅の北方に信夫山があって、この山頂には百人一首
十四番歌の歌碑が建っているとのことです。陸奥の歌枕は福島県では勿来の関、白川の関、宮城県では
安積の沼、信夫、名取川、末の松山、宮城野、塩釜、松島などがあり、万葉集の時代には、安積香山、
安達太良山、会津嶺や真野等であったことを考えますと、平安期では陸奥も人の往来が盛んになり、
人々の話にも出てくる機会が多くなったのでしょう。
尾崎雅嘉「百人一首一夕話」に依りますと、源融の性格は、「遊楽を好み鳥獣虫魚花木などを愛せ
られ」たからこそ、その位人臣の高さと豊かな財力を利用して粋な自然を愛する趣味に傾き、その
結果が各地の別荘であり、河原院であったのでしょう。「池にはいろいろの魚や貝などを放ち、毎日
難波の浦より潮を二十石ずつ汲ませ塩釜を立てて塩を焼かせ」ると言う贅を尽くしたものにして遊び
楽しんでいたのです。
源融を魅了した塩釜の風景は、現在日本三景(松島、天橋立、宮島)の一つに入っていることからも
頷けるように思います。ちなみに、日本三景は寛永二年(一六四三年)林春斉が、その「日本事蹟考」
で決めたものとされています。その八百年後、一人の俳人芭蕉も松島を絶賛した通りです。
彼の邸宅には仙台・塩釜を模した風景を取り込み、歌では福島を舞台とした信夫の名産「しのぶも
ぢずり」を愛用し、且つ詠い込んでいます。とにかく源融は陸奥の物産に惚れ込んでいたようです。
◆ しのぶ ◆ 主題の染め織物「信夫もぢずり」とは、染料用に忍草を用いて、すりつけて模様
に染めた布のことで、古くから陸奥の信夫の名産とされている物です。
平安期の織物はどこでどのようなものが産出されていたのでしょうか。この歌の信夫のもぢずりは、
かなり有名な地方特産の一つであったと思われます。「もぢずり」は「忍草」を用いた染め物のこと
ですから、この地方には忍草が群生できる風土があったのでしょうか。織物が特産の土地は当然織物
の素地の原産地になっているか、信夫のように染料が取れるかが必須条件になります。
平成の現代では、天然の素材である木綿、麻、絹などに加えて、人工的な化学繊維の時代と言え、
織物の産地は平安期のように素地の原産地とか、染料が特産とか言う条件は必要ではなく、むしろ
人手が集まりやすい空気のきれいな、それでいて市場に近い立地条件の方が優先されたのです。
近代社会に於ける機械紡績工業が、例えば群馬県の富岡製糸場、広島紡績所、愛知紡績所などに
興ったのはその例です。人工の繊維により染色も人工科学的になったわけです。
しのぶ(くさ)は、しだ科の植物で、茎や葉柄はいずれも淡褐色ですから、「もぢずり」の捻れた
模様も、それを擦りつけられた物になっているのでしょう。もっとも「しのぶ」という襲(かさね)の
色目は表が萌葱で裏が青のことです。平安時代の着物はかさね(襲)て多様な色目を取り入れた衣装に
するのです。 (註)襲と色目については第三十五話を参照願います。
◆ 衣装の色彩 ◆ 織物の色に関して百人一首で関係してくる歌は二首有り、二番歌「白妙の衣」
の夏の白色と十七番歌「唐紅に水くくる」秋の紅色と、紅白の好対照です。この十四番歌では歌の
内容からすれば、淡褐色はあまり重要でなく、捻れ模様になっていることが重要で、色合いだけを
言うならば赤と黒の捻れた模様の方がふさわしいように思います。
平安朝の人々の衣裳に対する色彩のこだわりはかなりなもので、現代人以上に力を入れていた
ことが、その代表例としての葵祭の衣裳類に見ることが出来ます。平成サラリーマンの色彩は黒褐色、
灰褐色又はせいぜい濃紺のモノトーンがすべてであることから見れば大変な違いです。
古代から近世までの衣裳を見るためには、「時代祭」が大変都合がよいわけです。古代より中世、
中世より近世、近世より現代の方が正装衣類の色や柄がだんだん全体に地味で単純なものに、よく
言えば布をあまり必要としない飾りのない活動的な物に変化していったのではないかと思われます。
ちなみに古典に出てくる色彩名は非常に多種多様です。たとえば紅梅、山吹、朽葉、萌葱、花、葡萄、
蘇芳などです。 (註)色彩については第三十五話を参照願います。
*** 言葉の世界への散歩 ***
この歌の「みちのくのしのぶもぢづり」は、「乱れ染め」(「乱れ初め」)を引き出すための
枕句で、「誰ゆゑに」とは言うなれば、誰でもない「我ならなくに」(「あなたのため」)という
のが言いたいことですから、一言でいうならば、「私はあなたに思い乱れています」ということに
なります。この主語と目的語と述語のいと(糸)をいと(意図)的に織物に仕上げたのがこの歌です。
すなわち、次の経と緯になります。
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歌枕の「陸奥」を糸口にして、経(たていと)の一本目は、上二句、三句目をあて、四句、五句を
二本目とし、緯(よこいと)には、心、染物、人、締め句を充てています。誠に見事な織り込みで
ありますが、さて何柄に仕上がっていて、何色に染められているのでしょう。
*** 百人一首の道草 *** |
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