◆ 真夏日 ◆ 平成六年の夏は、猛暑と水不足の記録的な時節となりました。気温は連日三十数度
に上昇し、最低気温が二十五度を下らない(気象用語で「熱帯夜」という)日が、はや一ヶ月近く
続くという状態になっています。従がって大阪での平均気温が三十四、五度と明治十六年の気象観
測以来の高温度となり、もうすこしで体温に近づくという異常気象が続いています。
気象用語の「真夏日」とは、一日の最高気温が三十度以上である日の事を言いますが、真夏日の
日数のみが増えて、降水量は逆に限りなく零に近づいています。こんな天候の時はすぐに夕立を望み、
田の稲は雨水を求めることになります。日照りが続くとすぐに「雨乞い」をするのが昔からの習し
です。「幻」でもよいから恋しくなるのは、激しく落ちる滝や滔々と流れる川の水などでしょう。
「筑波嶺の峯より落つるみなの川」には、そのような連想が働きます。
◆ 筑波嶺 ◆ 筑波嶺は万葉集時代からの歌枕で、古代より男女が歌を詠んで求婚の「歌垣」の 行事を行なった地として引用されているのですが、それ以外に歌の背景としては、川のイメージが 強く感じられます。万葉集・巻十四・東歌には常陸国歌十首が挙げられており、その一首に、
「筑波嶺の峯もとどろに落つる水世にもたゆらに我が思はなくに」
の詠歌があり、陽成院の歌と同じく激しい水の流れと恋心が一緒になったものです。
万葉集以来、男女の恋の歌垣の地であった筑波山(標高八七六メートル)の麓の地も、平成の
世では、学問の花を咲かせる学術研究の「筑波学園都市」に変貌しています。
「筑波山 麓に咲きし 学の花 知恵ぞ積もりて 英知とぞなる」
「筑波嶺の 裾野に集う 人々の 英知積らば 文明となる」
◆ 落語のネタ ◆ 七七番歌「瀬をはやみ」(崇徳院)の歌も、谷川の水の流れを恋心の歌に
組み込んだ物で、陽成院の歌と同じ様な部類に分類することが出来ます。これら二首の歌の内容も
共通する点があります。両歌人の不幸な天皇としての生涯も共通する点ですし、更に興味あることに、
後世の人々は落語の本歌に採り上げているということも共通事項です。しかも落語の中味がいずれの
話とも相撲の世界での関取になっているところも面白い点です。(池田弥三郎「百人一首故事物語」)
激しい恋の歌というのは落語のネタにされやすいのでしょうか。これには一つの理由が考えら
れます。十七番歌を含めて両首とも山や川などを詠んでいるため、どうしても関取の「しこ名」を
連想しやすく、ついつい関取の話を組み立ててしまうことになるのでしょう。同じように考えますと、
落語のネタになりそうな百人一首としては、山と川を含む六九番歌が最有力候補と考えられ、どの
ような話に仕組まれるのでしょうか。関取「御室山」と「龍田川」の対戦を思い浮かべて、後世に
知恵ある人の創作に期待するところです。
*** 言葉の世界への散歩 ***
◆ 対 語 ◆ 陽成院の歌の用語構成を分析しますと、次のように考えることが出来ましょう。
対語としての山と川 :筑波嶺 =男女川
山と川の極点比較 :山・・・→嶺 =川・・・→淵
動詞の対比 :川・・・→落つる=恋・・・→成りぬる
第三句「男女川」がこの歌の中心になっています。上句を「・・川」で受け、下句を「男女・・」
で繋いでいます。さらに、 第一句、第二句と第三句および第三句と第四句を縁語で繋ぎ、、第二句と
第五句を同音語の「る」で結び、第二、四、五句を動詞で繋いでいます。すなわち、第一句の「嶺」、
第二句の「峯」、第三句の「川」、第四句の「恋」、第五句の「淵」であり、「みね・・・」
(二句)、「みな・・・」(三句)、「男女・・・」(三句)、「恋・・・」(四句)であり、
動詞群としては、「おつる・・・」(二句)、「つもり・・・」(四句)、「なりぬる・・・」
(五句)となります。
これらの中で興味ある読み方は「恋ぞ積りて」で、恋という概念は積る物ではありませんが、
それを「積る」と言っている所が特長です。恋が積ると何故淵(深くなる)になるのか、物に対する
独特な概念を持っている人でしか詠めない歌です。
*** 百人一首の忘備録 ***
◆ 川 ◆ 百人一首の中に川を詠み込んだ歌は、八首(十七番「龍田川」、二七番「泉川」、
三二番「山川」、六四番「宇治川」、六九番「龍田川」、七七番「滝川」、九八番「小川」)ほどが
ありますが、川の字そのものを詠み込んでいる歌は、この歌と二七番歌「泉川」、七七番歌「滝川」の
三首になり、「恋」という用語を用いているのは二七番歌のみです。
陽成院流の対話形式、すなわち「山ー嶺、川ー淵」を、この十三番歌以外で探してみましょう。
「龍田川」の紅葉では、六九番歌が、「御室山ー紅葉、龍田川ー錦」と詠み込まれて、陽成院流の
対話になっています。二七番歌では、山の代わりに「みかの原」を、「落つる」の代わりに「湧きて
ながるる」となっており、第三句と第四句とを「いずみ」ー「いつみ」で繋いで、「恋し」を主題に
している点で、十三番歌に非常によく似た技法を採っています。
さて、陽成院の歌での「山」(嶺)ー「川」(淵)を「草」(花)ー「木」(実)に置き換えて
詠んでみましょう。その際「筑波嶺」の歌では、山の嶺から一度に男女川を駆けくだった水は、
ついに深い淵となると言う、上から下へ水の流れと勢いをよく詠み込んだ歌だとも言えますから、
替え歌においても物事に経過が感じられねばなりません。
「わがしまは 草に花咲き 木々実り 小鳥来たれば 人皆集ふ」
◆ 百人一首に見る地形 ◆
百人一首の世界に展開される地形を辿っています。
一。山 まず高い山から、山嶺群を拾ってみますと十六首有り、対になっているものは峯二首
(四番、十三番)、普通名詞二首(五番奥山、七十三番外山)、奈良周辺五首(二番、
七番、二十四番、六十九番、九十四番)、京都周辺三首(八番、二十五番、二十六番)、
畿内及び周辺三首(摂津、丹波、因幡)そして京から最も離れた陸奥一首(末の松山)と
言う分布になっています。最も高い山は富士の高嶺(四番)であり、低い方は三室山
(六十九番、八十二メートル)ではないでしょうか。
二。川 次に高い山から流れ出る川を抽出してみますと八首有り、普通名詞四首(山川、滝川)、
奈良周辺三首、京都周辺二首の計七首で、いずれも畿内の地に対して、東国代表は一首(男
女川)のみとなっています。龍田川は二首(十七番、六十九番)に用いられている唯一の川
です。一字川は三川(泉、山、滝)、二字川は三首(男女、龍田、宇治)、最も短い川で、
名前の長いのが、「ならの小川」で、「・・・の川」と詠まれている歌は四首です。
現存する河川が海に注ぐまでの繋がりを見ますと次のようになり、淀川に合流している
三河川(木津川、宇治川、桂川)が詠まれていることになります。
男女川ー桜川ー霞ヶ浦ー利根川ー鹿島灘
龍田川ー大和川ー住之江
泉川(木津川)ー淀川ー難波江
宇治川ー淀川ー難波江
ならの小川(御手洗川)ー賀茂川(鴨川)ー桂川ー淀川ー難波江
ちなみに、滝を詠んだ歌は二首(五十五番、七十七番)になっています。
三。江 川が山から流れ下ってきて流れ入る浦、入江、湾、潟、浜などの地形を拾ってみますと、
次のように分類されます。
浦:二首(四番ー田子の浦、九十七番ー松帆の浦)
江:二首(十八番ー住之江、八十八番ー難波江)
潟:一首(十九番ー難波潟)
渚、浜:二首(七十二番ー高師浜、九十三番ー渚)
四。海 海に関係する物としては、わたの原や沖などです。
海(わたの原):二首(十一番、七十六番)
沖:一首(九十二番ー沖の石) この沖の石に対比すべき歌は四十二番「末の松山」では
ないでしょうか。いずれも波に関係する歌の内容で、一方は波越し、他は波(潮干)の
下にくぐているというものです。
五。波 海に関係している用語としての波に注目しますと、波は五首に詠み込まれていて、三首に
地名「難波」として出ています。すなわち、十八番:岸による波、四十二番:波こさじ、
四十八番:岩打つ波、七十二番:あだ波、七十六番:白波
六。島 海の向こうには三島が詠まれています。十一番:八十島(不特定、又は隠岐の島)、
七十八番:淡路島(摂津)、九十番:雄島(陸奥)
*** 百人一首の百人家族 ***
◆ 奇行と稀少 ◆ 独特な発想と詠い回しで歌を詠んだ陽成院は、ご不幸を多く抱え込まれた
第五十七代の天皇です。第五十六代清和天皇の第一皇子の為、十歳の時即位されたのですが、心の病
(精神面の病気)のため、わずか七年で譲位され、七十二才で亡くなられるまでの六十五年もの
長い間、太上天皇として多くの奇行をもたれた方です。又和歌でもこの歌一首のみが残っていると
いうのも奇行の一つでしょう。謎の歌人蝉丸や喜撰法師でさえ、百人一首の歌以外に一、二首は
伝えられているというのに、などと言わざるをえません。
そんな一首を選んだ藤原定家には何らかの意図があってのことと思わざるを得ません。
六歌仙と言われた大伴黒主や三十六歌仙の源順や中務その他の著名歌人をさしおいても、百人一首の
中に入った陽成院の奇行たるや、何か人の興味を誘う人物であることは確かです。
彼の出し尽くせなかった才能や奇行は、やや俗化した形で彼の第一皇子である元良親王に引き
継がれたようです。
陽成院の歌は後撰和歌集から撰歌されたものですが、生涯で唯一この歌のみが勅撰和歌集に載った
歌で、その唯一の一首が百人一首に選ばれているわけです。百人一首の中でただ一人打率十割の
歌人です。一方この和歌集で、選ばれた歌数の多い歌人は伊勢と貫之です。この後撰集は梨壺の
五人と言われる貫之の子息紀時文外五名で編纂されたもので、伊勢は七十首強、貫之は七十八首
載せられ、貫之に至っては勅撰集に全部で五百首あまり載せられているわけですから、百人一首への
一首は、打率二厘程度になります。後撰集より百人一首へは全部で七首採られています。すなわち
、一番歌ー天智天皇(三0二番歌)、三七番歌ー文屋康秀(三0八番歌)、三九番歌ー源等
(五七八番歌)、二五番歌ー三条右大臣(七0一番歌)、一三番歌ー陽成院(七七七番歌)、
二0番歌ー元良親王(九六一番歌)、十番歌ー蝉丸(一0九0番歌)などです。
後撰集より百人一首に入った歌人は陽成院御一人でなく、その第一皇子元良親王も仲よく一緒に
なっています。
平成六年八月十八日
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