◆ 都とは ◆ 平成六年夏の京都は、例年のように祇園祭に賑わいを見せていました。七月 十七日には祇園祭のハイライトとされている山鉾巡行が「コンチキチン」の祭り囃しに乗って催され、 約三キロメートルの沿道には、大凡十六万人の見物客が集い、伝統の時代絵巻に見入ったようです。 祇園祭は、長い歴史を持つ日本の夏の三大祭りで、他に難波の天神祭りなどもありますが、長い 歴史を感じさせるのはやはり京都の三大まつりです。古い順に祇園祭、葵祭り、時代祭りと言われて おり、祇園祭は日本の代表的な祭りになっています。その発端は貞観五年(八六三年)神仙苑で 営まれた御霊会で、儀式化されたのは天録元年(九七0年)とされていますから、勅撰和歌集の 誕生と相前後して始まったことになります。 京の都には、平成現代に残されている祭りや諸行事の ほとんどに千年の歴史が込められているのだという感じがします。従がって都の役目とは、このような 伝統行事を大切に保存し、後世に伝えることであり、そうすることが日本人として日本の歴史の流れの 中に生きているという自覚に繋がり、民族文化を継承することになるのでしょう。
◆ 千年メッセージ ◆ 百人一首は七世紀から十三世紀に渡る時代を、当代の歌人達が平成 現代と言う千年後の世界へ、あるいは平成からさらに千年後の世界へ伝えようとしたメッセージで あります。ほとんど全てが京の都で詠まれたと思われる歌ばかりですが、歌の中には京又は都と して京都が言及されているのは八番歌「我が庵は」の喜撰法師の歌だけです。ちなみに奈良の都も 六一番歌「いにしへの」(伊勢大輔)のみです。京都周辺の地名で百人一首に詠い込まれたものは、 「宇治」(二首)、「逢坂」(三首)、「小倉山」、「比叡山」、「名古曽の滝」及び「みかの原」 などです。
◆ 辰 巳 ◆ 喜撰法師は「都の辰巳」の方向に住んでいたわけですが、世間の人は「うじ」山に 住んでいると言っていますよ、と詠んでいます。平成の現在、京都駅から「辰巳」の方向(東南方向) には、東福寺、伏見稲荷、観修寺、醍醐寺、菟道(宇治市)、喜撰山(四一六メートル)、宇治川と 並んでいます。喜撰山は、この歌の作者喜撰法師が住まいした宇治の山である(宇治山はない)ために 付けられたのでしょうか。東山では音羽山(五九三メートル)、西山では小塩山(六三九メートル) など共に、高さはさほどでないにしろ、和歌で名高い山であります。
◆ 四方の山 ◆ 百人一首の中で方角を詠み込んだ歌はこの歌のみで、それがこの歌の特徴とも なっています。ここで都の四方八方を眺めてみますと、次のように歌が並びます。
「ね」 :「北辰の ひかる都の 子の方に 鞍馬の寺と 貴船の社」
「うしとら」 :「うしとらの 京の守りは 比叡山 あのくたらさん みゃくさんぼだい」
「う」 :「うの山に 煩悩の火は 大に燃え 御霊となりて かの世に還らむ」
「たつみ」 :「恋しくば とくと来て見よ いにしへの 都の巽 稲荷葛の葉」
「うま」 :「お大師の み寺は京の 午の方 永久に帰依せん 金剛遍照」
「ひつじさる」:「春を見む 小塩の方は ひつじさる 花の寺より 大原野まで」
「とり」 :「嵐山 色とりどりの 小倉山 大井の川面 紅葉敷き延べ」
「いぬい」 :「我が末は 都の乾 あだしのの 野辺の煙と なりて果てなむ」

*** 百人一首の百人家族 ***
◆ 喜撰法師 ◆ 百人一首の中で法師と名の付く歌人は九人居ますが、この歌の作者喜撰法師の
み、その生涯が不透明で、人物そのものも曖昧模糊としています。古今和歌集の序には六歌仙の
一人として挙げられていながら、「詠める歌多く聞えねば、かれこれをかよはして、よく知らず」と
いう評価が与えられているという不思議な謎の人物であるわけです。
喜撰法師の歌は、他に玉葉和歌集・巻三・夏にある次の歌です。
「木の間より見ゆるは谷の螢かもいさりに海士の海へ行くかも」
作者は喜撰とも基泉とも言われ、本当に彼の作かどうか疑われている歌です。としますと、六歌仙
たる名誉な歌人と言われた由縁は、百人一首の中の歌一首のみということになります。言い換えれば、
三十一文字で永遠の命を手にしたとも言えます。同じ生没年未詳の百人一首の歌人蝉丸でさえ、
百人一首の歌以外に、たしかに本人の作と伝えられている歌が、他に二首計三首はあるのですから、
如何に喜撰法師が特異な歌人であるかが分かります。
前述の九名の法師の歌で、明らかに法師らしい隠遁生活や仙人的人生を送っていると見られるのは、
喜撰法師ですが、「世を宇治山と人は言ふなり」とまだ俗世の風聞を気にしていますから、いわゆる
悟りの境地には達していません。自然の中に身をおいて自然の一部に成りきっているのは寂連法師の
「秋の夕暮れ」の歌、あるいは龍田川の紅葉を詠んだ能因法師の「嵐吹く」の歌でしょう。
反対に法師の名に似つかわしくない艶なる詠みをしているのは、「今こむと・・・待つ」素性
法師でしょう。ちなみに俗世間へ恨めしい気持ちを向けているのは「寂しさ」の良暹法師、「物
おもふ」の俊恵法師、「かこち顔」の西行法師、あるいは「思ひ詫び」ている道因法師でしょう。
後の世の人も喜撰法師を懐かしむことが多かったようです。
「宇治山の昔の庵の跡問へば都の巽名そ経りにける」(玉葉集・巻十六・雑三・法眼慶融)
◆ 六歌仙 ◆ 六歌仙で百人一首に入っていないのは、大伴黒主のみです。彼の歌を古今和歌集 より何首か挙げ、喜撰法師の代役として喜撰法師コーナーをにぎわしてみましょう。
「おもひ出でて恋しき時は初雁の鳴きて渡ると人は知らずや」(巻十四・恋四・七三五)
「鏡山いざ立ち寄りて見てゆかむ年経ぬる身は老いやしぬると」(巻十七・雑十・八九九)
「春雨の降るは涙か桜花散るををしまぬ人しなければ」(巻二・春下・八八)
「近江のや鏡の山を立てたればかねてぞ見ゆる君が千歳は」(巻二十・大御所御歌・一0八六)
*** 百人一首の道草 ***
喜撰法師の歌の中に些細な「物名」探しをしますと、生き物を六匹も詠みこんでいることがわかり
ました。さて、さて・・・・「が」、「たつ」、「み」、「しか」、「うじ」、「ふな」ですからね。
喜撰法師の歌で特有な用語となっているのは、「しか(副詞)ぞすむ」、「人はいふなり
(副助詞)」です。「しか」は他に五番歌「・・・なくしかの・・・」と、四一番歌「・・・おもい
初めしか」、八十三番歌「・・・しかぞ鳴くなる」ですが、副詞の「しか」は、喜撰法師の歌のみ
です。「なり」止めは、他に九四番歌「・・・衣打つなり」が有るのみです。
平成六年七月二十五日
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