「歌聖」と称され、万葉時代から平成現代まで、敷島の道に君臨してきた柿本人麻呂は、既に 千三百年以上の永きに渡って「不滅の歌人」の名を恣しいままにしてきました。彼を紹介する場合、 例えば、学校の教科書では次のようになります。
「宮廷職業歌人の柿本人麻呂は、万葉隆盛期の第二期の歌人であって、その枕詞・序詞・対句・ 繰り返しなどの技法を駆使した絢爛たる長歌は、重厚な響きを持ち、万葉集中最も優れている」 (第一学習社「新総合国語便覧」)
彼の歌は、万葉集には百首ほど撰歌されており、特に第二巻を中心とした長歌二十首は、 他の追随を許さない孤高の作品集とされています。七十首ほどの短歌の中では、次のものが代表歌と されています。
「東の野に陽光の立つ見えて返り見すれば月傾きぬ」(巻第一・四八)
「石見のや高角山の木の間より我が振る袖を妹見つらんか」(巻第二・一三二)
「もののふの八十宇治川の網代木にいさよふ浪の行方知らずも」(巻第三・二六四)
「淡海の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ゆ」(巻第三・二六六)
◆ 百人一首の歌人群 ◆ 百人一首の歌人群の平成現代に於ける著名度について考えてみました。 百人の歌人の中には、いわゆる歴史上の人物として有名な歌人と、ただ「百人一首」の歌人として のみ名が知られた人物の二種類に分けられるのではないかと思います。前者の人物群の内容を更に 細かく分類してみますと、日本の歴史上欠くことの出来ない超一流の人物と、和歌の道で有名な人物、 あるいは女性著名人として次のように分類されます。
歴史上の人物:天智天皇、菅家(菅原道真)、後鳥羽院
歌人としての著名人:柿本人麻呂、山部赤人、大伴家持、在原業平、紀貫之、西行法師、藤原定家
女性としての有名人:小野小町、和泉式部、紫式部、清少納言
歌人としての著名人の中でも、特に柿本人麻呂は歴史上最古にして最高の歌人になり、日本の歴史が 続く限り、柿本人麻呂の名誉は変わることなく、絶えることはないでしょう。彼は死後千三百年 経った現在でも、その価値を失っていませんから、千年後の敷島の道においても、人麻呂は燦然と 輝き続けることでしょう。日本民族の中に流れる「和歌」という民族の心の軸心に多数の核になる 大歌人を共有できることは、本当に幸せと言うべきでしょう。全く和歌に関係ないと思っている 人でも、時と場所と状況によっては、歌に共感を持ちうる場合もあることが、日本人たる証しなの です。
◆ 人麻呂歌集 ◆ 柿本人麻呂の歌は、「人麻呂歌集」からの歌を合わせると、万葉集には四百首 前後撰歌されており、勅撰集でも「拾遺集」に二百首ほど採られていて、八代集最後の「新古今集」で も二十首ほど採られていることから見ても、彼の歌がその後の時代の歌人に与えた影響は計り知れ ないものがあります。彼の評価は時代が下がるに従って高まり、歌壇での地位もだんだん高く登り 詰めて行き、ついには歌聖から歌道の神のように崇められるようになって行きました。従って伝説的な 歌人のため、まさしく本人の作でない歌まで人麻呂の歌となって伝承されてきた可能性があります。 例えば拾遺和歌集の場合、巻一・春から巻二十・哀傷まで各巻に人麻呂の歌が百七首ほど入っており、 特に巻十一から十五の恋歌に多く撰歌されていて、明らかに人麻呂の名前が出ている歌でも、出典の 万葉集に遡ってますと、「読人不知」の歌であることが多いのです。仏教で言うならば、最澄や空海が 「御大師様」としていろいろの点で後世の人から崇拝されているのと同じ様なことです。誰が始めた か解らないがみんなの為になることであれば、「ああ、あれはお大師様がなされたこと、御大師様の お陰ですよ」などと、親から子へ、子から孫へと伝承されてきたようなものです。
◆ 夜 ◆ 人麻呂の歌でもう一語注目しなければならないのは、「夜」の言葉です。
百人一首で夜を詠んでいる歌は十二首有りますが、夜が更けていく状況を詠ったものは三首
(六、五九、九四番歌)で、長い夜を物思いに沈む内容の歌は三首(三、八五、九一番歌)です。
特に「独りかも寝む」という第五句まで似通っている歌は、九一番歌「きりぎりす」(藤原良経)
の歌になります。万葉集の時代から「独りかも寝む」とは、夜を共にすべき女性が居なくて一人
寂しく寝ざるを得ないと言う侘びしさを詠っていることになるわけですが、それ以上に灯りの十分で
ない夜という時間に対して、人はほどんど為すすべを知らぬ状況に於かれていたことを思えば、
「逢う仕事」がなければ、本当につまらない無益な人生の半分の時間と考えていたかも知れません。
平成現代では、昼に生きる人種と夜に生きる人種がいるくらいですし、現に夜働かなければ
ならない職業もあるわけです。社会活動も地域的には地球規模で考えねばならなくなり、時間的には
昼も夜も区別がつかなくなりつつあります。
平成六年九月には四六時中飛行機が飛び立ったり、舞い降りたりする国際飛行場が、難波の沖合に
出来て、さらには街全体が二十四時間どこかで誰かが働いているという社会になりました。平成
現代人には、「長々しき夜」など生涯の中でどれだけあるのでしょうか。社会のスピードがどんどん
上がるにつれて、人は一生を追い立てられて昔の人のように時間の長さにうんざりするどころか、
時間不足のまま生涯を終えるようになってきました。正に次の人麻呂や伊勢の替え歌のようです。
「難波潟 短かき葦の 節の間も 憩はで憂き世 過し果てなん」
「夏野行く 牡鹿の角の 束の間も 現の憂さの 無き夜もがもな」
*** 言葉の世界への散歩 ***
◆ 枕 詞 ◆ 人麻呂の歌の才能には超人的なものさえ感じます。彼の繰り出す枕詞・序詞・
対句・繰り返し等の技法は永代に伝え得うるだけの優れた言葉の音楽になっているのです。
百人一首に採られた歌もその典型で、上句が全句枕詞と序詞になっていて、下二句が本来の歌の
内容になっています。しかしながら、上句がお飾り物というわけではなしに、下句で言いたい内容に
よく背景設定している妙があるところが大歌人の歌と言われる由縁です。「長い夜を独りで寝る」と
言うだけの内容に、枕詞の「あしひきの」を「山鳥」の頭に据えて、山鳥の「尾」を引き出し、
さらに「尾」を「長々し」に繋いでいくという高度な技法を駆使しているのです。
◆ 序 詞 ◆ 百人一首の中で序詞を用いた歌は、十六首有りますが、上句が序詞になっている 歌には次の通り歌です。
「名にし負はば逢坂山のさねかづら・・・・」(二五番歌)
「みかの原湧きてながるる泉川・・・・・・」(二七番歌)
「有馬山猪名の笹原風吹けば・・・・・・・」(五八番歌)
「瀬をはやみ岩にせかるる滝川の・・・・・」(七七番歌)
などですが、更にそれらの序詞多用歌群の中でも、枕詞を積み重ねている歌は人麻呂の歌だけです。
更に細かく序詞の中の用語に注目しますと、「の」の字を繰り返し使うことによって歌のリズムを
取っていることがわかります。何と各名詞を「の」付けにしていて、「あしひきの、山鳥の、尾の、
しだり尾の、」のようになっています。このような序詞の中でリズムも考慮しているのは、人麻呂の
歌だけです。
ここで少々「の」の字の遊びを挿入してみたいと思います。「の」の字固めの歌一首。
「あしひきの 山鳥の尾の しだり尾の 長々しき夜の 独りみの月」
「あしひきの 山の紅葉の 木の下の 長き牡鹿の 弓なりの角」
更に「の」の字病に侵されますと、次のようになります。
「野の萩の 葉末の露の 白玉の 野分に揺れる 秋の夕暮れ」
平成六年十月一日
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