平成社会の人々の動き



第 8 話  「大阪町中の企業博物館」


目   次

<企業博物館の一例>
<企業博物館とそのあり方>
<未来の企業博物館>
(企業名に関する一口メモ)


<企業博物館の一例>
 21世紀に入った現在、町中にはいろいろな「企業博物館」が、いたるところに設立されています。
 かっての公的な博物館と違って「企業博物館」の方は、特有の気軽さと親しみやすさを持っています。

 ここでは、大阪市内にあってJR大阪駅から15分から30分で行ける「企業博物館」7館を
下記の一覧表に示します。
 これらの博物館では、展示対象物をある事柄に絞っており、一覧表ではそれをテーマ欄で示して
います。
テーマ館  名企業団体名場  所ホームページ
ホッチキスイトーキ資料館株式会社イトーキ中央区平野町2−4−12
平二ビル二階
http://www/itoki/co/jp/
Showrooms/shiryo/shiryokan-menu.html
お米お米ギャラリー心斎橋JA全中中央区西心斎橋1−5−5
千代田生命御堂筋ビル一階
http://www/zenchu-ja.org/JAnewHP/
ja-zenchu/data-syu/okome/06/633.html
くすりくすりの道修町資料館道修町資料保存会中央区道修町2−1−8
少彦名神社内ビル三・四階
http://kusuri-doshomachi.gr.jp
クレヨンサクラアートミュージアム株式会社サクラクレパス中央区森ノ宮中央1−6−20 http://www.pcworks.co.jp/
pcw/com/topics/10.html
デパート高島屋史料館株式会社高島屋浪速区日本橋3−5−25
高島屋東別館
http://www.takashimaya.co.jp
ペンキ歴史館日本ペイント北区大淀北2−1−2 http://www.nipponpaint.co.jp/
はりはりきゅうミュージアム森ノ宮医療学園専門学校東成区中本4−1−8 http://www.morinomiya.ac.jp
 これら7商品に共通していることは何かと言いますと、庶民の日常生活に直結した物ばかりである ことが分かります。それだけに一般市民が親しみを感じて、ちょっと気軽に訪問してみようという 気になる物ばかりです。  「町中博物館」の代表的展示物或いは、設置環境を紹介しておきます。
明治時代の店の様子とホッチキス国産1号機(同館資料より)

若者の街「周防町」筋角の交差点と展示パンフレット例

史料館のビルとその路地裏にある少彦名神社境内

JR森ノ宮駅南にあるサクラアートミュージアムビル

薬研等の漢方道具例と江戸時代の鍼具(同館資料より)

同館の入口と戦前の広告ポスター例(同館資料より)

登録商標と展示コーナー(同館資料より)
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<企業博物館とそのあり方>
 昭和50年代以前では考えられなかった事の一つに、一般企業がそれぞれの博物館を造り、企業
イメージを更新、或いは一新しようという風潮です。
 
 現在日本国内に「博物館」と名の付く施設が何千とあることは、前回の迷想録集「博物館学民」で
見たところです。そのなかでも一般企業の「企業博物館」もかなりの数になることが統計で出ています。
 これは、各企業が戦後のどさくさの状態から脱して、漸く自らの足元を見る余裕が出てきたことに
加えて、一般的に、現在かなりの規模の企業にまで成長している企業、特にその産業分野、商品分野で、
リーディングカンパニーといわれる所は、早かれ遅かれ、それぞれの記念すべき区切りの年代を
重ねていることに気づいてきたのです。
 
 「50周年記念」ならば、何万社とある日本の企業の大半が戦後に誕生したことを考えると当然と
言えます。さらには「百周年記念」を迎える企業が続々出てきています。これらの企業は、明治の
中頃に誕生したことになります。
 なかには、百年をゆうに越して、「二百年」「四百年」という節目を迎えている旧財閥系企業も
あるようです。

 このような節目の時こそ、それぞれの企業が一段の飛躍、新たな展開を計りたいところですから、
それぞれに記念事業を企画するのですが、必ずと言っていいほど、過去を振り返る気持ちは分かります。
 すなわち「企業歴史館」「企業博物館」の誕生がそれです。

 博物館関係の統計資料(加藤有次・椎名仙卓著「博物館ハンドブック」雄山閣出版(1992年
2月))に依りますと、今から50年前(1952年)には、企業博物館は、30館しかありません
でした。
 (註)最初の企業博物館は、1950年(昭和25年)旧王子製紙株式会社紙業資料室を
    「製紙記念館」として、設立したことにはじまるようです。
    現在は、財団法人運営の「紙の博物館」となっている。


それが、1960年代の企業公害が大きな社会問題になり、1970年代の終わりには、
4倍の126館になり、さらに10年後の1980年代後半には、その倍の285館に達しました。

 「企業博物館」の設立の目的は、次のように 芸術文化面の強調、企業戦略の一環、商品宣伝の流用、
企業利益の社会還元など様々です。

 1.創立記念事業・・・・・・・・企業独自展示
 2.個人収集物の保管・・・・・・美術館的 
 3.創業者顕彰・・・・・・・・・企業独自展示
 4.創業発祥地記念・・・・・・・企業独自展示
 5.建造物文化遺産・・・・・・・資料館的 
 6.製造技術保管・・・・・・・・企業独自展示
 7.社史資料展示・・・・・・・・資料館的
 8.社会教育的施設・・・・・・・イベントホール的
 9.観光地での観光事業・・・・・施設利用

 現在では、いずれの企業でも、何らかの「企業博物館」的な施設を社内に持つようになりました。
 公開されていないものが大半でしょうが、上記の1,3,4,6項の目的の沿ったものです。
 しかし、いずれの「企業博物館」「企業資料室」などは、明日からの、来る未来の、あるいは
次世代での企業としての発展を目指すものであることは共通しています。
 殊に21世紀初頭現在、企業活動が低迷し、倒産が続出しているだけに、その現状を早期に
打破したい祈願が高まっている時期でもあるのです。

 
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<未来の企業博物館>
  昭和40年代後半から昭和50年代にかけて、その数を増した「企業博物館」は、その初期的な
設置目的に叶った施設群建設の機運は、ほぼ落ち着きました。もはやあらゆる分野に「企業博物館」の
数が増えてゆくことはないでしょう。
 その背景には企業活動環境が平成時代に入ってどんどん変化してきており、もはや単なる自己満足的
「企業博物館」を造って「事おわれり」の時代ではなくなってきています。

 企業の昔を振り返り、企業の初心に戻り、企業の本来の目的などを「企業博物館」の情報により
再認識しつつも、一方でそれのみに頼ったような視野の狭い企業活動では新たな展開が出来ません。
変転してゆく市場動向に対応してゆくためには、博物館以外の企業情報発信を考える必要があります。
 「企業博物館」も確かに身近にお客さんを引きつける一つの手段であることは確かですが、その
静的な企業情報発信では、動きの激しい市場動向についていけません。

 最近では、パソコンのインターネット情報による市場把握の方が重要に成りつつあるのではないで
しょうか。すなわち、各企業のホームページ公開は、必須の物になっています。
 この情報の授受方法に依りますと、お客の購買行動は、必要の都度、販売店なり、スーパーマーケット
なり、デパートなどに行かなくてもよくなります。すなわち購買に必要な商品知識は、インターネット
で充分得られますし、また買い付けも一部では、可能になっています。

 言ってみれば、「企業ホームページ」が「企業博物館」にかわる客先引きつけの手段に成りつつ
あります。これからの「企業博物館」に求められる物は、訪問することによって、何かが実感できる、
何かが創出される類の施設や建造物であることが期待されるのではないでしょうか。
 単に見て、楽しむ、あるいは関係情報を入手するだけでは、もはや、「情報の発信量」が少ないと
見なされましょう。そのため、総花的な展示企画や展示物は、もはや求められておらず、ある特定の
項目や特定の事象についてのみの情報提供で充分でしょう。
 差別化、特殊化、専門分野別の傾向がますます強くなってくるように思います。

 社会が豊になり、情報が溢れかえることは、良いことでしょうが、その環境下で、商売を展開して
いくのは、大変な努力と工夫が求められることになります。
 競争の原理は、これからもどの分野でも基本原理であることには、変わりないでしょうから、
「企業博物館」一つをとってみても、如何に効率よく運営して行くか、大変頭の痛い話しになります。

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(企業名に関する一口メモ)
 上述の企業博物館の中で、「サクラアートミュージアム」に関係して、日本の企業名について、
典型的な名前を追ってみました。

 外国人から見て、日本を代表する言語「さくら」「ふじ」「げいしゃ」と言い古されてきました。
 明治維新以降、当時のいわゆる「エンタプレノー」たる企業家達は、その思想をどこに立脚して、
どこを目指して、船出したのでしょうか。
 それをさぐる一つのヒントは、彼らが付けた企業名にあるでしょう。

 「さくらクレヨン」さんも、その典型と言えましょう。
 「さくら」の名称を用いた企業名の中に籠められた企業概念は、桜のように「みんなに
愛でられて、華やかで、美しい会社」のイメージを与えたい、ということでしょう。
 
 最近の企業名で、一つの転換期を迎えたのが、昭和50年代に於ける企業名の一新でしょう。

 (その1)「○○株式会社」を「(株)△△」にする、いわゆる「前(株)」方式にする。
      これは、少し新しさを感じる、やや軽快な印象を与える、と言った効果を狙っている
      のでしょう。もっとも本体の「○○」の内容によりますが。

 (その2)正式な企業名の書き方の変更
      戦前、日本にあっては横書きは、各種書式の中である程度限られた使われ方をして
      いました。
      最近では、横書き、且つ左から右に詠む(かっては、日本での横書きは右から左へ)
      方式が一般で、一般書籍物、新聞広告、企業看板や広告など、すべてについて言えます。

 (その3)これまで、明治以来護ってきた先輩が付けた企業名では、どうも時代の風潮に
      馴染まない何か古くさい印象を与えると見たのでしょう。
      漢字主体の名前からカタカナ、ひらかな、ローマ字、英語、さらには、英文字の
      頭文字だけの企業名に変換しました。
      そこまで行くと、何の会社か分からない名前にまで変身してしまいました。
      少し、行き過ぎの嫌いなきにしもあらずです。

 上記の風潮の基になっている企業活動の背景として、企業間の「吸収」「合併」「解散」「倒産」、
一方では新規事業の立ち上げ、すなわち、特に新しい技術分野に於ける「ベンチャー・ビジネス」の
勃興があります。

 既存の産業分野の製造品、商品には属さない新商売の創出です。これらは、具体的な「物つくり」の
分野ではない「正しく紙と鉛筆」での商売、現代的に言えば、「パソコン一台」での商売です。
 一時期「ペーパー・カンパニー」といわれました。今は、「ペーパー」さえ見えない「知的所有物」
「知的財産」を商売の対象にするわけです。

 こうなりますと、企業の名前も「ファジー」にならざるを得ないのです。
 商品名を会社の名前にしますと、企業秘密が、公然となってしまうと言うことでもあるのです。
 敢えて言うならば、「□□プロダクション」と言っておくのがせいぜいと言うことでしょう。

 今から約20年前、日本の各企業は、名前を変えることによって、帰属構成員全員の意識改革を計り、
企業の新たなエネルギー源にしようとしたのです。
 しかし、一度に名前を変えたからといって、中身までいっぺんに変身する事は不可能です。それと
企業を引っ張っていく先導者の意識レベルにまで、各企業構成員が自覚できるかです。
 21世紀に入ってその目指すところは、少しずつ成果が出てきて、企業を通じて人間社会に如何に
貢献できるかという、本来あるべき企業の基本にどの程度戻れるか、を期待したいところです。

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平成14年9月3日   ***  奈華仁志  ***


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