平成社会の人々の動き
第 7 話 「平成の博物館学民」
<東大寺1250年展>
梅雨も真っ直中で蒸し暑い7月の始め、1250年の歴史を展覧する「東大寺展」を覗いてきました。
奈良国立博物館に於ける展覧会「東大寺のすべて」の概要は、参考メモ
(第81回敷島随想)の通りです。

(左)明治以来の旧国立奈良博物館(右)新館と「東大寺展」を訪れた「博物館学民」
梅雨期とはいえ、多くの人々が、あとからあとから、押しかけて国宝類の見学に入って行きました。
典型的な日本における「展覧会」あるいは「博覧会」風景です。いつもの風景とは言いながら、
こういった「博物館学民」の状況の裏を返せば、次のようなことが云えるのではないでしょうか。
もっとも、以下の数点は、「博物館学民」(当然筆者自身も含む)と言う造語に対する筆者の
(完全に独断と偏見の)一評価に過ぎないかも知れませんが。
1.日本人は、普段から、気軽に博物館や美術館に足繁く通う習慣がない。
(博物館、美術館に各人が何を求めているか、はっきりしていない事による。)
何か特別の企画や、催し物、或いは客寄せの出し物がない限り、常設展のみでは、
博物館や美術館には行かない。
(市民に興味を引かせるように情報提供側の工夫がないとも云える。
明治以来博物館や美術館は、「みせてあげる」であって「見ていただく市民サービス」的
観念はなかった。)
美術を鑑賞する、審美眼を養うといった目的はほとんどない。
(参考統計データ)(出典;新井重三「エコミュージアム入門」牧野出版(1995年3月)
平成8年10月現在の館数 4329
文部省登録館数 968 入館者数年間 約12400万人
その他館数 3361 入館者数年間 約16200万人
入館者数合計 約28600万人
(総人口1。25憶人として、年間一人 2.3回)
2.団体で展示会場に入り、束になって、会場内を移動し、行動する。
みんなが行くから、行く。マスコミその他で、押しつけ的情報を聞かされて、
自分なりの目的もはっきりしないまま、鑑賞することになる。
(一人で鑑賞に行くほど、いまだ文化国民ではないか?)
3.時間を区切って鑑賞する。一日かけて巡覧することはない。
(団体旅行や観光の一環として、組み込まれた美術或いは博物鑑賞に過ぎない。)
4.美術鑑賞、博物観覧も大道芸の見せ物によって集る見物と同じ見方をする。
(とにかく見れば終わり、じっくり眺めて、自分は何を感じるか、作品の意図は
どこにあるか、何を訴えたいのか、などの詮索はしない。
他人の鑑賞の邪魔をしないと言う配慮にかける。
公衆での行動様式、公徳心その他、明治以来130年経っても、未だ一般国民、
市民の身に付いていない。むしろ、戦後のどさくさで、本来の日本人的謙虚さが
どこかへ行ってしまったか?)
5.静かに見ない。喫茶店で談話しているに同じ。
(音楽会で、ひそひそ話に興じているに等しい。これらは、多分に、歌舞伎見物で弁当を
開けながら見る、飲み物を飲みながら芝居見物、スポーツ観戦をする、などの
日本人本来の観覧、鑑賞習慣から来ている挙動でしょう。)
(「手を触れるな」「写真撮影禁止」などの警告が、いずれの展示会あるいは会場で大きく
示されていても、守らない人、隠れて警告を無視した挙動にでる人間がいる。
遺物鑑賞より人物記念写真が優先するのです。
最近では、携帯電話を持ち込んで作動させている人間まででてきている。)
などなど、細かいことまで、うるさく挙げるときりがありません。鑑賞するのは、自分だから
どう見ようと放っておいてくれと言いたいところでしょう。
「東大寺のすべて」の鑑賞のあと、日を経ずして、今度は、奈良から、「京都国立近代美術館」で
「カンディンスキー展」なる絵画の鑑賞を行いました。

(左)カンディンスキー展のポスター(右)入場券
奈良国立博物館で体験した同様の状況が観察でき、同様の事態に遭遇しました。
この絵画展は、典型的な抽象画の世界なのですが、いずれもが、いっぱしの美術評論家のような
審美感(審美眼ではありません)を持った様子で観覧(鑑賞ではありません)していました。
この会場も人々で満員でした。特に女性と若い年齢層の人々が多かったように思います。
遊園地で乗り物に乗るのと同じ様な雰囲気の「博物館学民」が群を成していました。
目次に戻る
<日本の博物館とそのあり方>
日本人にとって、「博物館」とか「美術展」とは、一体何なのでしょうか。改めて、博物館のあり方
各人の考え方を振り返らざるを得ません。
日本に「博物館」(美術館などを含む)なるものが登場したのは、明治4年(1871)内務省に
博物局が設置され、明治6年に予定されたウィーン万国博覧会用事物の収集を始めた事によると
されています。(参考資料:水藤真「博物館を考える」山川出版社(1998年10月))
この準備事業が後に東京国立博物館や国立科学博物館になっていったという歴史です。
明治維新以前に博物館的な役目の場所や行事があったかと言えば、「必要なかった日本人」で
あったのです。身分制度社会には、ステータスシンボルや自己顕示欲としての見せ物を誇示する必要が
なかったとする推論があります。
しかし、一般公開はしないが、聖武天皇の正倉院、寺院の秘仏ご開帳などは、博物館的行動と
言えるでしょう。
明治維新から現在まで、博物館は4時期ほどの時代的変遷を経て、現在では全国で博物館と名の
付くもので、法的に確認できる建造物は、3700館以上の多さになっています。
法律的な制度の整備は、昭和26年(1951)博物館法制定、世界的には昭和49年(1974)
国際博物館会議とされていますから、体制が整ってまだ、半世紀50年しか経っていないのです。
国立博物館は、現在4館(東京、京都、奈良、吹田ー歴史民族博物館)で、それ以外は、すべて
地方自治体(都道府県市町村)や個人の各種私立博物館が、競ってある意味では、自治体の場合は
体裁をとるため、あるいは、文化面の地域向上の目的より必要の多い少ないに係わらず、設置されて
きた感がなきにしもあらずです。

独立行政法人国立美術館・京都国立近代美術館の外観
国立の博物館も、世界的に有名で250年以上の長い歴史があり、規模が巨大なイギリスの
「大英博物館」(1753年設立)、フランスの「ルーブル美術館」(1803年)、アメリカの
「スミソニアン・インスティテュート」(1838年)、「メトロポリタン美術館」(1880年)、
ロシアの「エルミタージュ美術館」(1762年)などに比べると、その建物の規模や展示物の内容と
展示量では、全く歯が立ちません。
今更、これらの世界的博物館や美術館を目指してもしょうがないわけですから、「21世紀の」また
「日本に相応しい」美術館なり博物館を再検討することになります。
その為には博物館は何のためにあるのか、何を成すべきか、何が出来るか、新世紀に求められる
博物館を模索せねばなりません。
元々博物館は、「物を収集し、保管し、調査・研究し、展示し、教育・普及活動を行う」のが目的
であると意味付けされています。
この定義に従って明治以来の日本の博物館や美術館の実態を観察するとき、併せて、ここでいう
「博物館学民」(博物館が提供する各種の情報のー教育・普及ーの対象となっている一般市民)の
行動を観察するとき、一応定義にかなっているように思います。
しかし、個々の博物館及びその内容を見るとき、次の諸点で、理想的な機構あるいはシステムとは
言い難いことにも気がつきます。
1.いずれの博物館も同じ様な規模で、同じ様な展示内容であること。
目的を持って見学に行くほどでない。
(目的的博物館にすることでどうか。誰もが知りたいと思う最新の情報をわかりやすく、
提供することが出来れば、有効活用される機会が多くなるのでは、と考えられる一方で、
パソコンによるインタネット情報社会では、わざわざ博物館に行かなくとも、より早く、
より詳しく、より多くの情報が得られる時代になっている。)
2.博物館同志の連絡がなく、個々バラバラになっている。
(目的を分担して、個々に特徴をだしてはどうか。国公私立別に、目的や分野を分担して
専業化し、効率的にネットワーク連絡網を造って、情報化社会の各種手段を使って提供する。)
3.館内の展示がパネルや、図書類の資料展示では、物足らない。
単に、本や映像の世界(パソコンの情報を含む)では、得られない実態展示、本物展示がないと
博物館の価値がない。
(何か一点でも世界に一つしかない物というような実物、実態展示で、その館の目玉にする物が
ないと博物館の魅力がない。)
3.市民の自主的運営の博物館がない。(展示する内容を市民が企画する)
市民の、市民による、市民のための博物館が提言されている。
(出典:参考資料:水藤真「博物館を考える」山川出版社(1998年10月)
市民自身が、博物館の関係者になり、企画し、対象物を収集し、保管し、調査・研究し、
展示し、教育・普及活動をすると言うこと。
4.自由に出入りできる公的環境つくりになっていない。
(入館したいときに限って、休館になっている。本来、市内の公園と同じ、何時でも誰でも
自由に出入りできるべき。ただし、入館管理は十分行う必要あり。昼寝に来た人は、すぐ
公園の方へ出ていってもらう。)
目次に戻る
<未来の博物館>
明治初期導入された西欧式博物館概念を基に、21世紀の日本人に適した博物館システムに
仕上げるにはどうすべきなのでしょうか。
1.これまでは、国を始めとする行政指導者側からの一方的なシステム提示であったために
一般国民、住民の意向を考慮していないものが多々あったのではないでしょうか。
本来利用し活用すべき側が主導権を握った形で博物館構想を練り直しすべきでしょう。
「博物館」に何を求めるか、と言う考えの答えは、求める側の求める内容を再確認すべきです。
(極論の例として、自分の地域社会では、博物館に割ける財政的余裕がないならば、
あっさり割り切ってやめるべきです。
見る側が主体になって運営していく方式も考えるべきでしょう。
2.「触るな」「写真撮影するな」では、折角実物ないしは実物の一部、模型などを展示して
いながら「痒いところに手が届かないもどかしさ」がなきにしもあらずです。
実物展示でない紙面情報とすれば、現在では、多くの出版物が出回っていますから、
わざわざ博物館に出向かなくとも、パソコンのインタネット情報でも十分な情報が得られます。
単行本の例を取りますと、博物館以上にさらに充実した情報が図書館で得られます。
(例)「ビジュアル博物館」(同朋舎出版)なるものは、事項別に何十冊とシリーズもので
出版しています。
「手に取ってみて下さい」「好きなように写生、スケッチ、写真にとって下さい」でなくては、
博物館にゆく気にもなりませんし、興味が湧きません。
このシステムは、米国に於いて「ハンズオンシステム」(Handsーon System)と
称して、実現されつつあります。
(例)「楽器博物館」があったとします。
ある楽器の初期の形から現在までの歴史変遷を展示しているとします。
眺めるだけでは、どのような特徴があるかも分かりません。実際に手にして、
演奏しなければ意味がありませんし、理解できません。
手で触れて、音を出して、音を体験し、さらに言うならば制作してみる、ところまで
博物館教育指導が出来れば、目的が達成できます。
3.日本人のための日本文化の理解を助ける目的の博物館ですから、外国文化の真似事をしても
効果がありません。
(これまでの博物館展示は、ほとんどがコンクリート建物内にガラスケースの中に対象物を
置いて、暗い照明の中、狭いところに人が群がってみるだけで、木造の畳の上で座って、
鑑賞する博物館の例を残念ながら知りません。)
4.住民と共にある博物館として、住民が楽しめて且つ積極的に関われる「魅力ある博物館」で
なければなりません。その為には、客寄せのいろいろな工夫と仕掛けが必要でしょう。
現状でもいろいろな講演、講座、シンポジウムなどを進めているところもあります。
さらに推し進めて、最近流行ってきた「テーマパーク的」企画があっても良いのでは
ないでしょうか。
(例)最も日本人向きの「日本文化を助ける目的の博物館」(上記3.項の例の相当)にして、
「テーマパーク的」(4.項の例に相当)なものは、京都国立近代美術館と
京都市立美術館の前にある「平安神宮」です。

(左)国立近代美術館より眺めた京都市立美術館(右)平安神宮正門(承明門、建礼門、朱雀門を兼ねたもの)
これは、平安遷都1100年を記念して19世紀京都人が20世紀新世代に
申し贈った歴史博物館の一種と見ていいわけです。
これであれば、日本人は年中訪問することが出きる博物館になります。
明治人間は、決して「西洋かぶれ」ではなかったのです。
現代以上に「博物館」の概念を理解し、「博物館学民」的行動をしていたと思いませんか。
いろいろ考えて工夫してみましても、住民がいっこうに振り向かなければ、必要に感じていない
訳で、その時は、あまり住民に無理強いするほどのことでないかも知れません。
博物館1館が建ったからと言ってすぐに地域の文化レベルが向上するわけではなし、たとえ
向上しても到達目標レベルがあるわけではありませんから、法律を遵守するように口うるさく、
やきもきすべきものでもないことは、事前によく心得て置かねばなりません。
目次に戻る
平成14年7月15日 *** 奈華仁志 ***
ご感想は、E-mail先まで、お寄せ下さい。
なばなひとし迷想録目次ページ
に戻る。
磯城島綜芸堂目次ページ
に戻る。