敷 島 随 想
(百人一首歌人旅)
「連 載」 第 97 回 *** 第9番(その1)***
***** 小野小町ー六歌仙 *****
目 次
<伝承の所々>
<小町物>
<小町像と時代の美人感>
百人一首・第9番 はなのいろはうつりにけりないたづらにわがみよぬふるながめせしまに
<伝承の所々>
第89回から96回まで8回に渉って「古今和歌集」に言うところの「六歌仙」男性代表在原業平
朝臣縁りの地を巡ってきました。その六歌仙・業平に対応する人物は、勿論女性代表にして且つ日本
美人女性代表ともいうべき小野小町ということになりましょう。


(出典:角倉素庵・歌仙絵「小野小町」)
小町生誕或いは終焉縁りの地は、業平朝臣以上に全国各地に散在していることがこの分野の専門書で
採りあげられています。
(小町伝承の研究資料の一例)
(その1)「小野小町研究の動向」至文堂「解釈と鑑賞」(平成7年5月)
(その2)錦 仁「浮遊する小野小町」笠間書院(2001年5月)
(その3)山嵜泰正「小町の謎」ふたば書房(平成14年4月)
参考資料(その3)に依りますと、主な縁の地として、次の数地点が挙げられています。
| 旧跡名 | 旧跡場所 | 小町関連事項 |
| 随心院門跡 | 京都市山科区小野 | 「卒塔婆座像」「化粧井戸」「文塚」など
謡曲「通小町」、栢の大木、「文張地蔵尊」 |
| 欽浄寺 | 京都市伏見区深草 | 深草少将義宣邸宅跡 |
| 補陀洛寺 | 京都市左京区静市 | 小町・深草少将供養塔、小町老衰像 |
| 妙性寺 | 京都府大宮町 | 小町座像、位牌、小町墓など |
その他、小町石墓(京都府綴喜郡井手町)、歌かけ薬師(京都府福知山市寺町久昌寺)ほか、各所に
関連地があります。
特に丹後大宮町は、町おこし運動の一環として、地元の小町伝説を大切にして、2001年10月
「小野小町サミット」を開催し、全国小町縁りの地と交流する有志の活動がありました。
それによりますと、全国102市町村から260余りの伝承が寄せられたというのです。集約された
結果、小町伝承のない道府県を数えた方が早いほどで、次の表のようになっているそうです。
| 関連事項 | 地域数 | 関連事項 | 地域数 | 関連事項 | 地域数 |
| 寺社 | 124 | 小町死亡地 | 23 | 深草少将 | 8 |
| 行脚修行地 | 124 | 小町像 | 18 | 小町開基寺 | 3 |
| 水と祈り | 68 | 雨乞い伝承 | 16 | 小町位牌 | 2 |
| 小野一族 | 40 | 小町誕生地 | 14 | 合計 | 440 |
小町に関連した事跡で、寺社数が124個所というのは少々少ない。むしろ、ほぼ同時代の
菅原道真の天神さんである天満宮の全国に存在する数からすると、誠に少ない数になります。もっとも
祭祀する意味合いがご両人では全く異なりますから、一律には比較できないのは当然です。
以上の小町縁りの各地のなかより主として畿内及びその周辺の所々を探索してみました。
(その1)京都市近郊として、随心院、補陀洛寺、井手町石碑など
・・・・・(第98回)
(その2)小野小町の里としての京都府大宮町における「小野小町サミット」活動状況
・・・・・(第99回)
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<小町物>
御伽草子の「小町草紙」は、中世末期に於ける小町伝説を集約したものですが、物語を語り歩く
遊芸人の行動が多分に関係してこのように多くの伝説が各地に残されているようです。
伝承された小町は、謡曲の世界で、六小町(「草子洗い小町」「通い小町」「卒塔婆小町」
「関寺小町」「おうむ小町」「雨乞い小町」「清水小町」)と多彩であり、能の小町は美人像と
衰えた老女像(「玉造小町子壮衰書」)に多様化しています。


(左)「草紙洗小町」、(右)「通小町」


(左)「卒塔婆小町」、(右)「関寺小町」
伝承が伝承を生み、益々小町世界が庶民の間に拡大して行くほど人々の想像の世界に生き続ける
要素を持った女性であったのです。
一説に小町は弘仁12年(821)頃生まれたと推測されています。六歌仙の仲間である業平朝臣は、
天長二年(825)生まれですから、両人はほぼ同時代人ということが出来ましょう。出生地も確定
したものではありませんが、出羽国郡司小野良実女(一説に小野良真で小野篁の子)で、篁の孫である
小野美材(よしき)、好古(よしふる)らの従妹というのが通説です。
したがって現在で言うところの「秋田美人」の濫觴となります。
没年は、貞観14年(872)頃50歳前後まで存命したのでは、と推定されています。
(片桐洋一「日本の作家・天才作家の虚像と実像・在原業平と小野小町」新典社(1991年5月))
小町なる人物の実像は、古今和歌集に出てくる歌人で仁明天皇の更衣である「三国の町」(夏・152)
あるいは文徳天皇更衣「三条の町」(雑・930)と同じ仁明天皇期宮中局町の釆女の更衣仲間では
ないかとされています。
ちなみに続日本後紀に承和九年正六位上を授与されたとされる小野吉子と推論する学者も居られます。
(桜井氏、角田氏の推論)
紀貫之が六歌仙の一人として「あはれなるようにて強からず、いはばよき女の悩めるところあるに
似たり」の評を与えた「古今和歌集」に小町自身は、18首採歌されているとともに、併せて小町姉
(790番歌)(後撰集616番歌、895番歌)や小町孫(後撰集1267番歌)の名まで出て
きます。
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<小町像と時代の美人感>
日本美人の代表小野小町は、如何なる美貌の持ち主であったか、何時の時代にも当時の人々、特に
男性側は期待した物であろうと思われます。
如何なる画像として残されてきたか、時代別にその描かれた理想像を追うことによって、時代の
美人感を憶測することができましょう。ここでは、次の数枚の美人画を追ってみました。
(出典1:別冊太陽「日本の心百人一首」NO.1 Winter’72
平凡社(1972年12月))
(出典2:「百人一首」学習研究社(1996年11月))
<写真1>俊成本歌仙絵(小町)(百人一首絵として最も古いとされている)
<写真2>光琳かるた(尾形光琳・江戸初期の画家(1658〜1716)
<写真3>探幽「百人一首画帖」・野探幽(1602〜1674)江戸初期の画家
<写真4>勝川春草(1726〜1792)(江戸中期の画家)「錦百人一首あづま織」


俊成本歌仙絵とその顔の部分の拡大


光琳かるたとその顔の部分の拡大


「百人一首画帖」とその顔の部分の拡大


「錦百人一首あづま織」とその顔の部分の拡大
現代人による小町の肖像は、京都の「時代祭」に見ることが出来ましょう。
数年前の行列用の小町の衣裳が新調されました。(産経新聞・平成11年10月13日の記事より)

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平成14年11月22日・磯城島綜芸堂・主筆 謹言
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