敷 島 随 想

(百人一首歌人旅)



「連 載」 第 95 回  *** 第17番(その7)***
*****  在原業平朝臣ー「伊勢物語」巡り  *****

目    次
<伊勢物語一巡> <筒井筒> <高安の里>

百人一首・第17番 ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれないに水くくるとは


<伊勢物語一巡>

 「在原業平物語」とも言うべき「伊勢物語」における業平の足跡の地を拾ってみましょう。
 「伊勢物語」の各段別で言及されている土地や場所は次のようになっています。
段数地名(原文)関係場所引用情報
平城の京、春日の里奈良市内、不退寺など在原業平朝臣(その2)
西の京京都市内、右京
4,5ひむがしの五條京都市内、左京
芥川といふ川大阪府高槻市内(写真1参照)
伊勢、尾張のあはひの海づら愛知県西部
信濃の国、浅間の嶽信濃・浅間山
9,10三河の国、八橋
駿河の国、宇津の山、富士の山
武蔵の国、下総の国、角田河
愛知県知立市東方
静岡市宇津ノ谷
東京都内・隅田川
ホームページ1参照
ホームページ2参照
10武蔵の国、入間の郡みしまの里埼玉県坂戸市横沼
12,13武蔵野、武蔵なる男埼玉県、東京都、神奈川県
14,15みちの国(陸奥の国)
栗原のあねはの松の人
東北地方
宮城県栗原郡
20大和にある女奈良県
23田舎わたらひしける
河内の国、高安の郡、生駒山
奈良県天理市内・在原神社
大阪府八尾市内
<筒井筒>参照
<高安の里>
33津の国、菟原の郡兵庫県芦屋市内在原業平朝臣(その4)
58長岡といふ所京都府長岡京市在原業平朝臣(その3)
59東山京都・東山
60宇佐の使い大分県・宇佐神宮
61筑紫(九州方面)
65御手洗川京都・下賀茂神社
66津の国にしる所、難波のかた大阪府・兵庫県
67和泉の国、河内の国、生駒山大阪府
68和泉の国、住吉の郡
住吉の里、住吉の浜
大阪市住吉区
69,70,71
72,75
伊勢の国、斎宮
尾張の国、大淀の渡り
三重県多気郡明和町
大淀町
在原業平朝臣(その6)
(写真2参照)
76大原やをしほの山京都・西山在原業平朝臣(その8)
77安祥寺、山科京都市山科区御陵平林町仁明天皇女御
藤原順子建立
78安祥寺、山科
紀の国、千里の浜
和歌山県日高郡南部
81加茂川の辺、六條の渡り
みちの国、塩釜といふ所
京都市左京区
宮城県松島湾
82山崎のあなた、水無瀬といふ所
交野の渚の家、天の河
大阪府島本町
大阪府枚方市渚元町
在原業平朝臣(その5)
83水無瀬
小野、比叡の山の麓
大阪府三島郡島本町
京都市左京区大原上野町
在原業平朝臣(その5)
84長岡といふ所京都府長岡京市在原業平朝臣(その3)
87津の国菟原の郡、芦屋の里
布引の滝
兵庫県芦屋市翠ヶ丘町
神戸市中央区布引町
在原業平朝臣(その4)
97九條の家京都市内九條
106竜田川の辺奈良県生駒郡在原業平朝臣(その1)
114芹川に行幸京都市伏見区鳥羽離宮近く
115,116みちの国、おきのいで都島東北地方
117住吉に行幸大阪市住吉区
120近江なる筑摩滋賀県坂田郡米原町
122山城の井手のたま水京都府綴喜郡井手町
123深草に住みける京都市伏見区

(写真1)西国街道沿いから眺めた芥川

(写真2)大淀の業平松(引用資料:産経新聞平成8年8月15日付け)

ホームページリスト

(その1)三河国八橋ーーーーhttp://www.kokugo.aichi-edu.ac.jp/taguchi/kyuuseki.html
(その2)駿河国宇津山ーーーhttp://www.asahi-net.or.jp/kw2y-uesg/frame_utunoya.htm
(その3)宇佐神宮ーーーーーhttp://www.oec-net.or.jp/~usa-city/
  以下では、23段に述べられている「筒井筒」と「高安の里」を訪ねてみます。
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<筒井筒>

 「伊勢物語」第23段には、おさな時、井筒のもとで振り分け髪を比べて遊んだ仲の男女が歌を
交わして、めでたく夫婦になれた話しを記しています。
 業平は実生活では、遠縁の紀有常の娘を妻に迎えたことになります。

 「むかし、田舎わたらひしける人の子ども、井のもとに出てあそびけるを、大人になりにければ、
  男も女も、はぢかはしてありけれど、男は、この女をこそ得めと思ふ。女は、この男をと思ひ
  つつ、親のあはすれどきかでなむありける。
  さてこの隣の男のもとよりかくなむ。

  筒井つの井筒にかけしまろがたけすぎにけらしな妹見ざるまに

  女、返し、

  くらべこしふりわけ髪も肩すぎぬ君ならずしてたれかあぐべき
  
  などいひいひて、つひに本意のごとくあひにけり。」

 これは、謡曲「井筒」にも謡われているところです。
 この話を根拠にした「在原神社」が天理市内の西名阪自動車道と国道169号線の交差点付近に
あります。


在原神社参道と本殿

在原神社境内の筒井筒と案内板

業平姿見の井戸
 在原神社周辺は歴史的にもかなり古い地区で、同神社の西名阪自動車道北側にある「和爾下神社」には、
柿本人麻呂の歌碑もあります。業平の時代よりもさらに150年以前に歌の世界も展開された所と
いうことになりましょう。
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<高安の里>

 「伊勢物語」第23段の話しは、次のように続きます。

 「・・・さて年ごろ経ふほどに、・・・・河内の国高安の郡にいき通ふ所いできにけり。・・・
  まれまれかの高安に来てみれば、はじめこそ心にくくもつくりけれ、いまはうちとけて、てづから
  飯匙として、笥子のうつはものにもりけるを見て、心うがりていかずなりにけり。・・・」

 この高安の里に今も、業平縁りの場所が残されています。

高安の里周辺(玉祖神社と千手寺)
 「伊勢物語」第23段の高安の里に最も近い縁りの地は、八尾市神立地区(「玉祖神社」のある
村落)で、大和国からは、村落の東、生駒山越えの十三峠を降りてきたところになります。
 この十三峠は、かって聖徳太子が四天王寺へ通った道筋とされており、在原業平も「高安の里
(神立)」に住む女の元に通ったのも、この峠ではなかったかと推測されているのです。

 <参考メモ>八尾市のホームページより
 「平安時代の六歌仙の一人、美男で名高い業平は、大和の竜田から十三峠を越えて玉祖神社に
  参詣したおり、神立茶屋の辻にあった茶屋「福家」の梅野という娘に恋をして、八百夜も
  通い詰めます。
  これが有名な「業平の高安通い」です。
  玉祖神社には、業平が娘を呼び出すために吹いたという笛が伝えられています。」

 近世の高安郡は、北は「楽音寺地区」から南は「恩智」まで含まれた広い地域になっていましたから、
「伊勢物語」にいう「高安の里」は、当然「神立」地区も含まれているわけです。

 生駒信貴山の山並みに沿って南北に通っている旧東高野街道を南下しますと、大和川岸に至る
手前の柏原市大県には、業平の歌碑が、さらに、逆に北上しますと、石切神社の西側に達します。
 石切神社の東側、近鉄奈良線の脇にある千手寺も業平縁りの寺と伝承されてきました。

千手寺山門付近
 千手寺に弘法大師が止宿したとき、千手観音像を刻んで本尊とし、寺を中興しましたが、堂宇は
焼失しました。ただ、本尊は、近隣の深野池に飛び入り、夜毎光を放ちました。それを見た在原業平が
本尊を祭祀し、寺を再建したと伝承されてきました。

千手寺境内
 境内には、業平の腰掛け石や五輪塔に加えて、六世期末の横穴式石室古墳もあります。
 「伊勢物語」の影響を受けて、高安の里への通いも千手寺のある枚岡辺りまで、業平伝説は、足を
伸ばしていることになるのです。

千手寺の境内の業平を詠んだ俳句碑 目次に戻る

平成14年10月21日・磯城島綜芸堂・主筆 謹言
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