敷 島 随 想
(百人一首歌人旅)
「連 載」 第 89 回 *** 第17番(その1)***
***** 在原業平朝臣ー竜田川 *****
目 次
<竜田の里>
<もみぢの名所>
<参考メモ・現代の紅葉名所>
百人一首・第17番 ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれないに水くくるとは
在原業平朝臣を訪ねる旅への伏線は、第83回、第84回に採りあげた大中臣能宣、第85回、
第86回の左京大夫道雅、第87回、第88回の三条院の三人で、この方々に共通していることは、
伊勢神宮と斎宮です。
この事項に関係した百人一首歌人で忘れられない人物は、在原業平と恬子(かつこ)内親王の
伊勢物語でしょう。
以下8回の渉って在原業平縁りの世界を探索しますが、その導入として、百人一首歌の地
「竜田川」を訪れてみましょう。
当地は既に第69番歌能因法師の節で採りあげていますが、業平の和歌世界として伺って
みましょう。
その後、業平の生涯を追って、奈良・不退寺、京の邸宅址、終焉の地京の西山十輪寺、次に
業平に最も関係深かった父母の縁の地、惟喬親王との思い出の地、恬子内親王との伊勢の斎宮、
最後に伊勢物語の旅の順でめぐって参ります。
古来何かと魅力に満ちた「粋な貴族」の代表である「在原業平」なる人物は、後世の人々は、
どのように彼を想像し、どのように似せ絵に描いてきたのか、その二、三の例を添付しておきます。

(左)光琳かるた(右)狩野探幽画 いずれも部分

(左)「王朝の歌人」(集英社)(右)土佐光起画 いずれも部分
<竜田の里>
「竜田」の地は、法隆寺その他の飛鳥の時代からの寺院もある古い歴史の地でもあるのです。
難波方面の西から竜田の地へは、JR大和路線(関西本線)が大和川に沿って遡ってゆきます。
一方、北からは、近鉄生駒線が竜田川に沿って南下してており、それらが合流するところが
竜田地区の中心地である王子町になっています。

竜田川と三室山周辺
王寺駅の東側神南(斑鳩町)の地で、南下してきた竜田川は、大和川に合流しています。
「竜田川」は古今集からもみぢの名所として歌に詠まれ始めたようで、その序文でも紀貫之は
「秋の夕べ、竜田川にながるる紅葉」として和歌の対象に挙げられているように、初句が「竜田川」で
ある和歌が3首挙げられています。
「竜田川錦おりかく神無月しぐれの雨をたてぬきにして」(巻6・冬・314・読み人知らず)
「竜田川もみぢばながる神なびのみむろのやまに時雨ふるらし」(巻5・秋・284・読人不知)
「竜田川もみぢ乱れて流るめりわたらば錦なかやたえなむ」(巻5・秋・283・読人不知)

竜田川に架かる「堂山橋」と三室山遠望
遡って万葉集の時代では、「竜田の里」は紅葉の名所としてではなく、難波方面への街道筋としての
「竜田山」として詠まれる事の方が多かったようです。
(一例、83番、877番、971番、1181番、1747番、1749番など)
街道筋としての「竜田の里」を歌った典型的な和歌は、かの聖徳太子のお歌です。
ー上宮聖徳皇子、竹原井に出遊しし時、竜田山の死れる人を見て悲傷しびて作りませる歌一首、ー
「家にあらば妹が手まかむ 草枕旅に臥やせるこの旅人あはれ」(巻3・挽歌・415)
紅葉は次の3首です。
「雁がねの来鳴きしなへに から衣竜田の山は もみちそめたり」(巻10・秋の雑歌・2194番)
「妹が紐解くと結びて 竜田山 今こそ黄葉はじめてありけれ」(巻10・秋の雑歌・2211番)
「夕されば雁の越え行く竜田山 時雨に競ひ 色づきにけり」(巻10・秋の雑歌・2214番)
大伴家持は、紅葉を詠まずに桜を詠みました。
「竜田山 見つつ越え来し桜花 散りか過ぎなむ 我が帰るとに」(巻20・4395番)
ついでに、家持は竜田の近くにある平群(へぐり)の里の女性から、竜田山を越えて恋歌を
送られています。
「君により我が名はすでに竜田山 絶えたる恋のしげきころかも」(巻17・3931番)
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<紅葉の名所>
竜田神社の前を通っている国道25号線が竜田川を渡る地点から神南で大和川へ合流するあたり
までが現在の竜田川の「紅葉の名所」になっていて、名所案内板などが立っています。

(左)三室山下より竜田川を見る(中)(右)三室山下の観光案内路面盤
残念ながら紅葉は、ほとんどなく、それほど水量のない竜田川も、おおよそ千年前の「紅葉の名所」
の面影は、ほとんどありません。実体が消滅しても名目のみが綿々と生き続けてきたということ
でしょう。朱色の小橋がかろうじて、昔の名誉を支えているような風景です。

竜田川と朱色の架け橋
竜田川沿いに近鉄沿線の住宅開発が進むに連れて、竜田川の環境も悪化していくことが懸念されます。
斑鳩町が整備した「紅葉の名所」の面影を残した公園が唯一の後世への覚え書きになるのでしょうか。
案内板に寄りますと、第10代崇神天皇が竜田明神にかえで葉を献上したこと、第42代文武天皇
(697〜707)行幸の時から「紅葉の名所」は、天下に知られるようになったようです。
竜田神社の東隣の法隆寺が1300年間保存されてきたように、西隣の竜田川流域も変貌しないように
環境保護したいところです。
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<参考メモ・現代の紅葉名所>
在原業平の時代でも、紅葉の名所は、竜田川のみでなく、各地にあったのでしょうが、現在のように
庶民が皆挙って、あちらの名所、こちらの名所と、紅葉を見て回る人々の雑踏の中での紅葉鑑賞では
なかったと思います。
そういえば、「枕草子」や「徒然草」にも、紅葉を愛でる名所の話は出てこなかったように思います。
もっとも「徒然草」では、桜の花見の話はありましたが。
現代では、日本全国の紅葉名所情報がインターネットでリストアップされています。
たとえば、近畿地方の「紅葉ガイド」を眺めますと各県何カ所と並んでいます。
京都府 たとえば洛北では、大原 八瀬 貴船 など
大阪府 箕面方面ほか
兵庫県 鳳来峡ほか
滋賀県 西明寺 金剛輪寺 百済寺 ほか
一例、京都府洛西・長岡京市内光明寺の紅葉を観覧しましょう。
この寺には、法然(黒谷上人、円光大師)終焉の地で、上人の火葬塚があり、源平合戦須磨の浜に
於いて平敦盛を討ち取って後出家した熊谷直実の開いた寺でもあります。

京都西山・光明寺の紅葉風景
さらに奈良県の方は、竜田川に替わって、長谷寺 多武峰 談山神社 室生寺 大台ヶ原 などが
挙げられています。
その他の名所案内として、JR西日本の紅葉見物パンフレット地図を引用しておきます。

近畿地方の紅葉名所例
(以 上)
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平成14年8月30日・磯城島綜芸堂・主筆 謹言
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