敷 島 随 想

(百人一首歌人旅)



「連 載」 第 73 回  *** 第70番(その2)***
*****  良暹法師ー八坂神社と祇園祭  *****

目    次
<八坂神社> <祇園祭> <祇園町> <八坂神社周辺>

百人一首・第70番 さびしさに宿を立ちいでてながむればいづこも同じ秋の夕暮れ


<八坂神社>
  八坂神社とは、明治元年に付けられた社名で、それまでは京都を代表する「祇園祭」の祇園社の
ことでした。

 良暹法師が「祇園別当」を命じられた平安時代、神社の管理にどうして、比叡山の僧侶が関与した
のでしょうか。
 八坂神社は創建当初から仏教的色彩がはなはだ濃い長い歴史と背景を有しているからです。
 天延二年(974)祇園社は天台別院となり、良暹法師が執務した11世紀の祇園社は延暦寺に
属していました。

 八坂神社という土地柄は現在でももっとも京の都を代表する地区です。周りには、京都観光の
名所がひしめいています。
 良暹法師が係わった時代から、ほぼ千年経過したわけですが、この京都市東山区祇園町は、平安京
以前に古い神をまつる場所であったことが、その歴史より推察できます。

八坂神社の絵図(扁額軌範)

祭神素戔鳴命(すさのおのみこと)
櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)
八柱御子神(やはしらのみこのかみ)
創建斉明二年(656)伊利之使主(八坂氏祖先で高麗より来朝)
新羅国牛頭山の素戔鳴命神霊を遷祀
天智六年(667)感応院とする。
貞観十八年(876)興福寺僧円如が薬師如来像の
堂宇を安置し、春日社の水屋を祇園天神堂とした。
祭礼天禄元年(979より御霊会を行った。祇園祭の起こり。
大晦日のおけら詣り。

祇園記念行事チラシ 重要文化財である
八坂神社本殿の
「平成大修理竣工記念行事」が
平成14年4月30日から
6月30日の2ヶ月間に渉って
多彩に行われています。
一例、特別展観
「祇園・八坂神社の名宝」が、
5月29日から6月30日まで
京都国立博物館において
行われます。

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<祇園祭>

  この祭りは貞観十一年(869)全国に疫病が流行した際に、祈願して行われた祭礼で、名物に
なっている山鉾巡行は南北朝時代からで、応仁の乱で中断し、明応九年(1500)に再興されて
500年経過しました。

 現在山鉾は、「鉾」名のものが9基(内傘鉾が2基)、「山」名のものが24基合計31基という
賑やかさです。

 祇園祭は7月17日の山鉾巡行だけが祭りではなく、その前後1ヶ月間、祭事が執行されるのです。
したがって京都は7月が丸々一ヶ月「祭り月」になるのです。 

祇園祭の日程、山鉾巡行の町筋、町筋をゆく山鉾
 祇園祭の祭礼内容は、京都四条烏丸交差点の銀行ビル一室に設けられた「京都文化財展示室」に
紹介されています。

「京都文化財展示室」(http://www.kansai.meti.go.jp/museum/k01.html)
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<祇園町>

 祇園社の別当になったと伝えられている良暹法師の縁りの地として八坂神社の祇園町を訪ねてみます。
 阪急電車京都線の終点「四条河原町」地下駅より地上に昇り、東に向かいますと、すぐに四条大橋の
袂に至ります。鴨川を渡って阿国歌舞伎縁りの南座前を祇園町に抜けますと八坂神社の山門に入ります。

八坂神社周辺の京都名所
 
 八坂神社前の交差点は四条通と東大路通りの交わるところで、京都の町の中でももっとも賑やかな
街角の一交差点になっています。
 現在四千坪強の境内も円山公園として寄進する以前は一万五千坪もの広大な社域を誇っていました。

平成11年正月の八坂神社初詣風景

本殿奉納絵図(三十六歌仙図)

八坂神社南楼門
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<八坂神社周辺>

 四条大橋東袂は南座でこの地は嘗て慶長八年(1603)出雲阿国が歌舞伎踊りを行ったところで、
「阿国歌舞伎業祥地」として、昭和28年11月吉例顔見世興行に併せて、350年記念碑を日本
芸術院院長高橋誠一郎氏碑文で建立されています。 

京都四条南座と阿国歌舞伎記念碑
 八坂神社南地区は大谷御廟で、北側は浄土宗総本山知恩院の境内で、知恩院方丈庭園に至る道脇には、
大谷本願寺故地として蓮如上人誕生の地も、親鸞上人旧御廟所としての元大谷崇泰院もあり、白川までの
地区には、宗派の経営する華頂学園群(短期大学、高等学校他)があり、中には学園と白川の間には
松風天満宮まであることから、この付近は、菅原道真、法然、親鸞と名だたる人物と関係の深い地区に
なります。

 八坂神社の周辺は、祇園社創建の昔より、仏教世界が展開されてきたところです。
 良暹法師が別当に就いていた頃は、当然延暦寺の別所として、天台宗寺院そのものでした。
 日本の寺院・神社には、仏教と神道が渾然一体となったところが多く、日本人の信仰心はいずれを
崇拝し、いずれを排斥することをせず、共存共栄の関係で宗教世界を保たせてきました。
 現在でも京の人々は祇園町の斎地を神社や寺院の意識をせず、都の守り神的崇拝をつづけており、
21世紀以降もその心持ちは引き継がれていくことでしょう。

 良暹法師が延暦寺の山頂からどのように眺めているのでしょうか。斯くも京の町の人々に親しまれ、
伝承されている祇園の霊地を頼もしく、且つ安心して見守り続けていることでしょう。

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平成14年5月6日・磯城島綜芸堂・主筆 謹言
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